09. 秘めて隠して、押し殺して
雲雀の周りには常に誰かの気配がある。
本人は、群れる生き物が嫌いだ、と公言して憚らないが、実際彼自身が常に単独なのかといわれれば、違う。自覚はないのだろうが、風紀委員とは名ばかり、あいつらのほとんどは単なる雲雀の親衛隊だ。命を受け、忠実に従うことが生きがいの、雲雀命の集団。
中には、一般の生徒でいるよりは風紀委員のほうがお近づきになれる、と不埒な考えで立候補するものもいるようだが、大体そういう奴らは雲雀自ら粛清される。妙なところで鈍いくせに、妙なところで鋭いのだ。まさしく、野生動物のごとく。
そうして並盛町という絶対的な支配領域を得た王様は、今はこうして、王座に座り日々の責務を果たしている、と。
「ぴったりすぎて自分の比喩に花丸だな」
はは、と乾いた笑いを零せば、王座、もとい委員長席に座り日誌に目を通していた雲雀が、顔も上げずに、何のこと、と呟く。
「別に」
口に出せばどうせ、下らない、と一言の元に一刀両断か、よく分かってるじゃない、と鼻で笑われて終わりだ。
黙っていたほうがいいことも世の中にはある。イタリアで学んだ、数少ない処世術だ。
今日も今日とて王様は、一日を恙無く過ごし、今日一日の出来事を日誌に纏めている。その姿を横目に、本来は来客用に設置されていた革張りのソファに身を落としのんびりくつろいでいるのは、自分ひとりだ。応接室には、誰もいない。
「珍しいな、無人なの」
「僕がいるし、君がいる。無人じゃない」
「そういう意味じゃねぇよ。他の委員が居ないなってことだよ」
「今の時間は校内巡視だ。教室内に残ってる生徒を帰らせているし、校外で活動しているのもいる。呼び戻そうか?」
「いらねぇよ」
呼び戻してどうするんだか。王様の周りに家来が増えるだけで、正直、面白くはない。
そう、雲雀の周りには、絶えず誰かが居る。
こうして完全に二人なんて、実は、意外に貴重だったり。
「…って何言ってんだ俺ぁ…」
口の中だけで呟いて、ソファに横になる。頭を向けた先、逆さに見上げる雲雀は、相変わらず机に向かっていて、視線一つよこさない。
いつものことだ。突然呼び出され、ここに居ることを許されてはいるが、仕事の邪魔をすれば容赦なく、文字通りたたき出される。特別扱いなどしないし、むしろ扱いは誰より酷い気がする。曲がりなりにも、コイビト、のはずなのに。
そこまで考えて、それこそ下らない、と目を閉じた。逆さの雲雀と、その向こうの青空が、瞼の向こうに消える。
たとえばコイビトだとして、それがなんになるのか。二人の間に明確な変化はなく、ただこうして、居ることだけが許されている。時々キスをしたり、その程度の恋人が、どれほどのものだというのか。
結局雲雀にとって自分は、あの集団の中の一人と同じなんだろう。
並盛中風紀委員。またの名を、雲雀恭弥親衛隊と。
盛大な溜息が口をついて出そうになり、それを飲み込むとすぐに、ぱたぱた、と小さな羽ばたく音がした。
その正体を察しながら、目を開ける。案の定、雲雀の向こう側から小さな一羽の鳥が現れ、当たり前のように丸い頭に体を沈めた。
「…そいつ、結局お前に懐いたな」
「大体のことはこなしてくれるから助かる」
「へぇ…」
「文句も言わないで僕のために働く。模範生だな」
あ、いまのは、かちーんときた、ぞ。
何か、それなら今ここで何の仕事もせずにただ横になってぐうたらと時間を過ごしているだけの自分は、一番の劣等生だとでも言うのか。
「ワオ。判ってるのなら何かしたらいいのに」
「っ… せえな! どうせ鳥以下だっ」
子供っぽい、とわかっていて、ふい、とそっぽを向いた。ついでに体を起こして、王様に背いてしまう。
「いい度胸だね」
「どうせ変わりゃしねぇだろ。どこ向いてたって」
雲雀は机から視線も逸らさずに、ただ言葉を返すだけだ。どこを向いて返答しようと、結果は同じ。
いつでも誰かが側にいる孤高の王様。そんな、どうにかすれば滑稽なだけなのに、雲雀にはその言葉がとてもよく合っていた。あれだけの人間が側に居るのにただ一人でいるように見えるなんて、もう一種の才能だ。
そんな王様と、本当に偶然に二人だけになったというのに、邪魔者は小さな鳥で、王様の一番のお気に入りだ。
多分、コイビトのはずの自分よりも。
「……駄目だ」
このままじゃネガティブに陥ってしまう。
雲雀とのことを考えるといつもこうだ。結局、堂々巡りで帰ってきてしまう。そのたびに、考えるのは馬鹿馬鹿しいのだからと蓋をし、押し殺し、黙ってきた。何より、そんな小さなことを気にしなきゃいけないくらい、王様に夢中の自分が、虚しくて。
「ねぇ」
「ぅわぁあぁぁっ! ってお前いつの間に」
「何を必死に考えてるのか知らないけど」
知らぬ間に真後ろまで来ていた雲雀の手が伸びる。肩を掴まれ、今まで横になっていたソファに再び、ころん、と転がされた。
「ここに居て僕以外のことなんて考えるの?」
「はぁ?」
何を言い出すんだか。
「風紀委員も、この鳥も、君には関係がない。君はここに居て、僕のことだけ考えればいい」
「は? ちょ、雲雀」
「それとも、わざと?」
逆さに見上げる雲雀の目が、わずかに笑む。
「相手してあげないから、拗ねてるの?」
「っ!! だ、誰…っ」
か、と顔が熱くなる。それとほぼ同時に、視界が黒で埋められた。ぱさりと顔を落ちる布地の感触。目の前にある白いシャツの衿、ネクタイの結び目、唇に触れる、雲雀の熱。
「っ… ふ…」
思わず目を閉じ、自分のものではない感触に集中した。熱に浮かされるような口付けは、ぱたん、という廊下を踏みしめる上履きの音が互いの耳に入るまで続いて。
「ひ、ばり。だれかくる」
「鍵がかかってる」
「けど」
「煩いよ。言っただろ」
ぬるり、と顎を舐められる。耳をくすぐる指先に、首筋があわ立つ。
「この部屋で君は、僕のことだけ考えていればいい」
そのために君一人だけを残して人払いをし、二人で居たんじゃないか。
そう、どこか拗ねたような口ぶりで言う王様の顔だけが、視界を埋める。
足元、出入り口の辺りに人の気配が増える。けれど、扉に手をかけ開かないことを確認すると、まるでそうなった場合の対処の方法が決まっているかのように、気配が一つずつ消えていく。遠くで、委員長不在につき解散、という旨の、副委員長の声がした。
残されたのは、拗ねた王様と、拗ねたコイビト。
「…お前」
「何」
そっけない返答。王様は、一気に機嫌を害したらしい。
考えれば、いつでも親衛隊を引き連れた王様が身軽になるのは、この時間帯しかない。その時間に狙い澄ましたように呼び出された時点で、気づくべきだったのだ。
かの名高き孤高の王でも、特別に扱う相手が居るのだということに。
集団の中の一人、ではない、誰かが。
「…いや」
両手を伸ばし、黒髪に差し入れた。何も言わない雲雀に笑ってみせて、その手を引く。あっさりと落ちてくる体が、なぜだか無性に可愛く感じて。
「なんでもない」
その薄い唇に触れながら、小さく言葉を口にして。
この後は雲雀のことだけにしよう、と逆さまのネクタイの結び目を見て、獄寺は静かに目を閉じた。
親衛隊、が書きたかったのです。 ▲