04. 掠めた指先

「ディーノさん!?」
「よう、久しぶりー」
 お決まりの駄目ライフを満喫しようやく戻ってきた自宅玄関先で出迎えたのは、母親でも家庭教師でも五歳児でも中国人でもなく、純粋なイタリアンの綺麗な日本語だった。
「え、どうして、いつこっちに?」
「あははは、質問攻めだなぁ。一つずつでいいか?」
 楽しそうに笑ったディーノは、上がれ、と玄関先で突っ立ったままだったこちらに手を伸ばす。自分の家なんだけどなぁ、と思いながらもその手を取り、部屋に上がった。
「まず、どうして、ってのからな。実は、九代目からお前に土産を持って行けって言われて」
「九代目から、ですか?」
 また何かの指令書だろうか。クリアできなきゃ掟違反で命は無い、系の。
「そう。爺さん、前に何度か日本に来たことがあるらしくてな。そのときに日本の習慣をいくつか聞いたらしいんだよ」
「はあ」
「で、その中でも花見が一番してみたかったんだ、って」
 話を続ける間も廊下を進んでいくディーノの手が、リビングの扉に掛かる。
 もったいぶるようにして開けられたその先には、見事までの食事と満開の花々が満ちていた。
「う、わぁ…」
 テーブルの上に、所狭しと広げられた見事な料理。和洋折衷という言葉はあるが、ここまで様々な様子は見たことが無い。寿司の隣にパスタがあるのは光景としてなんともシュールだが、どちらも美味しそうだ。
 そしてその向こう側に広がる、色とりどりの花たち。さすがに詳しくはないから、種類まではわからないが、見たことのある花から見覚えの無い珍しい花まで、誇るようにして庭に満ちている。
「すごいだろ? 爺さんがさ、花を見ながら食事を楽しむなんて日本らしい、ってすっげぇ楽しみにしてて。持って行くならこれくらいって、まあ奮発ってほどでもねぇけど、色々手ぇ回してくれたんだ」
「え、じゃ九代目も?」
「いや、爺さんは不参加だ。何せ年寄りだし、あれでいて忙しい人だからなぁ」
 だから名代なんだ、と苦笑交じりの笑顔で言うディーノが、繋いだままの手を引く。
「で、二つ目の質問。いつこっちに、だけど、実は一時間前なんだ」
「一時間、ですか」
「そう。本当はツナを学校まで迎えに行くところから始めたかったんだけどな。時間がなくて」
 料理を用意し、花をセッティングし。そういうもろもろは、全てイタリアから先行して来日していたキャバッローネの人間が用意していたらしい。肝心の名代は、本来の仕事に手をとられてしまい出発が遅れた。その所為で、本当なら学校まで迎えに行きたかったのに、空港からここまで移動するだけで精一杯だった、と。
 ちなみに、在宅していたはずの母と居候の子供たちは、連れ立って別所での食事に誘われたらしい。そちらも九代目からの配慮で、リボーンも同行しているから心配は要らないと、ディーノが一番いい席を勧めながら笑う。
「そんなに手の込んだことしてくれなくても…」
 花見くらい、別に来年でもできるだろうに。
「本当なら爺さんが来たかっただろうし、そうじゃなきゃツナをイタリアに呼びたかったんだが、少し難しいから。いつも頑張って指令クリアするお前にご褒美、だとさ」
「褒美…」
 褒美が、この花と、食事なんだろうか。
 いや、嬉しくはあるのだけれど。おいしそうだし、可愛いし、嬉しいんだけど、ものすごく根本的な部分が間違っている。
「ええっと、ディーノさん… 非常に言いにくいんですけど」
「なんだ?」
 おとなしく席に着きながら、隣に座ろうとするディーノを見上げる。
「その、日本でいう花見って、春先に、桜を見ながらするものが一般的なんです」
 もちろん、その時期に応じて何を愛でてもいいわけだが、九代目が日本でその話を聞いたというのなら、それは間違いなく、日本を代表する桜を愛でる花見のことだろう。春先の代表は桜で、その時期の花見でこれ以上にふさわしい花も無い。
 案の定、何も知らなかったらしいディーノの、鳶色の目が大きく見開かれる。
「え、そうなのか?」
「はい… いや、でも、季節で変わったりしますからっ! 色んな花を見る場合もありますよ、何も限定というわけでも無いんです」
 途端に、しょぼん、と肩を落とす。いつものジャケットを脱いで、シャツだけになった肩からは複雑なタトゥが覗いていた。
 本当を言うと、こんな風に花を用意するのではなくて花の咲く場所に行くのだ、とか。食事は室内ではなく屋外で取る、とか。少なくとも、十数年間日本で育ってきた身としては、それが正しい花見のやりかたのような気がする。室内に和洋折衷の食事を並べて花見というのは、どうしても違和感がある。
 の、だけれ、ど。
「その、ディーノさん」
 すっかり気落ちしてしまったらしいディーノの、タトゥの覗く肩に触れる。金髪の下からこちらを見る瞳は綺麗で、思わずどきりとした。
「ツナ?」
「その、俺、余計なこと言っちゃって… すみません、折角用意してくれたのに」
「いや、俺たちの勘違いだからな」
「全部が違うってわけじゃないんですよ、本当に。別に桜でなくてもいいんです、そのときに、一番綺麗な花であれば」
 少し時期が下がれば藤が咲くし、過ぎれば紫陽花が雨に濡れて綺麗で、夏には向日葵が天高く伸びようと背伸びを始める。冬でも無い限り日本にはいつだって季節の花がある。そのときに、綺麗な花を見ながらのんびり出来れば、それは立派な花見だろう。
「それに」
 触れた肩から手を離す。
「……なんであれ、ディーノさんが来てくれた事の方が、うれしい、ですから」
 ディーノは、若くしてキャバッローネのボスの座に就いている。いつもは飄々としているからわかりにくいけれど、いつでも忙しいし、日本に来ることもそう多くない。来ても、九代目の指示だとか、仕事の合間に寄っただけとか、そんなことばかりだ。すぐに国へ帰ってしまう。今日だってきっと、先行していた部下達と来日する予定だったのだろうに。
 別にいい。誰かの言葉に従ったからでも、仕事の時間が空いたからでも、理由なんてどうでもいい。
 ただ、この場所に、ディーノが留まっていることこそが、重要なんだから。
「ツナ」
 うわ、と思わず声を上げたくなるくらい、ディーノが艶やかに笑う。普段から子供っぽいところがある兄貴分は、時々こうして、年上なのだということを見せ付けてくる。
 そしてそのたびに思い知らされる。ディーノは、本当に年上の先輩で、本当に手の届かないような場所に居る人で、本当に、心から自分の事を好いていてくれているんだと。
「実はな、一つだけ嘘ついてたんだ」
 ぎゅうと抱きついてきたディーノの甘い声が、耳元をくすぐる。はい、と返す声が震えていない自信が無い。
「嘘、ですか」
「うん。本当は、ママンたちも一緒にと言われてたんだ。爺さんからは、沢田家総出で楽しんで来い、って」
「じゃあ、母さん達は」
「俺のポケットマネーで追い払った、ってのが、正しい」
「はあ…」
 ポケットマネーというあたりで、よほどの料理を楽しんでいることはなんとなく想像できたが、その額までは想像が及ばない。絶対に、目玉が飛び出るような食事を楽しんでいるはずだ。天然ボケしている母親や、金銭感覚などまだ身についていない五歳児たちは当然、全て承知しているだろう赤ん坊も、多分。絶対。
「ツナと居たかったんだ」
 背に回る腕が、優しく撫でてくる。項をたどり、髪に潜む指が、遊ぶようにして絡む。
「ちょっとの時間しかない。ママンたちには悪かったけど、ツナと二人でいる時間の方が、俺にとっては貴重で大切で、一番だ」
 寂しげに伏せられる鳶色。
 ディーノは忙しい。仕事の細かいことはよく分からないし、マフィアなんて何をしているのかも知らないし、知る必要も無いし、知るつもりも無い。けれど、ディーノに繋がるものなら、少しだけど知りたいと思う。
 大変さ、急がしさ。そんなものは、所詮中学生でしかない自分では理解できないだろう。ディーノも、何も言わない。ただ時々こうして、時間が無い、とだけ繰り返す。
 分けて欲しいとはいえない。
 知りたいと駄々もこねられない。
 側にいて欲しいなんて、口が裂けたって言えっこない。
 でも、思うことだけは自由のはずだ。
「ディーノさん…」
 目の前にある肩に頭を預ける。彫ったわけではないというタトゥは、キャバッローネの主である証なんだと、いつだったか聞いたことがあった。誇らしげで、でもどこか寂しそうだった横顔。
 きっと秘めているものが一杯ある。子供の自分と違い、色々なものが彼の肩にのしかかっている。この、証のように。
 どうにもできないそれらを前にして、沢田綱吉個人として、彼に出来ることは、一つしかない。
「花と料理、ありがとうございます。持ってきてくれたのがディーノさんでよかった」
「ツナ」
「俺も、ディーノさんと居るなら、二人がいいです」
 彼が自分に対して望むこと。それを叶えること。それしか出来ない。
 しかもそれらは、ことごとく自分の希望や思いと重なっていて、一概にディーノのためだと言えないのが、なんだかずるい気もするけど。
 言葉なく、抱きしめる腕に力が加わる。苦しいくらいのそれは、でも全然苦しくなくて、幸せばかりを与えてくれた。
 たった数時間のために来てくれた。比喩なく地球の裏側に住んでいるこの人が、自分のために。それ以上に何を望み、何を願うことがあるだろう。
「ありがとう、ツナ」
「こちらこそです」
 抱きしめる腕が片方離れ、シャツの端を掴んでいた指を掠める。遠慮がちに指先が爪を撫で、そろり、と指に絡んだ。握りこむ力は緩くて、今にも離れそうなほどに心もとない。まるで、拒絶されないだろうかと不安がるように。
 心地いい花の香と、冷めていく料理の気配の中、いつでも優しく臆病な金色の兄弟子の腕はそれ以上に心地よく。
 気が済むまで。せめて、この臆病な人が安心できるまではと、腕が離れるまで、ずっとそうしていた。

花見ディノツナ。焦れ焦れする…