一緒にいたいんだよ
大人といわれる年令を過ぎて、もうずいぶん経つ。
だけど、いつだって頭の中身は子供で、いつまでもガキくさいことばかり考えている。
「それでは、そのようにお願いします」
真面目腐った声で締めの挨拶が投げられて、同盟ファミリーが集まって月に一度行われる会議はお開きになる。
途端に席を立ち己を囲む、棺桶に片足突っ込んだようなジジイ達による形ばかりの愛想に完璧な笑顔で対応している幼い盟主は、面倒臭そうな雰囲気を漂わせもせず見事なものだ。張りつけたような笑顔なのに、普段を知らない相手にはそう感じさせないだろう、穏やかで静かな笑顔を振り撒いている。
いつからあんな顔をするようになったんだろうか。最近、ああして人の中心にいるのを見るたびに思う。
賑やかで騒がしいファミリーの中で、青ざめながらマフィアなどなるつもりはないと声を大にしていた幼い彼には、こんな未来は想像できなかっただろうに。
一人二人と席を立ち、やがて室内には盟主と取り巻きである数人のジジイ、そして席に座り続けている自分だけが残った。
「ボス」
後ろに立つ部下が控えめに声をかけてくる。
「なんだ」
「そろそろ戻らねぇと、帰りの便が」
真面目なロマーリオが促すのを、鼻で笑い飛ばす。
「そんなんどうとでもなるだろ」
「しかしボス」
「いいから黙ってろ」
渋る部下を片手を上げて黙らせ、上座に座った幼い主人を見る。少年と見間違う程の顔には幾分疲れた様子が伺えるのに、ジジイ達はそれにも気付かないのか好き勝手に話しを続けている。
全く、たとえ孫ほどの年の相手だとはいえ、あれが目上の者に対する態度だろうか。嘘で固められた賛辞など反吐が出そうだ。
口から出てきそうな悪態をため息に変えて吐き、席を立つ。そのままゆっくりと上座に向かえば、囲いの外にいるしかない、顔見知りでもある彼の部下がちらりと視線をよこした。その目には、どこか縋るような色が浮かべられている。彼が口を出せば、いくら同盟トップのファミリーだとはいえ分が悪くなる。理解しているからこそ、気が短い彼が歯を食い縛って耐えているのだ。
ちらりと苦笑いして、手を差し出す。心得たように乗せられた黒いコートを受け取り、さらに足を進めた。
「それでは…」
「失礼」
意気込んで何かを言い掛けたジジイを遮り、口を出す。にっこりと笑えば、ジジイどもがぽかんとアホ面を並べた。
「そろそろ時間です、ボス。次の会議が始まってしまいます」
雁首そろえたジジイどもを無視し、真ん中に座る青年に頭を下げた。
「ああ、そうでした。申し訳ありません御大、今日はここで失礼させていただきます」
言葉通りに申し訳なさそうにした年若い主人が立ち上がる。
「大変有意義でした。続きは是非後日に」
形どおりの言葉で席を立つ青年の肩にコートをかける。腕は通さず、そのまま軽く会釈をして部屋を辞した。
つづいて部屋を出ていけば、背後からは取り入りに失敗したジジイどもの舌打ちが聞こえた。死にかけの癖して、まだ横の繋がりを増やし私腹を肥やすことに必死なのかと思うと、豚に例えるにも豚が哀れだ。
「キャバッローネ」
流暢なイタリア語が、苦笑混じりに呼ぶ。肩越しに振り返った茶色い瞳には、相変わらず張りつけたような笑みが浮かんでいる。
「先程から本音が見え隠れしてますよ」
「あ、ああ」
気付かれていたのか。
「私に隠し事はできませんよ。特に感情的な時には」
言外に、直感で分かったのだ、と笑う青年が前を向く。十近く年下の主は、すっかりいくつものファミリーを束ねる風格を身につけてしまった。
「けれど、助かりました。いつうちの人間が飛び出すか、気が気じゃなかったんです」
ふふ、と息を吐きだすように笑い、会場になっていたホテルを出ていく。両脇にスーツを着込んだ男達が幾人も並び、その先に待っていたロマーリオが黒塗りの車の後部ドアを開けると、慣れた様子で身を沈めた。運転席では、件の気が短い部下がハンドルを握っている。
「では口出しはよい結果だったわけですね。よかった、差し出がましいかと思ったのですが」
使いづらい丁寧な言葉を並べ、続いて車に乗り込むと、扉が静かに閉められた。毛皮の敷かれた座席はゆったりとしていて、密談用に前座席との間には特殊な壁がある。手元に置かれたブザーのみがあちら側と繋がっていて、いざとなれば壁は一瞬で決壊するだろう。今のところ実行したことはないのだが。
「御大達には申し訳ありませんが、私もそう時間が裂けない。早く切り返す業を身につけなければいけませんね」
静かに動きだした車は、四人の男を乗せて走る。ハンドルは彼の部下が握っているのだから、その行き先はかの城だろう。長い時の間に九人のボスが君臨した、イタリアマフィアの大元締めが住む城。
その十人目である彼は、ふぅ、と珍しくため息を盛らして、苦笑いをする。
「…ディーノさん、もう勘弁してくださいよー」
ころりと変わる口調。滑りだすのは日本語。肩に掛けたコートを重そうに外して、空いている向かいの座席に放り投げた。
「あぁ疲れた。ホントに毎日毎日、よく飽きもせずに会議ばっかり」
「企業も同じでしょう。トップの方針を知らなければ身動きが取れない。ままならないのは、マフィアのせいではありませんよ」
「……ディーノさん」
ぎ、と下から茶色い瞳が睨んでくる。嘘のない、昔からよく知った顔で。
「…悪い、あんまりツナがすましてるから、おかしくなっちまって」
両手を上げ降参すると、ようやく許してくれたらしい、不貞腐れた顔ではあるものの、憎らしい顔ではなくなった。
「しょうがないじゃないですか、素でいると舐められてよくないって言ったの、ディーノさんですよ」
「うん、そうなんだけどな」
だけど、あんなに不器用で素直だった子供が、こんなに完璧に外面を作れるようになるなんて、思ってなかったんだ。
言えば、舐めているのか、と殴られそうなことを考えながら、口では、練習だろ、なんて適当なことを言っている。
巨大なファミリーの頂点にいずれ立つことになる、まだ二十歳そこそこのひよっこは、同じ家庭教師を持った義兄弟でもある。年寄り集団よりも親交が厚い理由はそれだけではないが、この関係は己の私腹を肥やすためでも、取り入ろうとしているわけでもない。
ただ純粋に、この子が大切なだけだ。
できれば、こんなふうに会議だ抗争だなんて場所から遠ざけて、穏やかで静かな生活をさせてやりたい。かつては自分も望んだ生活を。生まれた瞬間からすでに将来が決められ、そうなるべくして育てられた自分とは違い、十何年間も普通の子として育てられたのだから。
けれどそれは一方的な自己満足であって、たとえば彼がそれを望んだとしても、背負うべきものがある自分では、一緒に逃げてやることはできない。
何も言う資格はない。
だからせめて、こうして一番近い場所で守っていたい。これだって立派な自己満足だと自嘲するが、それでも構わなかった。
「でもやっぱり、まだ余裕はないですよ。あの爺さん達をどうやりすごしていいかわからないし。だから今日は助かりました。お兄さんだと場が混乱するから」
「ああ… 今日は了平しか空いてなかったのか?」
「いえ、実は獄寺くんだったんですが、あの人はもっと我慢がききませんから」
「確かに」
何かといえばダイナマイトを取り出す銀髪を思い出して笑う。誰よりボンゴレ十代目を敬愛する彼だ、あんな場面を見たのでは盛大に文句を垂れ、最終的には導火線に火が点いていただろう。比喩ではなく、本気で。
「でも、いつまでも甘えてらんないですから、ディーノさんもあんまり俺を甘やかさないでください」
なぜか、ふい、と防弾ガラスのうえに防弾シートが貼られた、マジックミラーの役割をも持つ窓の向こうに、顔を背けるようにして視線を投げる。景色は、見慣れたものに変わりはじめていた。
ボンゴレ本拠地である豪華絢爛な城まであと少し。車から降りれば沢田はまた、あの冷たい仮面を着け柄にもない丁寧な言葉でここまで警護という名目で送り届けたキャバッローネの労を労うのだろう。
知らないわけじゃない。キャバッローネはそもそも同盟上位に食い込むほどのファミリーだが、先代の夭折により若くしてファミリーを継いだディーノに対して、いい顔をしない者もいる。そんな自分がこんなふうにボンゴレと親しくしていることに対して、それ以上の陰口があることも。それに、この少年とも見紛うほどの青年の心が、傷ついていることも。
けど。
「いーんだよ」
ガラスに映る茶色い瞳に笑いかける。
「俺が、甘やかしたいんだから」
そうできる人間は少ない。
確かに、あの肥えたゲスのように、親しくしていることに対して考えの浅いことを言う輩はいるが、そいつらが煩いからと、たったそれだけのためにこの立場を降りる気はない。
肩にのる、名が示すとおりの家族達を守りながら、愛しい相手を守ることができる。キャバッローネという立場がもたらす様々なもののなかでただ一つ、私情と仕事が一致した権利だ。手放す気は、たとえ盟主に命令を下されても、ない。
「その位させてくれ、俺がしたくてしてるんだ。一緒にいたいんだよ」
窓の向こうを見たままの沢田の顔が、ガラスに映る。うっすらと赤くなっているのは、暮れ始めた空のせいばかりではないはずだ。
「ツーナ」
くく、と笑いが口を突いて出る。あんなに余裕ありそうな顔をしていたというのに、いまの顔は年相応どころか幼すぎる。
「ほら、ツナ。もうすぐ城につく。今のうちに労いをくれないか」
「ね、労い? それは…」
「城に着いてやるのはパフォーマンスだろ? あんな堅苦しいのはごめんだからな」
「うっ……」
ほら、と顔を寄せれば、さすがの沢田もこちらを向く。
「ディーノさんってわかんない」
「どうして。分かりやすいだろ? ただツナが好きなだけだ」
嘘偽りのない言葉。
キャバッローネファミリー十代目ボスとしてでなく、ただ一人の人間てして告げる告白に、そんな野暮なものはいらない。
三度言葉につまった沢田はさらに顔を赤くし、伸びた前髪の下から睨み付けてくる。可愛いだけなんだがと、言ったら確実に機嫌を損ねるだろう事を思いながらも、ディーノは顔を離さなかった。
自分が沢田を甘やかすように、沢田もまた立場上常に被らなければいけないボスの仮面を、ディーノの前では簡単に外す。あのヒヒジジイ達がどれだけの大金を積もうと決して見れない顔を、年若いくせにと馬鹿にし見下しているディーノだけが知っている。それは、どんな陰口も嫌がらせも無に出来るほどの、最高の幸せだ。
子供みたいな優越感と、近づいてくる甘い熱を感じて、ディーノはその鳶色の瞳を閉じた。
本当は拍手にと考えていたんですが、長くなりすぎた… ▲