夕月夜

「日本って祝日多いよな」
 唐突に、本当に何の前触れもなくそう獄寺が言ったのは、彼曰く多い祝日の一つでもある、ある休日の前日だった。
「そう?」
「大体毎月ある」
「ない月もあるけど、まぁ大体あるね」
 数えてみたことはないが、休日となると学校が閉鎖されるため、そのついでで覚えてはいる。一回か、多ければ二回三回と続く月もあるだろう。だがそれが何だというのか。
「それも意味が分からなねぇもんばっかり」
「意味なんて知らないけど、とりあえずなんの話?」
 全く前後の分からない話をいきなり始められたのでは、返事のしようもない。
 そう言うと、獄寺は広げていた本から顔をあげた。相変わらず怪しげなタイトルが書かれた表紙は、毒々しい色とにわかには信じがたい言葉で飾られているが、眼鏡をかけた獄寺の表情はどこまでも真面目だ。
「十月の祝日はさんだ連休に隣町でツチノコ探索ツアーがある」
「……へぇ」
 表情とよく合う、至極真面目な声だったが、内容はいかんともしがたいもので。
 曖昧になってしまった返事を、けれど相手は気にすることもなく、生真面目な視線をどこともなく向けている。
「けど、この祝日ってのが癖ものなんだよ」
「………どうして」
「最少催行人数、っての? ツアーやるのに必要な最低人数ってのが微妙になるんだよ。祝日だと、休みじゃねぇ奴とかもいるわけだし」
「ああ… そう」
「もうちょっと考えて組んでくれりゃいいのになぁ」
 盛大で深いため息をついた不可思議探究者は、再び雑誌に視線を落とした。その顔は、先ほどまでの真面目さをどこに置いてきたのかと思うほど、面白くなさそうだ。
 年中を通して祝日連休の多い国である日本において、祝日の存在しない月と言うのは六月と八月だけだ。現在は十月で、探索ツアーとやらがある祝日はカレンダー通りの休日。つまり、明日だ。おまけに、祝日をずらしてでも連休を作るという制度が新設されたおかげで、祝日に続き連休まで多くなってしまった。世には祝日が稼ぎ時という商売もあることだろうし、確かに祝日をはさんだ連休に企画されても、全員が参加できるわけではないだろう。
 だが、世間一般が休みに入るということは、その一般の中に紛れ込んでいる教育の場も、当然休みだ。他はどうだか知らないが、並盛中学もカレンダー通りの休日が予定されている。この時期らしく暑くもなく寒くもないし、窓の外は多少の雲はあれども晴れている。別に、参加できないことはないだろうに。
「最低人数が集まらなかったんだよ」
 そう言えば、ぶすっとした言葉を返されてしまった。
 ああ、なるほど。
「それで不貞腐れてるの」
 道理で、不機嫌そうな顔をしていると思った。大体いつもそんな顔をしているが、今日のそれは随分と子供っぽい。どうしたことかと思っていたが、まさか予定が潰されたせいだとは思いもしなかった。
「うるせー。あー畜生、折角の連休だってのに。残念ですがじゃねぇよ、前日になってそんなメール受け取る身にもなれってんだ」
「申し込みはしたんだね」
「ったりまえだろ」
 ふんぞり返っている獄寺に、それは残念、と返せたのは奇跡に近い。
 国民の休日となると、いくつかの部活に参加する生徒や、担当として出勤してきている教師はいるものの、大抵の人間が用事のない学校になど寄り付きもしなくなる。嬉々として羽を伸ばそうとする学生たちを取り締まるため、そうした日にも風紀委員は巡回に出かけているが、今日はどうにも気分が乗らなくて、すべてを副委員長におしつけて学校へは行かなかった。風紀としての仕事は全て終わらせていたし、学校で寝ていてもよかったが、それならば家に居ても同じだと、自宅待機を伝えた。
 さてではもう一眠り、と思いベッドに横になろうとした瞬間に、タイミングを見計らったような着信さえなければ、その計画は遂行されていただろう。
 仕方なく出迎えた相手は、本屋の紙袋を小脇に抱えて、ずかずかと自宅に入り込んだかと思うと、一番日当たりのいい場所を占領しておきながら、ずっとこの調子だ。本当に、何をしに来たというのか。
「これに行く予定だったから、十代目には留守にするって言っちまった」
「別に構わないんじゃないの?」
 中止になったと、そう伝えればいいだけの話だ。
 だが、何が気に入らないのか、獄寺は渋い顔で首を振る。
「十代目たちも出かけられてる。場所がかちあうことはないだろうから、どこに行くかは聞かなかった」
「…相変わらず、間の抜けたことだ」
「っせぇ」
 それで、どうしようもなくここまで来たわけか。
 沢田たちの行き先さえ分かっていれば、どんな手段を使ってでも追いかけただろう。だが行き先がわからないのならばどうしようもない。さすがの獄寺も、沢田に発信機までは取り付けていないようだし、何よりそんな理由で転がり込んでくるのは、悲しいかなよくある話だった。肝心なところで詰めが甘い獄寺は、よくそうやって一人勘違いをしたり、勝手に突っ走って失敗をする。そのたびに、なぜかここや応接室と言う名の風紀委員室に転がり込んできた。
 逃げ場になってやるつもりはないし、なによりそんな関係でもないと思う。時々は文字通り追い出しているし、さすがの獄寺も毎回毎回ここにきているわけでもないようで、見回りの風紀委員がぼろぼろになって帰ってくることがある。そういうときはたいてい、獄寺と接触して叩きのめされたあとだった。荒れているのだな、と放置するのが決まりだったが。
 逃げ場ではないし、甘やかすつもりもない。
 けれど、結局はこうして受け入れていることを考えれば、自分は意外にも獄寺に甘いのかもしれない。全く自覚もないし、そのつもりもないのだが。
「お前でも付き合ってくれりゃ、勝手に行くんだけどな」
「ごめんだよ」
 折角の休みだ。学校へ行く予定すら反故にして自宅にいることを選んだのに、どうしてわざわざいるはずもない生き物を探しに秘境探検へ出かけなければいけないのか。
 ちらりと雑誌から顔をあげ、眼鏡越しに見上げてくる緑色の瞳にきっぱりと返せば、不満そうに歪められた。
「前に付き合ってくれるって言ったじゃねぇか」
「今日は嫌だ」
 確かに以前、獄寺が意味の分からないことを言って繰り出した探検に付き合わされたことがある。時間もあって暇だったし、まあいいか、程度の軽い気持ちだったが、実に三日間を有した。さすがに、あれを数か月ごとに繰り返す気はない。気が向けば付き合わないこともないが、今日は休みの気分だ。
「お前本当に気まぐれだよな」
 ふん、と面白くなさそうに息を吐いた獄寺が、ごろりとフローリングに横になる。気まぐれ具合では獄寺も相当だと思うが、口に出さずに手にしていた単行本に視線を戻した。
 全く正反対と思っていたが、獄寺とは意外にも読書という共通点があると、最近知った。
 生活態度は最低だが成績優秀ではある獄寺の知識はかなりのもので、そのほとんどは読書から得たものらしい。自室にはさほど本があるようには見えなかったが、本人が言うには、昔読んだ本の内容を忘れていないし図書室や図書館を頻繁に利用している、らしい。だから、手元にはないが読書量は今もかなりのものだと。
 ミステリーからSF、果ては歴史書から科学書まで、その知識幅は広い。その中には、未確認生物だの未確認物体だの、まったく根拠のないものまで含まれているが、それ以外であれば読んでいるものは興味を引かれるものが多くて、何度か本を借りたこともある。今手の中にある本も、獄寺がその怪しげな雑誌とともに本屋で買ってきものだ。
「俺は後でいい」
 そう言って、差し出してきた。内容はフィクションのミステリーものだが、なかなかに面白い。こういう趣味はそれなりに合うのか。
「それで君、どうするの」
「何が」
 本に視線を落としたまま声をかける。横になったままらしい相手からの返事は、どことなくぼんやりとしていた。
「今日は単なる休日だけど、明日は祝日だろう」
「ああ」
「連休の間に出かけるようにしていたのなら、明日も沢田にはそう言ったんじゃないのかい?」
 冒険に連れ出された時のような、何日間も連続する休みではない。せいぜい、土曜日から数えても三日間の連休だ。その間に予定を組むはずだったのなら、少なくとも明日まで、獄寺は並盛を出ているはずだ。沢田の帰宅予定まで知るはずもないが、もしそれが三日間の連休が終わるまでなのなら、同じく明日まで沢田一家はこの街には帰ってこない。
 なら、この男は明日をどうするのか。
「……お前はどうするんだよ」
「質問を質問で返すのは感心しないな」
 ぺらり、とページをめくる。薄いページの先では、三章がしめられていた。
「明日にならなければ分からないけれど、気が向けば学校に行くよ」
「気が向かなきゃ」
「さあ、寝てるかな。今日がそのつもりだったから、その分」
 この調子なら、そうなる可能性が高いだろう。
 連休になれば、特に学生は風紀を乱しやすい。だからこそ、休みの期間は巡回も厳しくしていた。ほとんどの風紀委員がその番に当たっているが、指揮は副委員長だけでも事足りるものだ。何も問題が起こらなければ、仕事もない。学校に行かなければいけない理由はなかった。
 午後になっても日差しは気持ちいいし、フローリングだというのに床も温まっている。明日の天気も、予報では今日と変わらないはずだ。手元には好みの本もあるし、出かける気分になる可能性は、限りなく低い。
「ならそうしろよ」
 黙って聞いていた獄寺が、尊大なことを言う。
 思わず本から顔を上げてフローリングを見れば、雑誌を放り出しごろごろと横になっている獄寺が、それでも上半身だけは起こしてこちらを見上げていた。妙に強い光を反射する緑は、見覚えのある、真面目な瞳だ。
「何?」
「だから、休みにしろって」
「随分な物言いだな」
 確かにそうなる可能性が高いとはいったが、必ずそうなると決まっているわけではない。まして、獄寺に命令されるようなことではないのだが。
「お前が明日学校に行くと、俺が暇になる」
「…理由にならないけど」
「十分だろ」
 ふん、と鼻すら鳴らしそうな態度に、むっとする。
「お前が明日休みにするなら、今日はもう帰らない」
 けれど、続く言葉に思わず目を見開いた。
「…今日はずいぶんと口が軽いようだけど、今度は何を言い出したの」
 ぽんぽんと、よくそんなにも予測できない言葉が口から出てくるものだ。いっそ笑いだしそうな顔をした獄寺は、頬杖をついてこちらを見上げる。
「明日までは出かけてる予定だったから、家にいる気分じゃねぇんだよ。っても、他に行くところもないし、お前が明日もここにいるなら、今日は帰る理由がない」
 その様子は気だるげで、今にも欠伸をもらしそうなほどだ。秋にしては日差しが暖かく、眠くなる気持はとてもよくわかる。だが、その口から洩れてくるのは、どう聞いても理由にならない理由だ。
「僕の意思は関係ないわけだ」
「お前が俺にそんなこと聞いたことがあるかよ」
「ないね」
 いちいち気にしたこともない。
「なら、聞かれなくても仕方ないだろ。たまにはわがまま聞けよ」
 ついていた頬杖をはずし、再び床に転がる。窓の形に切り抜かれた柔らかい秋の日差しの中に広がる銀色の髪が、眩しいくらいに反射していた。その色はかすかにオレンジを帯びていて、こちらに向かい伸ばされる指の影も、どこか不思議な色をしている。
「…結構、普段から聞いてると思うんだけど」
 今から家に行くから、という尊大な電話に、否と伝えなかった。
 堂々と敷居を跨ぐことも、横になることも、何一つ止めなかった。それだけでも、十分すぎるほどにわがままを聞いている。甘いんじゃないだろうかと、自分を疑うほどに。
「そうか」
 なのに、そんな一言だけで笑って流した獄寺の指が、シャツの襟にかかる。くい、と軽く引かれ、床に肘を突き、覗きこむようにして体を落とした。
「じゃあ、とりあえずもういっこ聞け」
「何」
 間近に見下ろす緑が、薄く閉じられる。僅かな間を詰めるように伸びあがり、ちゅ、と軽く音をたてて唇が触れた。
「飯まで寝かせろ」
 夕べ悔しくてあんまり寝てないんだ、とあくび交じりに呟き、体が離れる。中途半端な姿勢でいるこちらを置き去りに、床に戻った獄寺はもうすでに半分夢の中だ。
「……勝手なものだな」
 明日出かけないとは言っていないし、帰らないことを了承もしていない。まして、食事の世話までしてやるとは、一言も言ってはいない。なのに、それまで寝るから用意ができたら起こせと、そういうのか。
 何か面白くなくて、目の前で寝息を立てる獄寺の鼻を摘まむ。しばらくすると眉間に皺が寄り、口が開いた。
「まあ、いいか」
 そのあまりに間の抜けた様子に、笑いが漏れる。
 摘んだままの鼻を放し、中途半端だった体をフローリングに横たえた。日差しで暖められた床は、硬くて熟睡はできそうになかったが、仮眠くらいには丁度いいだろう。隣からは、すうすうという寝息だけが聞こえている。
 窓の向こうには、わずかに傾き始めた太陽が見える。まだ夕方にもならない時間だが、日の入りが早くなるこの時期には珍しいことでもない。その太陽の後を追うように、真っ白で薄い月が見える。あの月が沈んだ太陽の代わりに輝きだすまでは、もうしばらくかかるだろう。そうなるまでは、起こす必要もない。
 改めて横になって、手にしたままの本を開いた。
 全四章のミステリは、あと一章で終わりだ。読み終わったら、食事の準備をして、獄寺を起こそう。そのころには、あの月も彼の髪と同じような、本来の色を取り戻しているだろうから。

「冬の幻」本編に入れそこなった秋の話。