04.膝枕

 そもそも、疑問を持つということ自体がいけなかったのだ、と思い知るのに、優に片手ほどの年月を要した。
 自分はまだまだ修行が足りない。
 そう思った。

 並盛中学を卒業し、一般的な高校に進学した後、中学時代から崇めるようにしてそばに居た男の作った研究機関の、副官の地位を与えられた。一体何のための研究施設なのか。それは、まるで御伽噺のようなアイテムと、その仕組みを紐解く場所だったのだと、気づいたのはそれから一週間後だ。
 ここに、一つの匣がある。片手に乗る程度の小さな匣で、一面にのみ何かをはめ込むようなくぼみが出来ている。その穴を分断するように、匣の面には亀裂が入っており、勘が良い者なら、穴は鍵穴で亀裂は匣の扉だと気づくだろう。それに気づくのには、五分とかからなかった。
 問題は、その鍵である、指輪だ。
 どうみても普通の指輪だ。ただ、サイズがフリーサイズであることだけが特徴のようで、目の前に広げられた指輪にはそれぞれ違う色の宝石が填まっている。
 橙、水、赤、紫、黄、緑、藍。
 それだけの色を取り揃えた指輪には、それぞれ意味があるのだという。その種類を覚えるのに三日かかった。これは記憶力の問題ではなく、理解に苦しんだ所為だ。
 果たして、どれだけの人間が簡単に信じられるだろうか。
 石の色は属性の証で、その宝石には体内に流れる力を注ぐことで炎が灯るのだ、と。
 その仕組みと、まるでファンタジー小説のような設定を理解できるまでに、一ヶ月近くかかった。
 だが、信じるのは早かった。どれだけ物語のような存在でも、目の前に見せ付けられたのでは信じる以外に無い。それを拒否するのは、愚か者のすることだ。
「お前は察しが良くて助かる」
 滅多に笑うことの無い上司は、そう言っていた。
 この研究施設は、一応は財団という名をとってはいるが、日本の法律に則った施設ではない。金銭も、かつて配下に置いてきた者たちからの寄付が基本で成り立っているが、指輪や匣を搾取するために潰れたマフィアなどの遺した財産などが充てられる事もある。
 だが、研究を進めれば進めるほどに、わからないことがある。
 誰が作り出したのか。
 これは、研究が進み始めた初期段階で判明していた。
 しかし何のために。
 いつまでたっても解明しない。それらしい答えに近づいたと思えば、また引き離される。
 一進一退の研究成果を、けれど財団トップは酷く楽しんでいた。
「世の中の全てがわかりきったことだなんて、面白くないだろう?」
 どうしてこんな研究を、と問うた時、口元に小さな笑いを浮かべてそう言った。
「まだ僕の知らないことがある。そしてその謎は、僕に力を与えるんだ。これからきっと、時代は指輪や匣を多用するものに変わっていくだろう。研究機関は僕らだけじゃない。敵対するものも出てくれば、奪い合いになるだろう」
「委員長」
「楽しいと思わないか? 草壁。僕の知らないことが世の中にはあり、それを紐解くことに、未だ誰も成功していない。謎が手の内にあるんだ。そしてこの謎は餌になり、僕の元に獲物を運ぶ。興味は尽きない」
 まだ高校を卒業して間もない頃で、名前を呼ぶことも出来なかった頃の話だ。
 あれから数年が経ち、いつの間にか委員長ではなくファーストネームで呼ぶようになり、草壁ではなくファーストネームで返されるようになった。別段、それで急激に距離が縮まったのかというと、そういうわけでもない。相変わらず雲雀は自由気ままに行動したし、自分はそれについて回るのが役目だ。
 財団は規模を増し、雲雀の期待通り、狙われる回数が増えた。そのほとんどが、狙いにたどり着く前にトップじきじきに粛清されてしまう。自分たちに任せて欲しいと何度か部下たちに言われたが、それこそが雲雀の目的の一つなのだから気にするな、と言い聞かせる。これも毎度のことだ。
 武器も何度も代替わりした。強度は申し分ないが重すぎる、ギミックの出現に時間がかかりすぎる等、そのたびに改善されてきたトンファーは、今では雲の炎を灯せるほどのものになった。
 財団には、今日も指輪と匣に関する情報が届けられる。
 研究は一進一退。毎日が試行錯誤。
 けれど、これが意外に楽しいものだった。
 あのまま日本に居れば、大学に入り卒業して、今や毎朝の日課となってしまったリーゼントの手入れすらすることもなくなり、毎日毎日地味に会社に通い、仕事をし、収入を得て、もしかしたら結婚くらいして子供の一人でも居たかもしれない。
 そんな、極普通の生活をしていたのだろうと思う。あの時、雲雀に言われるがままにこの研究所へ足を踏み入れることがなかったなら。
 それを後悔することはない。むしろ、感謝している。
 普通の、安穏とした生活など、心の底では全く望んでいなかったのだから。

「失礼します」
 イタリア北部の小さな町にある、風紀財団の本拠地。そこは一番最初に作られた施設であり、一番厳重に警備されている場所でもあった。ここ数日間、あまり留まることをしない雲雀が羽を休めているのがこの古い施設で、当然、同行している自分も同じ時間だけここに逗留してる。
 全ての施設に共通して作られている、トップのプライベートエリア。全体的に和風で纏められた廊下を歩き、障子を前に膝を着く。かけた声に、けれど返事はなかった。
「…恭さん?」
 再度かけても、返事はない。
 もしかして休んでいるのだろうか。眠っているところに声をかければ、恐ろしいほど眠りの浅い雲雀はすぐに目を覚ます。重要な用件でない限り制裁を食らうが、今日ばかりは起きているはずだ。起きているのなら、都合の悪いときは後で聞くと返答があるし、問題がない場合は入れと言われる。無言なのはおかしい。
「失礼しますよ」
 持っていた連絡事項は、緊急を要するものだった。普段なら自分の判断一つでどうにでも出来るが、あまりに事が大きいと雲雀の指示を仰ぐ必要がある。今はそれだった。
 意を決して障子に手をかける。すう、と開く向こう側は、広い広い一間だ。
 二十畳はあるだろう和室の、ほぼ中ごろ。用意されている座卓には急須と湯飲みが置かれていて、既に湯気は消えていたが、まだ中には茶が満たされていた。
「あ…」
 そしてその前に、横になった主と、その頭を膝で支え続ける銀髪の男が座っていて。
「……悪ぃ、声、あげらんなくて」
 片手で拝むようにして謝罪する男が、起きたら面倒だろ、と早口に言う。
「え、ああ。そうですね」
 確かに、雲雀の寝起きは最悪だ。うっかり声でも上げようものなら、血を見ることになる。
 だが、見る限り今の雲雀は、ちょっとやそっとの事では目を覚まさないだろう。近づいてみれば、あれだけ気配に敏い男だというのに、気づきもせずにすうすうと寝息を立てていた。
「休まれていたのですか」
「眠いとか言い出して、急にだよ… おかげで足しびれまくりだっつの。便所も行けねぇから水も飲めねぇし…」
 はあ、とため息をつく。なるほど、既に冷たくなっている湯飲みの中が減っていない理由はそれか。
「なんか最近疲れるようなことがあったのか?」
 下から覗き込むように、緑色の瞳が問う。
「いいえ、ここのところは大きな動きは」
 首を振れば、そうか、とだけ言った獄寺の目が離れていく。あまりうっかり近づかないで欲しいと思うが、この人はそういったことに、非常に疎かった。
 本当に、ここの所そう急いだ仕事は無かった。財団は、トップが数日不在でも完全に機能するように出来ている。気まぐれな雲雀のことだ、数日施設を空けて誰とも連絡を取らないなどいつものことだし、挙句ひょいと帰ってくるのが常だ。そんなトップが居ないと動かないようでは、常時開店休業になってしまう。
 研究は日々進み、後退している。今この手にある連絡事項以外に、雲雀の指示を仰がなければいけないものは何一つない。
「獄寺さん」
「うん?」
 つまり、雲雀はそう大して疲れてなどいないのだ。
 特に、今日は珍しく来訪があることが早くにわかっていた。傍目には判らないが、付き合いが長くなれば、昨日から雲雀がどこか浮き足立っていたのがとてもよくわかる。理由など、今目の前で不思議そうにしている男しかない。
 そのことについて、疑問を持つことは許されない。その疑問そのものが、間違っているからだ。
 疑問を持ち、なぜ、と問いかけられない、唯一のこと。そしてその理由が、あまりに平凡で、けれど暖かさに満ちているものであることを知っている。だからこそ問えないのだ。そんな野暮なことはするべきではないし、するつもりもない。たとえファーストネームで呼び合うようになっても、そんなことにまで首を突っ込んでいたのでは、馬に蹴られたほうがましという目にあってしまう。
「つらいとは思いますが、今しばらくそのままで居てあげてください。恭さんは、あなたが居ないとろくに眠れもしないようで」
 元々睡眠の浅い雲雀だが、この銀髪の男に会わない時間が重なり続けると、極度の睡眠不足になる。本人も自覚はあるのだろうが、決して口には出さないので統計と推測の結果なのだが、おそらく間違いではない。それが限界になると、今日のようにプライベートエリアに引きこもって、二人で時間をすごしているのだ。
 まあ、まさか膝枕までしているとは思わなかったのだが。
「……馬鹿じゃねぇの…」
 か、と頬に赤みの差した獄寺が、自らの膝に眠る雲雀の顔を見る。
 きっと、彼自身は知らないのだろう。今、その緑色の瞳が、どれほどの慈愛を込めて雲雀に向けられているのか、なんて。
「つか、あんた甘やかしすぎだろ」
「そうでもありません」
 にこり、と笑い、摺り足で障子まで下がった。
「私は、恭さんに膝枕など請われたことはありませんから」
 頭を下げて、部屋を辞す。直前に見た、言葉を反復するような獄寺の顔が少しだけ面白かったのだが、そこはポーカーフェイスで通すことにする。意味など、今からいくらでも考えられるだろう。あの様子では雲雀は当分目を覚まさない。
 長い板張りの廊下を歩けば、徐々に施設は変容を見せる。全体的に和風ではある室内が、機械的なものに変わるのだ。こればかりは、施設の特質上仕方ない。和建築は強いが、研究所という場所には酷く不向きだ。
 決められた自分の席について、手にしていた資料をめくる。
 今日はもう、雲雀になにかの意見を求めるのは無理だろう。そんなことをすれば、血を見るどころでは済まなくなってしまう。この案件は、自分で片付けてしまうしかない。
「まあそれもいいか」
 それで雲雀の機嫌が暫くは保たれるのだし、何も問題はない。
 そうだ、問題はないのだ。
 だから、なにも疑問に思うことはない。この施設に対しても、雲雀に対しても、獄寺に対しても、二人の関係に対しても。
 雲雀が、そうする、というのなら、道は一つしかないのだ。そして求めたのがあの銀色ならば、それを否定することも、正しいことではない。
 あの時、日本という国すら捨てて、ただ一人に従い生きていくと決めたのだから。

 雲雀恭弥という、最強の暴君の下で。

獄寺誕生日限定拍手。他人目線。