01.腕を組む

「ツーナさんっ。おはようございまーすっ」
「うわっ!! は、ハル!?」
 突如、朝の爽やかな登校時間に割り込んできた他校の女子生徒に、思わず声を上げる。
「なっ… テメェこのアホ女! どっから沸いてきやがった!」
「失礼ですよっ。ハルはちゃんと道路を歩いてきました。ボウフラみたいに言わないでくださいっ」
「大差ねぇだろうが、毎度毎度振って沸いて出やがって」
 体全体で威嚇してくるハルは、ぎっちりと自分の腕をこちらの腕に絡めて、何があっても離すものかという態度だ。それに逆上する獄寺の言葉が、辺り一体に響き渡る。
「あ、あのさ、二人とも… とりあえず、静かに歩こうよ…」
 ざわざわと騒がしい朝の通学路。当然、同じ学校や違う私立学校に向かう生徒でごった返していて、こんな場所で騒いでいては目に付く。
 そう伝えたかった己の言は、どうしてだか全く違う意味で二人に取られてしまい。
「そうだっ。十代目はこれから学校にいかれるんだ、テメェみたいな騒がしいのが居たらおちつけねぇだろうがっ」
「違いますっ。ハルはただ、朝の時間をツナさんと静かに楽しみたいだけなんですっ。それを邪魔しているのは獄寺さんじゃないですかっ」
「んだとテメェ!! そもそも学校違うだろうがっ!!」
「小学校時代にお会いしていたら絶対に同じ学校に進学しましたっ。今だって本当は編入したいくらいなんですっ」
「絶対来るなっ」
「はひーっ!! なんで獄寺さんにそんな命令をー!!」
「いや、だから、あのさぁ…」
 駄目だこの二人。
 全く言うことを聞かない二人を目の前に、今日一日の元気を既に使い果たした気すらする沢田は、はあ、と肩を落とした。

 風紀がなってない、と獄寺が応接室に乗り込んできたのは、その日の昼だった。
「……まさか君がそんなことを言って来る日が来るとは思わなかったよ」
「うっせ。お前の管理不行き届きを直に忠告に来てやっただけだ」
 聞き様によっては恩着せがましい言葉を聞き流し、それで、と話の続きを促す。
「この学校で一二を争うくらい風紀を乱している張本人が忠告に来るくらいの乱れを、誰が持ち込んでるって?」
「ちいせぇ嫌味言ってんじゃねぇよ!! 他校生だ他校生、出入り許すなんざテメェの部下穴だらけじゃねぇか!」
 ぎゃあ、と机をひっくり返さんばかりの憤りを見せる。どうしてそんなにハイテンションでいられるのか、未だに理解できない。
「他校生? 聞いてないけどな…」
 ここ数日、部下から聞き及ぶ範囲で、他校生が校内に入り込んだという報告は一つもない。一般の市立中学のわりに制服も特徴あるものだし、よくある制服でもある学ランは風紀委員独自のものだ。たとえば他校生が学ランを着て入り込んだとしても、数の多くない委員の誰かが必ず気づくはず。そうしたら、報告がこの耳に届かないはずがない。
 ということは、九割九分、獄寺の勘違いだということになるのだが。
「とりあえず、特徴を聞いておこうか」
 残りの一分に対して、多少の情くらい持っている。
「女だ。えーっと、なんとかって女子中学に行ってるって聞いたな」
「曖昧な情報だ」
「興味ねぇことなんか覚える気ねぇんだよ。名前は」
 忌々しげにこぼされる名前。どれだけ嫌いなんだろう、と思うと同時に、一つの仮説に行き当たる。
 今しがた獄寺が口にした女子生徒は、確かに他校生だ。何度か、校内に侵入しようとしていたのを、風紀委員が取り押さえ校外に放り出している。そのたびにどうでもいいような憎まれ口を叩いていくものだから、意外と委員たちの間では評判になっていた。外見がそれなりであることと、他校であるがゆえに違う制服であること。自分からしてみればどうでもいいような理由も付随している、風紀委員におけるブラックリストワースト入りを果たしている名前だ。
 そしてそのリストに書き足された備考。
 進入の目的。二年A組沢田綱吉。
「…なるほどね」
「え? なにがだ?」
「つまり君は」
 大した説明すらしないままに納得したような言葉を漏らしたことに、獄寺は心の底から不思議そうな顔をしている。
 彼は本当に、自覚が足りない。
 苛立たしい思いをどうにかして押さえ込もうと、わざと威圧的に腕を組み、ソファに座ったまま足を組んだ。
「その女子生徒が君の崇拝する十代目とやらに近づくのが面白くないから僕にその女子生徒を排除しろ、と言いたいわけだ」
「げっ! な、んで」
 判るんだ、と続きそうになったのだろう言葉を止めて、自分の口を手で塞ぐ。
 全く、腹立たしい。
「どうして? 君の考えそうなことだ。どうしたって君の眼中には沢田しかない」
 多少のわがままなら許容しよう。九割九分わかりきっていた答えでも、残りの一分にかけてやる程度の情も、自分なりの愛情もあるつもりだ。
 けれどそれさえ理解せず、あまつさえ利用し好き勝手にするというのならば、もう知るものか。
「話は聞いた。善処しよう。ほかに?」
「え、あ、いや、別に…」
「そう、なら」
 組んだ腕を解く。足を伸ばし、机に向かった。
「出て行ってくれない? 僕にはまだすべきことがある」
 実のところ仕事はそう多く残っていない。昼の休憩も、そう間を置かずに終わってしまう。午後一番の授業は中々興味を惹かれる教科だったから出席しようと思っていたが、止めてしまおう。どうにも気分が乗らない。こういうときは、中庭や裏庭を巡回し、取り締まるという名目で憂さ晴らしをしたほうがよほどいい。
 そうだそうしよう。
 決め込んで、残り少ない仕事に手をつける。
 数枚の処理を終えたところで、今日は下校開始時刻には帰れる予定だったから、誘ってみようと思っていたのだということを思い出した。委員からの報告は携帯でも済ませられる、たまになら、先に帰っても支障はないだろうからと、そう思っていた。
 全て、無駄になったけれど。
 ああイライラする。どうして、たった一人のことにこれほどまでに振り回されなければいけないのか。理解できない、信じられない。自分のことでないのならば、鼻で笑い飛ばしてしまうような感情が、頭のみならず体中を駆け巡っている気がした。
「…雲雀」
 がりがりと音を立てそうなボールペンに混じって、微かに名を呼ばれた。けれど、視線など上げなかった。今視界にその姿を納めてしまえかば、腹立たしさから何をするかわかったものではない。実力行使に及ぶことに躊躇いはないが、今は正直、そういった手段ですら構いたくなかったのだ。
 時計の味気ない音とボールペンが紙を滑る音が、室内に響く。
 やがて書類も少なくなり、元々量の嵩んでいなかった委員仕事はあっけなく終わりを迎えた。本当は昼の間に全部終わってしまえばいいと思っていた程度だったのに、結局時間を余らせてしまった。それというのも、出て行けといったにもかかわらず部屋に居続ける獄寺に意識を向けたくないと、仕事にばかり集中していた所為だ。
 しかたなく、終わった書類をまとめ、角を机に落とすことで揃える。とんとん、という軽い音に、立ち尽くしたままの獄寺の肩がぴくりと震えた。
 立ち上がれば、椅子が微かな軋みを上げる。動かないのか動けないのか、その場に立ち尽くしたままの獄寺の脇を通りぬけて、部屋を出た。
 昼食を取ることもしないまま、本来なら教室に戻るつもりだったものを、そのまま屋上へ続く階段へと足を向ける。逆に階段を下りていく生徒たちは、逆流する姿を見ても何も言わず、道を開けて足早に過ぎていく。賢明な判断だ。
 錆付いた音を立てて開く扉を抜けると、そこに広がるのは憎たらしいほど晴れ渡った青空で。
 ああ本当に気に食わない。こんな日こそ、曇って憂鬱な天気であればいいのに。そうすればきっと、この抱えていること自体が腹立たしい感情にも、天気が悪いせいだ、なんて難癖がつけられるのに。
 フェンス越しに下を覗けば、皆一様に校舎を目指していた。裏庭にも、いつもとぐろを巻いている不良生徒が見当たらない。今日に限って正しく教室に戻ってしまったのか、それとも、最初から休んでいるのか。欠席者リストは遅刻者リストと照らし合わせるために手元にあったが、目立って多くもなかった所為で細かい名前まで目を通すのを忘れていた。もしかしたら、全員そろってサボっているだけかもしれない。
 本当に間が悪い。なんだって、今日みたいな日に限って八つ当たりをする相手もいないのか。
 仕方なく、定位置になっている給水塔の陰に陣取った。
 八つ当たりで気が紛らわせないのならば、残る方法は一つ、寝てしまうに限る。
 くあ、とあくびを漏らして、目を閉じる。強いほどの日差しは給水塔に遮られ、まぶたの裏にまで届かない。
 腹立たしい思いはまだ残っているが、それでも眠れなくはなさそうだった。数度落ち着いて呼吸を繰り返せば、体はあっさとり睡魔を手繰り寄せる。意識が、薄く張られた水の中に沈むように落ちていくと、そこには一人きりの静かな世界が広がっていた。

 次に意識が水辺から戻ってきたのは、終業を知らせる鐘が響いたときだった。
「随分寝てたな…」
 時計代わりの携帯を持ち上げ、開く。味気ない待ち受け画面に表示された時間は、ぴったり三時半だった。昼の休憩終了が一時。簡単に計算しても、二時間半、寝ていたということだ。珍しい。
 睡眠が浅いのか、昔から熟睡できた例などない。それでも最近は、ぐっすりと眠れることもあった。その原因というか、認めたくはないが大きな要因ではあるだろう人物を思い出すと、寝起きにもかかわらず腸がぐつりと煮えた。
 いい加減、しつこいな。
 自分のことながら呆れて、ため息をついて体を起こした。あれほど力強かった太陽は傾き、力を徐々に弱らせている。空は、青と藍と茜で複雑な色をしている。
 その中に、銀色が混じっているのに気づいたのは、伸びをして立ち上がろうとした瞬間だった。背を預けていた給水塔に同じように背を預け、けれど角度にしてきっちり九十度右にずれた位置で、微妙な距離を取って、眠っている。
 どうしてここに、と疑問に思いながら顔を見れば、随分と目元が赤い。泣いた、というよりは、泣く寸前だった顔だ。
 一体なぜ。
 僕は、君の望みに反することは言わなかった。善処すると、そういった言葉に嘘はない。多少風紀の取締りをきつくすればいいだけの話だ、その段取りは明日決めるつもりでいた。
 なのにどうして、泣く必要がある。
「…ぅ、ん」
 軽くむずがるようにして、銀髪が揺れる。うっすらと開いた緑色の瞳が、ぼんやりとあたりを見回して、こちらを目に留めた瞬間、ふわりと溶けた。吐息交じりの小さな声が、ひばり、と舌足らずに名前を呼ぶ。
 力の入っていない手が伸びてきて、制服の腕を掴むと、そのままくるりと抱き込んだ。寝起きで体温が上がったままの腕は温かく、心地いいのか、獄寺はまた緑色の目を閉ざして睡眠体勢だ。
「…隼人?」
 声をかけても、ぴくりともしない。引き摺られるようにして隣に移動すれば、当たり前のように肩に銀髪が触れる。腕は相変わらず絡められていて、大した力でもないのに振りほどけない。
 たたき起こすことは出来ただろう。腕を振り解いて、軽く一撃を与えればすぐに目を覚ましただろうし、そのままにして帰っても良かった。
 そうしなかったのは、否、出来なかったのは、どうしてなのか。
 くつり、と煮え立った感情が静まり始める。小さな気泡はなりを沈め、やがて穏やかな水面となってしまう。
 馬鹿みたいだ。たったこれだけのことで、失礼極まりないあの態度を許してしまうというのか、僕は。
 まして相手は反省の言を口にしたわけでも、態度で示したわけでもない。間抜けな顔で眠っているだけだ。
 逃がさないとでも言うように、その腕を取ったまま。
「……覚えてなよ」
 絶対に許しはしない。こんなことで絆されるような自分じゃない。
 だからこれは、許した証じゃない。
「忘れないためだ」
 薄く赤に染まる目元に口づけて、舌を這わす。ぴく、と震える頬を掠めて離すが、それでも起きる気配はない。
 もう少しだけだ。今日はもう、片付けなければいけない仕事はない。全て終わらせてしまっているし、委員たちも自分たちの仕事を理解しているから、勝手に決められたとおり仕事をしていることだろう。
 自分の憂えることは何もない。
 だから、起きるまでの間くらいなら付き合おう。
「言い訳はその後でもじっくり聞いてあげるよ」
 僕は優しいね、と。
 小さくつぶやけば、まだ起きる気のない獄寺の口からもう一度、柔らかく名前を呼ばれた。

獄寺誕生日限定拍手。喧嘩。