05.お姫様だっこ

 女の憧れなんだそうだ。

「……そう、なんすか」
「そういうものみたいだよ」
 笑いながら雑誌のページをめくる沢田が、まあ、と小さく続けた。
「本当に憧れで、ほら、映画とか漫画とかでやるのはスマートだけど、実際にやると微妙なものってあるでしょう?」
「はい」
「代表格だと思うんだよね、こういうのは」
 ぱん、と手の甲で雑誌のページを叩く。
 それは最近城下で流行の雑誌で、女性向けの内容を多く取り扱う手のものだ。日本を離れ既に数年を過ぎたというのに、この同い年のボスは相変わらず同級生だった女性に夢中で、今もこまめに連絡を取り合っているらしい。一応は部下の実妹にあたる人物だ、そう不自然ではないだろうが、その一途さと健気さには感服する。並み居る婚約者候補を全て袖にし、片手以上の年月をたった一人の女性に思いを向けるというのは、中々難しいことではないだろうかと思う。まして、日本とイタリアという距離もある。沢田もさることながら、元同級生もまんざらでなければ続きはしないだろう。
 その元同級生から頼まれた、雑誌なのだそうだ。
「京子ちゃんとハルがどうしても見たいって言うから… ほら、ハルはともかく、京子ちゃんは俺たちがこっちでマフィアやってるなんて知らないでしょう?」
 気軽に買い物を頼まれるのだ、と笑う。
「それで、さすがに俺が買いにもいけないから、頼んで買ってきてもらったんだけどさ。いや、うん、でも俺は獄寺君の意見に賛成だなぁ」
「そんな、もったいない」
 そもそも話の始まりは、仕事の報告に訪れた執務室で雑誌を片手に持っている沢田を見つけたところからだ。
 滅多に雑誌など、それも女性がドレスを着て男性に抱きかかえられ、艶やかに笑っているような、どこからどうみても女性向けの雑誌を見ることなど無い沢田が、真剣な顔で見入っていた。二十歳を越した男がわざわざ買ってきたのならばよほどの理由だろう、なにか興味のある記事でも、と声をかけた。
「いや、うん。女の人の考えることって良くわからないなって」
「はあ」
「少し前に、今度のパーティは女性も呼ぶからリード方法を覚えとけってディーノさんに言われてて、勉強がてらめくってみてるんだけど… 華やかだよねぇ」
 日本に居た時分から、雑誌など漫画雑誌しか目にしていなかった沢田には、それは随分と派手に移ったのだろう。確かに、雑誌のほぼ半分をカラー写真が占め、情報量が極端に少ない雑誌は、白黒画面の多い男性誌に慣れているときらびやかに映る。
「特集記事を読んでみたんだけど…」
 ほら、と向けられた見開き画面には、表紙と同じ男女が、頬を寄せ合い笑っている。どうやら結婚式が主な題目らしい。抱きかかえられた女性は足が地面に着かず、男性の首に腕を回してしがみついている。裾は風でも吹かせているのか緩やかに靡き、後ほど施した合成らしい花びらが舞っている。
「目の痛くなりそうな色彩ですね」
 白に赤に黄色にピンク。目を凝らせば青や水色、緑もあった。取り取りの色が添えられたページは余すところ無く派手で、目に痛い。
「あははははっ。確かにそうだね」
「え、ええ… あの、十代目?」
 何が面白かったのか、一瞬きょとんと目を見開いた沢田は、声を立てて笑う。
「いや、獄寺君だなぁって… これねぇ、こっちではなんというか知らないけど、日本ではお姫様抱っこって言うんだよ」
「お、姫さま、ですか…」
 改めて、雑誌の表紙で笑う男女を見る。確かに、女性が姫君のように扱われ、大切そうに抱き上げられている様子ではあるが、それになぜわざわざそんな名前をつけるのか。
 沢田いわく、現実と理想で全く違うものである、その抱き上げ方に。
「女性はそういうの好きなんだよ。自分が大切に扱われることが、嬉しいんじゃないかな。気持ちはわかるんだけどね、実際にそういう展開になったとき、男としてはどうするんだろうって。式とかなら、ためらわないのかなぁ」
 くすくすと相変わらず面白そうにしている沢田は、手にした雑誌を丁寧に茶封筒に入れた。表には既に、日本に向けてのあて先が書かれている。敵対するファミリーたちは、まさかこんな巨大ファミリーの次期トップが、日本に向けて送る荷物が女性向けファッション雑誌だなんて思いもしないだろう。麻薬の仕込みも暗号の用意もされていない、なんの変哲も無いただの雑誌だなんて。
「さて、じゃあこれの配送を頼んでもいい?」
「はい、承りました」
「お願いね。俺はこのままパーティに行ってくるから、獄寺君は暫く休んでていいよ」
「…ですが」
「駄目駄目、いっつも君ばかり連れ歩いてるから、他の顔見せが全然出来てないって、この前父さんにしかられたんだ。だから今日は山本を連れて行くよ、いいね」
 雑誌と、強い視線を向けられて、否と言えるはずが無かった。自覚があるだけ、余計に。
「…承知しました」
「うん」
 雑誌を受け取り頭を下げれば、沢田はようやく笑ってくれる。そのまま椅子から立ち上がるのを見て、コートを取りその肩にかけた。もったいなくも、ありがとう、という礼を言われ恐縮している間に、沢田は扉まで歩いていた。その先には、山本が引き続き警護をするために待っているのだろう。
「それじゃあ獄寺君」
 扉に手をかけたまま、沢田が振り返る。
「はい、お気をつけて」
「うん」
 じゃあね、と手を振る沢田が、扉の向こうに消えた。

 結局、遅くになって山本から連絡が入り、相手に随分引き止められたこともあってその場で一泊してしまうことになった、という。友好関係にあるファミリーで行われたボスの誕生日パーティだったのだが、聞けば、どうやらそこの娘と沢田をくっつけようとしてのパーティも兼ねていたらしい。が、例のごとく沢田が色よい返事をしないために、強硬手段に出たのだろう。なにをしても無駄なのにな、と電話の向こうで山本が笑っていて、確かにな、と苦笑してしまった。沢田には己で決めた相手が居る。たとえどれだけ美しい娘に、見返りという名の付加価値をつけても、振り返ることはしないだろう。
 だが同じ理由で、沢田は今の今まで元同級生に何もいえないでいる。
 巨大ファミリーのボスが妻を娶るというのは、簡単なことじゃない。正妻以外の生んだ子供を認めないという掟に見られるように、それは一般家庭で行われる恋愛結婚や見合い結婚ではなく、まるで大昔の貴族のように政略であることが多いからだ。妻の実家であるファミリーとの兼ね合い、それによって起きる他家との争いの有無、考え出すときりが無いほどの障害がある。沢田は、それもあって未だに相手を日本に残したまま、気持ちも伝えられずにいるのだ。まるで城の奥深くに隠す寵姫のように、大切に慎重に扱っている。
 それは、獄寺隼人という部下の出自を知ってのことだろう。申し訳ないが、己の身の上が多少でも役立っているのだと思うと心が軽くなる。たとえば何も知らないまま娶ったとして、失うことになれば、おそらく父のように変わらぬ生活を送ることなど、沢田には出来ないことだろうから。
 携帯電話の通話を切り、ベッド脇に投げ出す。今日は帰ってこないということは、明日の朝まで自由時間が延びたということだ。二人が城を出て行った後、一通りの仕事は片付けてしまった。山本が着いているのだから、沢田の身に危険も無いだろう。本部は毎日明かりが落とされること無く、最低でも一人の幹部が夜中起きて動いているし、今日は自分の当番ではない。
 こんなときは眠ってしまうに限るな、とネクタイと指に通した指輪、シルバーの類を全て取り払ってソファに腰を下ろした。すぐ横に置いたワインクーラーから一本引きずり出して、口を開ける。
 突然電話が鳴り始めたのは、グラスに口をつけようとした瞬間だった。
「誰だ、こんなタイミングで…」
 携帯電話ではなく、部屋に固定されている内線電話だ。古臭いタイプの黒い受話器を取り上げると、正門前を守る門番だった。
「何だ」
「お客様です」
「誰にだ」
「その、獄寺さんに」
「俺?」
 こんな時間に、誰が訪れるというのか。
「はい、あっ…」
「この屋敷、どうなってるの? 僕が入るのに許可が要るだなんて言うから、一人咬み殺しちゃたんだけど」
 戸惑うような門番の声が、すぐに違う人間の声に変わる。聞き覚えのありすぎる声に一瞬驚いたが、すぐにため息が出た。
「ったりめぇだろ、ファミリーに入らねぇって駄々こねたお前が簡単に入場できるか」
「子供みたいにいわないでよ」
「ガキだっつの。いい年した大人なら、せめて電話連絡ぐらいしてから人ん家に来い… 門番に代われ」
 そこに居るわけでもないのに手を振って言うと、まるで見えていたように不貞腐れた声で、はい、と遠くで言っているのが聞こえた。変わりに出た門番に、通行の許可と相手の身分を伝え、受話器を戻さずフックだけを下ろし、無通状態を確認し別の場所に電話をかけた。
 本当に、毎度なんだってこういうタイミングで訪れるのか。人がもう寝ようかというときにばかり訪れるのだから、全くここを便利なホテル程度に考えているとしか思えない。
「そんなことない」
 だが、平然とそう言い放つ相手は、勝手にここに用意していた着物に着替えてリラックスする気満々だ。
「…本当にお前のやることだけは全く意味がわかんねぇよ…」
 一人がけの向かい合ったソファで、相手は着物に冷酒、こちらはシャツにパンツで片手にワインだ。とんだ合わせ鏡もあったものだ、何一つかみ合っていない。
 電話を切ってから十分もしないうちに姿を見せた雲雀は、着替えている間に用意された簡単な食事に、しつけが行き届いている、と満足そうにしていた。元々一人で簡単に食事をしながら一杯飲んで寝よう、くらいに考えて厨房に申し付けていたものを、急遽日本食と日本酒もプラスして用意させただけだ。洋酒を好まない相手ではあるが、城には沢田や山本、笹川をはじめとした日本人も居る。いつでも用意できるようには完備されていたから、時間も大してかからなかった。しつけ云々に関しては、もう突っ込んで言い争うのもばかばかしい。
「今日は随分警護がゆるいんだな、あんな門番じゃあっさり撃退されても仕方ない」
 その、あっさりと撃退された門番は、珍しく手心を加えたらしい加害者のおかげか、大した怪我ではなかったらしい。今晩だけ大事を取るらしいが、明日には復帰できるだろうということだった。
「した張本人が言うな。いいんだよ、今日は十代目もいらっしゃらない。こういうときにでも教育しなきゃ、いつまでたっても使えねぇ門番なんざ、居るだけ無駄だ」
「居ないの?」
「ああ。ほら、お前も知ってるだろ」
 有名なファミリー名と、そのボスの名に、面白くもなさそうに雲雀がうなずく。
「あんまり好きじゃないんだよね、あそこのボス。脂ぎってる」
「いうな、大体あんなもんだ」
「じゃあ、沢田も直ああなるのか」
「十代目を一緒にするんじゃねぇっ」
「ややこしいな、君は」
「十代目は九代目のように渋く年齢を重ねてゆかれるんだ。あんな脂ぎった私利私欲の権化みたいなジジイになんかならねぇ。それに、歴代ボンゴレトップにあんな醜い方はいない」
「ふうん。それなら、沢田が初ということに」
「なんねぇっつってんだろ!!」
「はいはい」
 適当に流す雲雀が、く、と盃を傾ける。
 テーブルに広げられた料理も同じように奇妙な合わせ鏡で、被っているものは一つも無いが、こればかりはどちらもが好きなものに手をつけた。気がついたらこちらの皿に用意されていた生ハムが消えていたのを期に、好き勝手摘まみ続けた結果だ。既に、そのほとんどが双方の腹の中に消えている。酒も、雲雀は二本目、こちらはフルボトルが半分ない。弱いつもりは無いが、互いに心地よくアルコールが回り始めたころあいだ。
「そういえば」
 摘むものが全く無くなり、何か新しいものを言いつけようかと思いながらグラスを傾けていると、不意に雲雀が口を開く。
「あそこのボスには、まだ若い娘がいたね」
「ああ。俺らより、すこし下か」
 父親に似ない、綺麗な娘だった。見かけだけで、話したことも無い獄寺では、内面までは知る由もないが。
「じゃあ今日の沢田不在は、あちらの一手かな」
「…お前、何しに来たんだよ」
「心配なく。偵察に来たのなら、酒なんて飲まない」
 一瞬鋭くなった空気が、雲雀がわざとらしく両手を挙げることで霧散していく。
 仕事に関して動いているときに、酒は口にしない男だ。嘘ではないだろう。そう思い、空になったグラスをテーブルに戻す。
「あっちの一方的なアプローチだ。十代目にその気はない」
「だろうね。でも、そうも言っていられなくなる。彼らは執拗だ」
「…まぁな」
 最悪、既成事実を作る、という手すら取ってくるだろう。山本が警護として同行していることと、何より沢田自身に備わる力がその身を守るだろうが、あまり気持ちのいい別れは期待できない。
「それに、沢田はあくまで第一候補だ。彼らにしてみれば、幹部である君たちも十分射程範囲だろう」
「はぁ?」
 持ち上げたボトルが、ぴたりと止まる。雲雀は相変わらず平然とした顔で、酔っているのかいないのかすらわからない。
「そうだろう? 彼らにしてみれば、ボンゴレと強力なパイプが欲しいに過ぎない。どうしても沢田が駄目だとわかれば、そうだな、今日は山本武あたりに向かうかな」
 淡々とした口調だが、確かに的を射ている、と思う。
 政略結婚とはそういうものだ。どうしてもトップが駄目だというのなら、その腹心の部下に狙いをつけるだろう。深い場所に居る部下ほど、上層部に近い。幹部の妻に納まった娘の実家に対して無碍なことが出来るボスなど、トップに座る技量ではないと、そう判断されるのが常だ。
 確かにそうだが、まさか。
「…お前、本気で言ってる?」
「結構」
 うなずく雲雀が、盃をテーブルに戻した。綺麗な紫色をしたヴェネツィアングラスのセットは共に空で、表面についた水滴が涼しげに流れている。
 言いたいことはなんとなく伝わる。
 山本に起こる可能性。それが、この身にも同じように降りかかるのが当然だと。
「…わかんだけどさ、俺もその気は一切ないし、無駄なんだが」
「そんな理屈が通用する相手なら、そもそも沢田に目をつけないと思うけど? 沢田の袖振りは有名だからね」
 それに、とどこか馬鹿にしたような笑いを浮かべた。おそらくは、あのファミリーに向けての。
「うちの諜報部は優秀でね。どちらかといえば、山本より君が目にかかったらしい。彼らにしてみれば、あまり日本の血を混ぜたくない、というのが本音かな」
「俺だって四分の一は流れてる」
「薄ければ薄いだけ歓迎なのさ。沢田も、元を辿ればボンゴレ一世の血だ。君より薄くとも多少は引いてる。天秤にかければ、どちらに傾くかなんて子供でもわかる」
「…腐れジジイが」
 持ち上げたボトルをテーブルに戻す。どぷん、と内部で派手な音がしたが、構わずにソファへ深く沈みこんだ。
 遠い昔、同じような理由で排斥されていたことがある。有名すぎるファミリーの父親と、その陰で殺されるしかなかった日本の血を引く母親。その二人の間に生まれた自分を、沢田も山本も、そして今目の前で涼しげな顔で腕を組む男も、決して蔑みはしなかった。
 だというのに、今は全く逆の理由で、その目に適う、というのか。
 ふざけた話だ。それが本当なら、あんなファミリー明日にでも潰してしまいたい。
「まあ、どうするかはボンゴレ次第だ。僕は、耳にした情報を伝えに来ただけ」
 組んだ腕を解いた雲雀が、すい、と立ち上がる。しっかりした足取りは、酒を口にしていたなどと信じられないほど、普段どおりだ。
 見下ろす黒い瞳が、すぐそばにある。差し伸べられた手が、金属がはめ込まれた耳朶を撫でた。
「…じゃ、お前まさか…」
 気をつけろ、と。
 そう言いに来たのか。わざわざ、こんな場所まで。
「別に」
 指で触れた場所に、唇が重なる。
「ちょっと君と飲みたくなっただけだ」
「…そーかよ」
 くく、と口がつく笑いに、けれど雲雀も気を悪くした様子もなく。
 様々な事態が取り巻く世界に生きている以上、そういったことは、これからも当然起こり続けていく。事実として、あのファミリーを潰すことは簡単だが後々を考えるとそうもいかない。おそらくは、丁寧に沢田が侘びを入れ、部下たちにその手が及ばないように根回しをするだろう。沢田は、そういったことに手を抜くことが無い。
 守られている。様々な手段で、いろんな人間に。
 同じだけ守り返すことが出来るだろうか。自分は城の奥深くで守られ続けている深層の姫君じゃない。同じように表に立って戦うことの出来る男だ。
 抱き上げられ大切に扱われることが嬉しいのだろう、と沢田は言った。
 確かにそれもいいだろう。でも、同じように戦うことの出来る体がある。これからだって降りかかるだろう理不尽に、立ち向かえるだけの術がある。
 女でも子供でもない。
 守られるより守り戦うことのほうが似合っているのだ。
 抱き上げられるより抱き上げたい。
 そう思い伸ばす腕を上げて、ぴたりと止めた。
「なぁ、抱き上げて?」
「は?」
「抱き上げて、って。オヒメサマダッコ、っていうんだっけ」
 すぐそばの顔を見上げれば、これ以上ないほど怪訝な顔をしていて。
「嫌だよ」
 歩くなら自分で歩きな。
 そう言い放つ雲雀が、本当に嫌そうで、それがなんだかとても嬉しくて。
 噛み付くように、その薄い唇にキスをした。

獄寺誕生日限定拍手。対等。