負けず嫌いと天邪鬼

 今日も今日とて何もかわらない並盛中学では、恒例である風紀委員による正門での服装チェックが行われ、数人の生徒が厳重注意を、片手ほどの生徒が委員長直々に指導を受けることになった。
「ある意味、称賛に値すると思うよ」
 ため息とともに落とされる呆れた言葉に、片手のうちの一人である生徒は、これ以上なく不快な顔で眉を潜めた。
「何がだ」
「僕に毎回これだけやられているにもかかわらず、毎日違反ばかりで登校してくる君の無駄な根性が」
「っせぇな」
 口の中に溜まるわずかな血を吐き出す。歯は折れていないようだったが、口の中が盛大に切れているらしい。出したばかりなのにもう溜まり始め、唇の端からこぼれる血を手の甲で拭った。不快で仕方ない。
 並盛中の風紀委員は、風紀というより委員長の考えを守っている集団だ。服装チェックを筆頭に、基本部分は確かに風紀なのだが、そこから枝分かれしていく決まりごとは全て委員長の独断と偏見でしかない。でなければ、どうしてたかがネクタイをしていなかった程度のことで、制裁場と言う名の校舎裏に引きずり込まれ、朝から殴打されなければいけないのか。
 そのネクタイだって、別に忘れていたわけじゃない。無くしたから、今日のうちに新しいものを買う予定だった。そんな言い訳すら聞かずに一方的な暴力に及ぶなんて、風紀委員のやることだろうか。
「…ま、天の邪鬼な君のことだからね。叩きのめせばそれだけ反抗するんだろうけれど」
 かしゃん、と高い音がする。目の前に立つ委員長が、両手に携えた武器を袖にしまっていた。気が済んだらしいが、これでは本当に風紀のチェックというより委員長の気に食わなかったから、という理由しか当てはまらない気がする。
「わかっててやるんだから、てめぇも相当性格悪いぞ」
 天の邪鬼だどうだと言うのは自分ではわからないが、上から押さえ付けようとする力に反発したくなるのは、自分で理解している性格だ。それが理不尽であればあるほど、抗いたくなる。というより、従う理由が無い。
「そうだね」
「…認めんのかよ……」
「世間一般で言う、悪い性格であることは理解しているよ。けれどその評価が、僕に当てはまるとは思えないな。性格が悪いと世間が言ったところで僕は変わらないし、なにより僕自身が悪いと思っていないから」
「ああ、そうかい…」
 もっともらしい持論を展開した雲雀は、ふいと斜め上を見上げた。校舎内の、無人の教室に架けられた時計が、授業開始まで間が無いことを知らせている。
「授業が始まるな。早く教室に行ったほうがいい」
「そうさせていただきますー…」
 なんだか反論するのも面倒になり、壁に手を突いて立ち上がった。肩と腕、腹に受けた打撃が尾を引いて痛むが、昔馴染みがいる保健室に行く気もしない。おとなしく教室に戻ったほうが無難だろう。
「ああ、そうだ」
 制服に付いた砂を払っている間に、雲雀が近付いて来ていた。なんだ、と訝しみながら頭をあげれば、思いの外近過ぎる顔がすぐそばにあり、何の前触れもなく唇が触れる。武器を振るう凶暴さとは真逆の柔らかさで。
「な…!?」
「ネクタイ、風紀委員室に忘れてたよ。今日一日は特別に見逃してあげるから、放課後にでも取りにおいでよ」
 すぐ近くで、囁くように雲雀が笑う。その唇の端に、うっすらと赤い血が移っていた。
「っ、つか、それならこんな目に遭わされる理由がねぇ」
 今朝、散々ネクタイを探したが、どこにも見当たらなかった。部屋を引っ繰り返す勢いで探したというのに端すら見つからず、仕方なく朝一に買うつもりで家を飛び出した。正門での服装チェックがあれば、必ずうるさく言われる。それを回避するためだったのに、結局無駄になってしまい、今この現状になる。
 いくら探しても無いはずだ。まさか、目的地である学校に忘れていたなんて。
 それにしたって、学校に忘れている事を取り締まる側が知っていたのに、黙って制裁に移るというのはどうなんだ。それなら、忘れていたからと教えてくれるなり、見逃してくれても良いようなものを。
「口実を作っただけだよ」
「口実だぁ?」
 恨みがましくなる言葉に、さらりと反した嘘つきは、どこまでも横柄に胸を張る。自分のために人を陥れるような真似をするなんて、どんな風紀だ。
「そう。こんなもの一つで真っ赤になる天の邪鬼のためのね」
 楽しげに笑う唇の端を指で拭う。挑発するような仕草と、恩着せがましい台詞に、思わず腕で顔を隠した。まさか、赤くなどなっていないはずなのに。
「てっ、めぇ!」
「そんな顔じゃ迫力が無いよ。じゃあ、放課後にね」
 くるりと踵を反した雲雀は、肩に掛けた学生服を翻し、さっさと歩いていく。元から人の出入りが極端に少ない校舎裏は、曰く真っ赤になっているらしい自分だけが取り残されていて。
「あ、アイツ心底むかつく…!!」
 熱を持つように熱くなっている顔を隠したままつく悪態は、やっぱり誰一人として聞かれることはなく。安っぽい始業の鐘に紛れ消えてしまった。

 一日の授業が終わり、ようやく訪れた放課後に応接室の扉を叩いた獄寺はこの上なく不機嫌そうで、眉間のしわも三割ほど深くなっていた。
「すごい顔」
「っせえよ! さっさと返せ!」
 突き付けられた手のひらに、はいはい、とおざなりな返事をしながら丸めたネクタイを置いた。
「自分で忘れたのに、横柄な態度だね」
「お前が横柄とか言うな」
「何故」
「お前の方が横柄だから。つか、俺本当にここに忘れたのか?」
 返されたネクタイを首に掛けるだけで終わらせた獄寺は、訝しそうに呟く。深い皺は健在だが、三割の深さと不機嫌さは意地のようなものだったのだろう。不機嫌さも薄くなっている。
「昨日、ここに来るなり鬱陶しいって外した」
 いつもは沢田と帰路につくことの多い獄寺だが、ここ数日、沢田は特別補習を受けている。放課後になるとどこからともなく黒尽くめの赤ん坊が現れ、誰の手を借りることなく障害を乗り越え帰宅しろ、と言い付けるのだそうだ。手を貸せば心酔している沢田にペナルティが加算されることになると、獄寺は泣く泣く手を引くことにしたらしい。だが、そうなると放課後になど何もすることがないことに気づき、暇だから、という理由で閉校時刻まで応接室で過ごすことにした、と。
 随分とふざけた理由だとは思うし、部屋に来たとたん適当に着ているブレザーを脱ぎ捨てネクタイを外すという不遜な態度をとるのは褒められないと思うのだが、何を言うこともなく黙って本を読んでいるのは邪魔というわけでもないしと、結局放置している。
「そうだったか?」
「そうじゃなきゃ、勝手に外れた事になる」
「…それもそうだな」
 ようやく納得できたらしい。あれだけ自由に振る舞うのだから、ネクタイのひとつくらい簡単になくすだろうに、相変わらずそういったことには疎い。
 時間はすでに放課後。そのまま居座ることを決めたらしい獄寺は、どかりとソファに腰掛け、こちらを見ている。いつもは時間をつぶすために雑誌だとか携帯電話だとかを見ているのに、今日に限って何も持ってきていないようだ。
「お前、いっつも何してんの」
「風紀の事しかしてないよ」
 にべもない返事に、ふうん、とどうでもよさそうに呟く。そのまま、ソファに横になってしまった。本当にどこまでも自由だ。
 それきり、話すこともなく黙り込んでしまった室内には、ボールペンを走らせる音と、二人分の呼吸しかなく。随分と静かな時間だった。
「…何?」
 静寂が破られたのは、飽きることなくこちらを見ていた獄寺が、机越しの距離まで近づいてきたときだった。
「いや、人が字書いてんの、面白いなと思って」
「は?」
 突然すぎて意味がわからない。
「紙が白いだろ? そこに黒で文字が入るのが、見てておもしろい」
 獄寺は至極真面目な顔で、今や止まってしまった手元を見ている。
 ソファと執務机の間には、微妙だが距離がある。横になったままこちらを見ていることには気づいていたが、ずるずると這うようにして近づいて、終いには机に上半身だけ乗り上げるようにして覗き込んでいた。
 そうまでして何が見たいのかと思っていたが、まさか、字を書くのを見ていたとは。
「日本語は難しいから余計におもしろい」
「難しい?」
「文章に三つの形の文字が入り乱れるのは日本語くらいのもんだ。話す分には難しくはねぇが、書くのはとてつもなく難しい」
「へぇ」
 言われれば確かに、漢字に平仮名に片仮名という三種類の文字を使い、日本語は表現される。アルファベットだけの国から見れば、ややこしいかもしれない。
「じゃあ、君も苦労したわけだ」
「たいした苦労じゃねぇよ。ボンゴレは初代からして日本贔屓だったくらいだし、九代目は優秀な方でかなりの言語が話せる。ファミリー内の人間もそれに倣って、たいてい話せるしな」
 ぺたん、と机に顎を乗せる。
「俺は、母親がハーフだから、元から興味があったんだ。だから、そんなに苦じゃなかった」
「そう」
 なるほど、片親が血を引いてるとなると気になるものなのか。
「ああ。それにさ、漢字とか図形みたいだろ?」
 机の上から向けられる視線が、再び白いページに滑りだしたペンを追っている。漢字と平仮名が混在する文面は、見ようによっては複雑怪奇な文様に見えなくもない。
「おもしろいことを言うね」
「生まれてからずっと見てるおまえにしたら珍しくないんだろうけどな」
 名前の止めを最後に、ペンをあげた。書かなければいけないことはもう無い。
「それは君も同じだろう? 僕から見れば、君が書くのだろうアルファベットは呪文みたいだ」
 たかだか二十数文字で表現されるわりに、英語は難しい。理解できれば早いのだろうが、長く日本の英語教育を受けていると、読めはしても話せなくなるものらしく、例に洩れず話せたためしがない。
「日本語の方が難しいぞ?」
「君にはそうだろうね」
 はい、とペンを差し出す。首を傾げる獄寺にそれを押しつけ、引き出しからメモ帳を取り出した。
「何書かせんだ」
 ようやく意図を察したらしい。目の前に置かれたメモ帳を見ながら、受け取ったペンを手持無沙汰に回している。
「なんでも。さっきからずっと見てたんだから、今度は君が書く番」
「…おまえの理屈って、本当に意味わかんねぇ」
 ため息を吐くと、のしかかっていた机から顔を上げる。意味の分からない理屈でも、付き合うつもりはあるようだ。
 くるりともう一度ペンを回し、白いメモ帳に先を下ろす。黒いインクが走り紐のように一連なりに現れたそれは、いったいなんという意味なのかさっぱり掴めないくらいに崩され、有体に言えば、読めずわからない。
「…なんて読むの」
 学があるとは思っていないが、例えそれなりに知識があっても、これは読めない。
「雲雀の馬鹿」
「…いい根性だ」
「嘘だよ」
 くく、と笑いを押し殺す獄寺が、これで終わりとばかりにペンを投げ出した。
 残された紙面で踊る文字に、見慣れないアルファベット表記とはいえ、己の名前はないように見える。変な言い方だが、獄寺の嘘に間違いはない。
「じゃあ、何」
「自分で調べろよ」
「これだけごちゃごちゃしてたら分からない」
「そうか? 綺麗な字だって誉められてたんだけど」
「誰に」
「ガキの頃の家庭教師」
「それはまた随分と昔の話だね」
 子供時分には綺麗だったかもしれないが、そのころから成長していないというのなら、子供のような字、ということになるんじゃないだろうか。
「うるせぇな… じゃ、これ明日までの宿題」
 び、と破かれ、意味不明な文字が記された紙を差し出される。
 全く前後の話がつながらない。何の話だ。
「これが読めたら、明後日からまともな格好で登校してやるよ」
 不審な思いが顔に出ていたらしい。交換条件を突き付ける獄寺は、したり顔で笑っている。いい手を思いついた、とでも思っているのだろう。
 が、その顔はものすごく面白くない。
「遠慮するよ」
「あ?」
 付き返した言葉が予想外だったのか、眉間の皺が深くなる。したり顔も消え、意味がわからないという風だ。
「それは単なる罰ゲームだ。君が僕の言葉に従った結果ではないし、君を更正させたとは言わない」
 差し出されていた紙を取る。走る文字が何を記しているのか、やっぱりわからない。
 けれどこれは、読むことに意味がある言葉だ。単なる落書きで、たとえば獄寺の言うような小馬鹿にした言葉だったのだとしても、獄寺にできて自分にできないことなど、あるわけがないのだから。
「だから別に、僕がこれを読めても君が何かを変える必要はないよ」
 なにより、こんな言葉遊びの結果で、一時的とはいえ獄寺の態度が改善されてしまっては面白くない。叩きのめしても押しつぶしても這い上がって来るからこそ武器を振るう価値もあるし、更生させる甲斐もある。どれだけ這いつくばらせても決して屈しないところが気に入っているのだから、こんな遊びで楽しみを失ってしまう気はない。
「…一応、読む気はあるんだな」
 手の中から消えた紙を追う目が、こちらを見た。
 自分で言い出したことだというのに、獄寺の顔は不思議なものを見るような表情をしている。失礼な男だ。
「僕にできないことはないからね」
 読めというなら読んでみせるし、話せというならば話す。
「…負けず嫌いだな、お前」
 きょとんとこちらを見た獄寺が、吹き出すように笑う。馬鹿にしたのではない、静かな微笑い。
「天邪鬼な君に言われたくないな」
 ひらり、と紙を翻す。

 校舎閉鎖まで後一時間。
 新たに作られた口実に気付かないまま、必死に取り組む負けず嫌いは、様子を見る天邪鬼の柔らかい色をした目を見ることなく、辞書を睨んだまま過ごすことになる。

全国大会無料配布より。