さくらもち

 世間様が連休で浮かれるゴールデンウィーク。地域差はあれど、春の花といわれる桜が散って久しいこの頃に、随分久しぶりに日本を訪れた。
 理由は、新設されることが決まったアジトの下見だ。大規模の工事を極秘に進めなければならないこともあり、計画はかなり慎重に立てられている。避けなければいけない施設、地盤の関係で他より頑丈に作らなければいけない部屋。確認事項は数えきれない程にあった。
 今回の下見には、守護者が全員関わっている。一人が一度は出向くようにと、ボスから指令が下ったからだ。まぁ、その命令も、守護者のほとんどが日本出身で、仕事と里帰りと休暇を同時にしてこいという、ボスの配慮からなのだが。
「けどなぁ」
 確かに、ボンゴレ十代目を始め守護する者たちも、半分が日本人だ。生まれも育ちも、生粋の。
 だが、自分は違う。四分の一日本の血が流れてはいるが、生まれも育ちもイタリアだ。彼らと違い、日本に里帰り、という感覚はほとんどない。中学一年で来日してから数年を過ごしたこともあり、懐かしいとは思うが、そこまで思い入れがあるわけでもない。
 だからこれは、ただの休暇だ。しばらく息抜きをしてこいという、ボスの心遣いだ。そう理解していた。
 なのに。
「何でてめぇが一緒なんだよ…」
「別に一緒なわけではないよ」
 つん、とすました顔をした同行者は、連休のせいか随分と閑散とした町中を見渡しながら歩いている。
「僕は個人的な休暇できているんだ。仕事は関係ない」
「ならなんで滞在期間まで一緒なんだ」
「僕が知りたいくらいだ。君の敬愛するボスにでも聞きなよ」
 肩を竦めた雲雀はそう言うと、またも黙って歩きだした。
 雲雀が日本にいることにも、理由がないわけではない。日本出身の守護者のうちの一人でもあるし、なにより彼が立ち上げた私設財団とは、今回造る施設でお隣さんになる。マフィアと、それに酷似した集団に付けるにはあまりに可愛らしい間柄だが、施設の一部をつなげる計画があるのは事実で、だから財団トップである雲雀が、同じように視察に来ていても何も不思議ではない。
 だが、同じホテルの最上階に二部屋しかないスイートで隣り合わせたことや、滞在期間が一日の狂いもなく同じなのは、違和感があって然るべき事態だ。チェックイン時に顔を合わせたときには、柄にもなく運命だとかいう言葉が頭をよぎったほどだ。正しくは、腐れ縁、なのだろうが。
「しかも仕事の話なんざしやしねぇし」
「うるさいなぁ」
 足も止めずにちらりと振り返る雲雀は、面白くもなさそうに眉をしかめている。
「黙れとは言わないけど、グチグチ言うの止めてくれない? せっかくの休暇が台無しじゃないか」
「う…」
 ごもっともな意見に、言葉が詰まる。
 隣に宿を構えた雲雀は、今朝一番にチャイムをならしたかと思うと、暇なら付き合え、と言ってさっさと歩きだした。
 滞在中日を迎え、急ぎの仕事はほぼ片付いていたこともあり、今日は休みと決めていた。だから、付き合うくらいはいいかと部屋を出たのだが、ホテルを出るとき、なぜか雲雀はホテルの人間から何かの紙袋を受け取っていて。丁寧に頭を下げていた男性の胸元には、支配人と書かれたネームプレートが付けられていたのだが、いったい何を言い付ければ、高級ホテルの支配人自ら頭を下げ、あんな小さな紙袋を渡しにくるのだろうか。
 そうして歩きだした雲雀は、町中から次第に人通りの少ない住宅街へ踏みいり、なんとなく見覚えがある川沿いを、のんびりと散歩しはじめた。
 少し後ろからみる背中は、普段着慣れているだろうスーツでも着物姿でもない、ラフなシャツとパンツという珍しい出で立ちだ。滅多に日に晒されないのだろう首筋が白く、目につく。それにかかる黒髪が、風に吹かれ揺れていた。
 確かに、休暇として正しいと思う。懐かしい風景を見ながら、どこにでもあるような軽装で歩くのは、案外心の洗濯になる。
 こうして歩いていれば、かつて町中で恐れられた不良の元締めも、ただの人にしか見えない。内実はともかく、時折すれ違う人々も、見慣れない人間を振り返るだけで、自分達が何者かなどとは想像もしていないだろう。
 イタリアから離れるというのは、こういうことなのか。
 沢田が、休暇なら日本がいいよ、と言う気持ちが少しわかった気がする。確かにここなら、誰に気兼ねすることはないし、ふとした瞬間に仕事の顔をしなければならないような事態にも陥らない。子供のころには、思いもしなかったことだ。
「…敵わねぇなぁ」
 頭を掻いて、肩の力を抜いた。雲雀云々の疑問はさっぱり解決していないのだが、せっかくの休暇だ。仕事はまだ残っているが、今日は休むと決めたのだから休もう。
「なぁ、雲雀ぃ」
「…気が抜ける呼び方止めてよ」
「いいだろ、別に。それよりさ、それなんだよ」
 数歩先を行く雲雀に追い付き、肩に手を掛け、手元を覗き込む。片手で抱えられた紙袋は、決して大きくはない。
「ああ、これ… そうだな、もういいか」
 ぴたりと足を止める。あたりは変わらない川沿いだ。橋と橋の間にある造られた河川敷では、数人の子供がボールを蹴って遊んでいる。連休とはいえ、全ての家族が遊びに出るわけではないということか。
「ここがどうかしたか?」
「ねぇ」
「あぁ?」
 不審なところも、ましてや目立つ何かがあるわけでもない場所で、足を止める要因はない。
 紙袋を覗き込んだ姿勢のまま見上げれば、雲雀の視線はこちらの頭の上、のさらに向こうを見ていた。つられて見てみれば、そこにはよくある自販機がぽつんと佇んでいて。
「お茶買って来てよ」
「……はぁ?」


 日本円を持っていない。
 そういうと、心底呆れたといわんばかりに顔を歪めた相手は、財布を投げてよこした。
「日本に来るのに持ってないなんて、今日までどうしていたんだか」
「全部カードだったんだよ! いまどき現金なんざ持ち歩くか!」
「持ち歩かないからこんな目に遇うんじゃない」
 河川敷に続くなだらかな坂道に腰を下ろし、大して美味くもないだろう缶に入った緑茶を飲みながら、器用にため息を吐く。小さな缶だというのに、そのため息が反響して、非常に不愉快だ。
 ち、と舌を打ち、同じように缶を開け、口を付けた。不味いわけではないが美味くもない温い茶が、喉を流れていく。
「はい」
 缶の中身を半分ほど飲み干すと、真横から手が伸びてきた。人差し指に一つだけ通された指輪が、その手のうえに乗せた小さな物体の影に隠れている。
「なんだ、これ」
 男にしては細い、けれど武骨な指に似合わない、紫色の何かを色のくすんだ葉で包んだそれは、まるでままごとの産物のようだ。子供が遊び半分で作ったにしてはきれいだが、何に使いどうするものなのか、さっぱりわからない。
「桜餅。知らない?」
「知らねぇ。餅? これが? 食いものなのか?」
 どう見ても餅には見えない。
「君の知ってる、のびるような餅じゃないよ。もち米を搗かないから」
「へぇー… あれ、もしかして、ホテルで受け取ってたのコレか!?」
「そう」
「あ、アホくせー……」
 たかが菓子を、ホテルの支配人に用意させたのか。
「僕が気に入っていた店が、知らない間に辞めていてね。そうしたらホテルが用意するというから、用意させただけ」
「…スイート貸し切りで連泊するような上客は逃したくねぇんだろうが」
 それにしたって、ここまでやるのか。
「ま、いいや」
 ぐたぐた考え込んだところで、ホテルの事情など知ったことではない。彼らも大変だろうが、自分にできるのは、今目の前に差し出された一つの菓子を食べることだけ。
「これ葉っぱも食えんの?」
「食べられなくはないけど、美味しくはない」
「じゃ、止めた」
 受け取った菓子の個装を解き、葉をめくって現われた薄紫に噛み付く。餅のようにのびず、甘味の薄い外皮に包まれた餡からは、かすかに桜の風味がした。
「うん、悪くない」
 日本の菓子独特の甘さを控えた味は、年に数度しか甘いものを口にしないせいもあってか、しつこくなくていい。一つ二つくらいなら食べられる。
「こんなのあるんだな」
「店で味は違うけれどね」
「ふーん」
 餡で甘くなった口に、茶を入れる。不思議と、先程と同じ茶とは思えないくらいに美味く感じた。
「この葉っぱ、何」
 残された葉は、何かに漬け込まれていたのか、ずいぶんとしんなりしている。多少べたつくのが気になるが、それからは塩のような味しかしない。
「桜」
「あ、だから桜餅?」
「そう。今年は日本での桜開花に間に合わなかったからね。代用というわけでもないけど」
「なるほどな、じゃあこれは一応花見なわけだ」
 河川敷で、目の前では子供たちがボールを追い続けるだけの、花など菜の花すら散っている風景だが。
「不満?」
 もう一つもらおうと紙袋にのばした指が、ぴたりと止まる。隣に腰を下ろした雲雀を見れば、黒瞳は穏やかな色をしているだけで。
 何を言いだすんだ、この男は。本当に。
「まさか」
 そりゃあ、花見とは言い難いし、なにもこんな平凡な光景を見ながら桜餅など食べなくても、ホテルでルームサービスでも頼んでシャンパン片手に人込みを見下ろすほうが、よほど豪勢だろうけれど。
 国に帰れば、そんなことは毎夜のようにしている。仕事だからだ。それが煩わしいと思ったことはあっても、楽しいと、休暇中にも味わいたいと思ったことは一度もない。
「たまになら、こんな花見もいい」
 食べなれない菓子と、自販機で買える安い茶と。
 酒も何もない春の日の河川敷で、ただのんびり座っているだけの花のない花見も、悪くはない。
「…そう」
 ふ、と息を吐くようにして、笑う。
「なら、よかった」
「おお。なぁ、それよりもう一個食っていい?」
 それ、と指した紙袋を、どうぞと渡された。受け取った紙袋の中には、プラスチックの容器に入れられた菓子が三つ、残っている。
「気に入ったの?」
「美味くね? これ」
「美味しいけど、君がそうまで気に入るとは思わなかった」
 あまり菓子など口にしないし、成人してからはもっぱら酒ばかりになっていたから、そう思われても仕方ないが、甘いものが嫌いというわけでもない。ごてごてした甘さばかりの菓子ならともかく、日本の味付けは案外口に合う。
「食べてもいいけど、あまり一気に食べると気持ち悪くなるよ」
「んー」
 取り出した固まりを口にする。ほのかな甘味と、不思議な桜の味が口に広がり溶けた。そんなに食べ続けるつもりもなかったが、言われれば確かに、このままいくつも口にすれば、ほのかな甘みも加算され続けてかなりの甘さを残すだろう。
 手にした缶も軽い。潮時かもしれない。
「じゃあ、これで最後」
 最後の欠けらを放り込み、指先に付いた餅を舐めとってから、最後に残った茶を飲み干した。
「ごちそうさん」
「どういたしまして」
 丁寧に会釈してみせる雲雀と、顔を合わせて笑う。
 くだらないといえばそこまでの、ままごとのようなやりとりだ。なんとも、休暇らしい。
 他愛もない会話をし、もう一本と改めて茶を買いに行くころには、ボールを追い回していた子供たちの姿はなく、日は中点を過ぎていて。
 やがて、どちらからともなく腰を上げ、ホテル迄の道を引き返すように歩き始めた。
 
 
 同じホテル、同じフロアで隣同士のスイートルーム。
 
 
 閉じられた扉は、一つだけだった。

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