02.抱きつき

 とにかく細いのだ。
 何が、と問われれば、全部が、としか言いようがないほどに。

 獄寺隼人という人間は、とにかくどこもかしこもが、細い。

「だからなんだ」
「うん、それだけなんだけど」
 思ったままのことを口にすれば、意味わかんねぇ、と舌打ちと憎まれ口が返ってきた。
 イタリアで生まれ、幼少期が終わりを迎える前に自宅を飛び出したというこの男は、だからかと納得できるほどに、発育不良だ。同級生たちの中で見ればそう目立って低いわけではない身長も、多少なり外国の遺伝子を持つのなら違和感がある。横幅も、隣に同級生である野球部員が立つとその細さが良くわかる。腰なんて、掴もうと思ったら簡単につかめてしまうほどだ。
 本人いわく、太りにくい体質、らしいが、そんな話をしたいわけじゃないといつも思う。
 太るとか太らないとかじゃない。そもそも、太っては欲しくないのだから。
 簡単につかめる腰も、細身のパンツがすっきりと収まって見える細く長い足も、フィットしたシャツが綺麗に見える薄い胸板も、色素の薄い髪も、宝石みたいな緑の瞳も、いつまでも見ていたくなるほどに気に入っている。それを失わせるようなことはしたくない。だから、決して太って欲しいわけではないのだ。
 しっかりしてほしい、のだと思う。
 今の獄寺は、風が吹けば飛んで行きそうなほどだから。
「んなわけねぇだろ…」
 呆れた言葉に、ちらりと視線を上げた。
 応接室に備え付けられたまま、今では風紀委員のものとなったソファの上で雑誌をめくっていた獄寺が、言葉どおりのつまらなさそうな顔でこちらを見ている。その緑色の瞳は、それでもやっぱり綺麗だ。
「紙じゃねぇんだ、テメェ俺をなんだと思ってやがる」
「そういう意味でもないんだけど… けど、自分でも思わない?」
「お前に言われたくねぇよ」
 そういわれては、確かに反論はしにくい。
 身長差は一センチしかない。一センチ分、自分の方が高い。なのに体重もほとんど違わない。つまり、大差ないのだ、自分と獄寺の体格は。
 一方的に細い細いと言われ続けたことに気分でも害したのか、獄寺はいつも以上に眉間に皺を寄せている。可愛くない。
「大体、俺もテメェも成長期だろうが。今から伸びるし筋肉もつく。こんなのは、今だけだ」
 持ち上げた自分の腕を、細い指がするりと撫でる。その仕草が酷くいやらしかったのだけれど、口に出さずに、そんなものか、と適当な返事をした。
「そーだよ。つーわけでこの話題は終わり」
 ぱたん、と雑誌が閉じられた。
 それも確かにそうだろう。互いに未だ発展途上の体で、時々関節が痛むことがある。まだ身長が伸びるのは嬉しいのだが、あの逆らえない内側からの痛みには辟易としてしまう。男は二十歳を越すまで身長が伸び続けると聞いたことがある。そうなれば、獄寺のあの細い腕も多少はまともになるのだろうか。
「それよりまだあんの? それ」
「え、ああ。うん、まだ」
「いっつも何してるんだよ。一学生だろうが、一応は」
「一応も何も学生だけど。委員会の仕事って意外と多いんだ、他の委員会は知らないけど、風紀は毎日が仕事だからね」
 文化祭や選挙などがあるときだけ活動すればいい委員会と違い、風紀は毎日が活動日だ。今日も今日とて、手足となり走り回っている委員たちがいる。委員長になれば会議だってあるし、自ら粛清に出向かなければ解決しない問題もある。意外と忙しいものなのだ。
「ふーん…」
 興味もなさそうな言葉が、先ほどより近くで聞こえる。ソファから立ち上がった獄寺が、すぐそばに立っていた。
「何?」
「暇」
「…だから持ってきたんじゃなかった? その雑誌」
 ここに獄寺が顔を出すのは日常茶飯事、というほどには頻繁ではなかったが、それでも多いほうだろう。他の生徒などは近づきもしない。
 ここに来れば自分が居ることはわかっているだろうが、それと同時に、たいてい委員の仕事をしていることも知っている。暇を潰すようなものは無いということも。だから、この部屋に入るときには雑誌程度の持ち込みは許可していた。何も与えなければ不機嫌になり、さっさと帰ってしまうからだ。だから今日も、随分とページの厚い雑誌を持ってきていたのに。
「読み終わった」
「もう?」
「写真ばっかで面白くねぇ。シルバーの特集記事だけ読めればよかったんだ、俺は」
 不貞腐れた言葉に、少しだけ笑い、ペンを置いた。
「仕方のない」
「うるせぇ」
 手を伸ばせば、昨日とは違うリングが嵌められた指が、そっと乗せられた。握りこんで緩く引き寄せれば、ふわりと膝に降りてくる。
 本当に、細い。
 膝に座られれば、それは当然重いけれど、耐えられないほどでもない。むしろ、男なのに女みたいな軽さでびっくりする。繋いでいない手を測るように腰に回せば、やっぱり届く。抱いたことがないからわからないが、女でもここまで細くないんじゃないだろうか。
 繋ぐ指も細い。肩に乗せられた銀髪もふわふわして首筋を撫でるし、目の前にある肩なんて薄すぎて怖いくらい。
 そう、怖い、のかもしれない。
 繋いだ指を離し、片手だけで緩く抱いていた体を、ぎゅっと力を込めて抱く。
「っ… 何」
 緩やかな抱擁に目を細めていた獄寺の、咎めるような声がするが、気にせずに抱きしめた。
「うん、なんとなく」
「お前、そればっかりだな… 苦しいんだけど」
 ふう、と息を吐いた獄寺の息が耳を掠める。それでも逃れようとしない体は、今も大人しく腕の中にある。
 恐怖。
 それは、今まで知りもしなかった感情だ。
 いや正確には、恐怖とは言わないのかもしれない。
 怖いわけでも、恐ろしいわけでもない。ただ、不安なのだ。
 腕の中に今息づく体は、簡単に崩れてしまいそうに頼りなくて、この腕にもう少し力を入れれば、バキバキと音を立てて壊れていそうで。
 勿論そんなことはしないし、言うこともないだろうけれど。これでも自分なりに大切に扱っているのに、こんな頼りない体では、それでも壊してしまいそうだ。
 年を経れば、もう少しは逞しくなってくれるだろうか。力いっぱいとは言わないけれど、思いの丈を込めて抱きしめる、それが許されるくらいには。
「隼人」
「んー?」
「今晩、食べにおいでよ」
「はぁ? 夕飯?」
「そう。そうだな、明日もあさっても」
「…なんなんだよ、急に…」
「なんとなく、一緒に食べたくなっただけ」
 逐一言い聞かせることはしないだろうが、一緒に食べていれば、その様子を見ていることは出来る。それで次の献立を考えて、少しずつでいいから、成長させていこうと思う。
 幼い子供の時分から、たった一人で生きていくことを選んだ子供。
 食べることも満足に出来ない日もあったろうし、寂しさに心が砕けそうになったことも、きっとある。その思いを獄寺が口にすることはないが、二度と味わわせず記憶を薄めていくことは出来るだろう。これからの時間で、少しずつ。
「……うまいもんなら、行く」
「僕がまずいもの食べさせたことないでしょう? 失礼だな」
「うん」
 大人しく膝に座る獄寺が、ちらりとこちらを向く。銀髪の間から覗く緑が、どこか潤んでいる。
「結構、美味い」
 ふにゃり、という擬音がぴったり来るような緩い笑いを浮かべて、その目が閉じられた。
 ああ本当に、こんな笑顔一つで、レパートリー増やさないと、なんて思ってしまっている自分が、滑稽で仕方ない。
 でも、嫌でも嫌いでもない。この腕にある体を、少しでもいい、自分のこの溢れそうな思いを受け止められるくらいに育てられるのなら、厭う事など何もない。
「じゃあ、買い物して帰ろうか」
「おう」
 子供みたいな返事と、抱きついてくる細い腕が、ただ愛しくて。
 知らず浮かべていた笑みに、獄寺が言葉をなくしてしまうのは、雲雀の与り知るところではなかった。

獄寺誕生日限定拍手。甘やかし。