20.正直は美徳だけど、もうチョイ隠した方がイイんじゃない?見るからにバレバレだよ?

 その日のその時。
 どうしてその部屋を訪れたのか、もうよく覚えていない。確か、委員の一人がわざわざ自分のところに来て、委員長がお呼びだ、と言ったんだ。
 用があるならお前から出て来いと伝えろ、と言って追い返したが、それっきり、委員の一人も、当の委員長の姿も見ず、時間は放課後になってしまった。午後からの時間、いつ本人が来るかと、授業と授業の合間のほんのわずかな時間を、トイレにも行かずに待っていたのに。不機嫌そのものの顔で訪れた委員長が、いい度胸をしているね、といきなり殴りかかってくるくらいの期待はしていた。この町は平和すぎて、もちろん十代目に危険が及ばないのはとても喜ばしいことだったけれど、子供のころから銃器や刃物、血と死のにおいを身近に感じていた身としては、少し物足りない、気がする。
 そうだ。思い出した。
 だから、訪れたんだ。
 諸悪の根源、並盛中学風紀委員長、雲雀恭弥がいるはずの、彼の城を。

 そもそも、呼び出される要因など何も心当たりがない。
 最近は十代目から注意を受けたこともあって校舎内での煙草は控えているし、遅刻も注意を受けるほどにはしていない。ダイナマイトなどとんでもない話だ。常に万全の体制を整えて用意はしているが、一般人ばかりの学校で簡単に放ったりはしていない。一般人を巻き込まないのは、ボンゴレでは当たり前の話だ。
 授業態度にしても、どの学年なのかすらわからないような雲雀に注意されなければいけないのは理不尽だ。お前こそどうなんだといってやりたい。
 一つ一つ思い返しても、注意されることなど何も思い浮かばなかった。
 そうなれば、もっと個人的な用事で呼び出したということなんだろう、とあたりをつける。つけるが、それなら部下など使わず自分で言いに来るのがセオリーだ。
「雲雀の常識はいちいちおかしい…」
 はぁ、とため息をついて、最後の一段を上った。面倒なことに、応接室改め風紀委員長室は最上階に位置する。いつになるかわからないからと、お供できない非礼を十代目に詫びて出てきた教室からは、かなりの距離があった。
 誰の気配もしない廊下を、わざと音を立てて歩く。それくらいすれば、どれだけ鈍い奴でも誰かが近づいていることくらいわかるだろう。用事のある相手にそれは当てはまらないが、とにかくそうして歩いた。
 たどり着いた部屋の扉の前には誰もいない。委員の一人くらい立ってるかと思ったが。
「雲雀、入るぞ」
 ノックはせず、返事も待たずに、扉を開いた。
 いくらか日が傾き始めた所為で入ってくる西日が、窓枠の影を長く伸ばしている。空調が効いているのか、寒くもなく暑くもない室内には、かつては応接室であったことを思わせる立派な革張りのソファとガラステーブル、そのほか備品が、苦しくない程度に設置されていた。
 その、黒々としたソファの上。投げ出した足を組み、腕を組んで、まるで自分の身を誰かから守るようにして、雲雀が座っている。
 静かに、本当に静かに、寝息を立てて。
「…寝てんの、か」
 控えめに呼びかけてみるが、ぴくりともしない。
 そろりと近寄って顔を覗き込んでも、細長の目が閉じられているだけで、まつげの一本、動く気配がない。
「なんだ…」
 拍子抜けだ。せっかく、新品の煙草と、丁寧にメンテナンスを施したダイナマイトを持ってきたのに。相手がこれでは、寝首をかかなければならない。さすがにそれは趣味じゃなかった。仕事でやれというならいくらでもやるが、雲雀との勝負は仕事ではない。
 何より、本当は仕事でも、そんな汚いことは嫌だった。いつだったか、雲雀にも馬鹿にされたことがあるくらいに、自分でも隠し事は出来ないと思うし、前以外を向けていないときがあるような気がする。指摘されると腹が立つけど。
 あまりいいことではないのかもしれない。嘘が下手で、たとえば大きな仕事に支障をきたしたりしないだろうか。十代目の、役に立てるのか。
「……なんだよ、つまんねーの」
 最近は平和すぎた。
 日本は穏やかで、学生の身分でいれば早々因縁をつけられることもなく、銃も闇で取り引きされ表沙汰にはならず、マフィアは存在しない。穏やかで、平和で、普通の中学生みたいな生活を送るのが、本当は少し不安だった。九代目から十代目へと引継ぎがなされるとき、この平和に自分が慣れてしまっていたら、その身をお守りすることなどできるのだろうかと、そう。
 けれど雲雀は、安全であるはずの学び舎という場所で平気で武器を振り回し、物騒な言葉を使い、暴力でもってして学校を平和に治めている。恐怖政治だ。あまり感心はしない。でも、救いではあると思う。
 こいつがいれば、自分は平和には慣れない。
 やわらかい人たちに囲まれて生きていくことに、慣れたりはしないと、思っていた。
 のに。
「…ちくしょー…」
 平和ばかりの日本。時折訪れる刺客さえ始末していれば、比較的穏やかに時間が流れている。
 慣れてはいけない。自分は、銃器と刃物、血と死のにおいに囲まれて、生きていくのに。
 それなのに、そんな俺にとって救いであるはずのお前が、こんなに穏やかでいるなんて。
 慣れてしまえと、誰かが耳の奥でささやく。
「…雲雀、ほんとに寝てんのか…?」
 顔を近づけても、ぴくりともしない。ただゆるく上下する肩と閉じられた瞼だけが、言葉なく肯定していた。
 誰かが耳の奥でささやく。
 慣れてしまえ。
 平和で、穏やかで、血も死も感じない、この国で。
 陽だまりに、眠るように。
「ねぇ」
 触れる一センチ手前。
 言葉よりも吐息が先に唇にかかり、思わずはたと動きを止めた。
 目の前で、しっかりと開かれた瞳が、真っ黒い視線が、まっすぐに自分に向いている。
「なにしてるの?」
「……っ!!」
 か、と一瞬で顔が熱くなる。反射で体を離そうとするが、がっちりと腕を掴まれていて一定の距離以上に離れられない。
 嘘だ、さっきまで寝てたのに。
「なにするつもりだったの、って聞いてるんだけど」
「おまっ、いつから…っ」
「君がわざとらしく音を立てて階段を上がってきたあたりかな」
「そもそも寝てねーじゃねぇかぁぁあぁ!!」
「寝てるなんて一言も言わなかったけど? まぁ、起きてるとも言わなかったけどね」
 ここでは寝てることも多いから、とさらりと言うと、組んでいた足をおもむろに解く。掴んだままの腕が強く引かれ、どさりとソファに落ちた。こんな力、寝起きじゃ絶対に出ない。本当に、フリだったんだ。
「っ、ひばり!!」
「まったく、正直バカはいいけど、もう少し隠した方がいいんじゃない? 見るからにバレバレだ… 違うな、見なくてもバレバレ、だ」
 訂正して、雲雀が笑う。
「おまっ、お前なぁ! お前が呼んでるっつーから来てやったのに、なんつー陰険なイヤガラセすんだっ」
「何時間前の話? 君、来なかったじゃない」
「用事があるならテメーが来いっつったろ!」
「行ってもよかったんだ」
「ったりめーだっ!」
 準備を万端整えて待っていたのに。
 それなのに、相手はわずかに目を見開いて、へえ、なんて呟いている。
「てっきり、沢田や山本がいるから嫌がられるかと思ったんだけど。それなら、今度は遠慮しないよ」
 意味がわからない。
 自分たちの間にある表向きの確執なんて、十代目もご存知だし、きっと山本だって知っているだろう。確かに、目の前でそういうことになれば血を好まないおやさしい十代目のこと、止めに入ってくださるだろう。それを避けるため、だというならわかる。けれどそれを嫌がるのは雲雀であって、こちらに遠慮している、というのはおかしい。
 雲雀は、わからない。本当に。つかめないやつだ。
「今まで遠慮なんてしてたのかよお前」
「当たり前」
 人の上に乗り出しておいてよくもと、と思うが、違う場所で、慣れてしまえ、とまた声がした。
 雲雀が笑う。武器を振り回して血に喜んでいる姿とは違う、人間らしい顔で。
 慣れてしまえ。平穏に。幸せに。血や死と向かい合わせの危険な生活から、年相応の、日常を繰り返すだけの日々に。
 この、暴力的ないとしい子供のそばで。
「隼人」
 耳元で声がした。
 心の奥底から湧き上がってくる声よりもリアルで、熱のある、確かな声が。
「おいで」
 これ以上近づけないくらい近い距離で、来いもなにもない。それでも、腕を伸ばした。目の前にある、男にしては細すぎるほどの首に。
「…雲雀」
「何?」
「お前まさか、このために呼んだんじゃ」
「そう」
 でも今度からは行くよ、と解いたネクタイの端を寄せた口元だけで笑った。
「君がそうしろと言うからね」
 いつか戻るべき、あの世界で生きていくための、ただ一つの救い。
 幸せに浸らず、安穏に身を任せないための、唯一の相手。
 想うためにではなく、戦うための相手のはずだったのに。
 心の奥底で誘う声がする。
 どれだけ否定しようとしても、腕を回した体は、抗いがたいほどに温かくて。

「……俺が、行くから、いい」

 この腕の中にいる間だけは、落ちてもいいかもしれないと、そう、思った。

ひばりさんはちょっと天邪鬼くらいが好みです。