2 とどかない

 物理的な距離っていうのは、多分精神的な距離よりも大きいと思う。
 だってそうだろう。
 どれだけ側にいると感じたって、結局は遠く離れていて、相手の顔も見れない日々が続いているのに、でも心が繋がっているの、なんて、いまどき少女漫画でだって流行らない。

 実際、今この手は、触り慣れた黒に届かないのだし。

「やあ、相変わらず面白い遊びをしているね」
 表情一つ変えず、面白そうだと思っているのかどうかも怪しいほどの無表情でそう言いながら、正門脇に立つ男がこちらを見下ろす。
 いや、見下す、が正しいのか。
「うるせぇ、とおせよ」
「無理だね」
「なんで」
「校則に則り、関係者以外は基本的に立ち入り禁止なんだ」
「おれはかんけいしゃだっ」
「へぇ、どういった?」
「ざいせきしてるし、おれのぼすはここにいるんだからなっ」
 ふん、と胸を張れば、はあ、と呆れた溜息が返ってくる。
「君、世渡り下手だよね」
「なんだと」
「そんな風だと、向こうに居た頃にも随分と痛い目を見ただろうに」
 突き刺すような一言に、思わず口ごもる。
 確かに、イタリアに居た頃は思い出したくないような目にも遇ってきた。嘘や裏切りなんて日常茶飯事だったし、九代目に拾われボンゴレという家族の中に迎え入れられるまでの間に、随分と痛い目を見てきたようにも思う。その分強くなったからと、普段は気にもしないが、改めて言われると多少響く。
「とにかく、今の君はこの学校に在籍している生徒じゃない」
「は?」
「もう一度、鏡を見て出直しておいで」
 がちゃん、と無機質な金属音。
 目の前で閉じられたのは正門で、今までここで話しこんでいた風紀委員長は、その向こう側を歩いていく。
「ひ、ひばりてめぇぇえぇぇ!!!」
 残された自分の、聞き覚えの無い舌足らずな叫びだけが、妙に寂しく響いた。

 なんとかだとかいう武器改造屋がイタリアから来日し、その高名さに惹かれて最強の赤ん坊愛用の武器をメンテするついでにと多少弄ってもらったら、単なるパーティーグッズになって帰ってくるという、屈辱的な日から数日。
 武器であるダイナマイトだけは標準に戻させたが、運悪く同時に改悪された十年バズーカによって十年前に戻されてしまった体は未だに正常に戻らず、獄寺は鬱々とした日々を過ごしていた。幸いにも、沢田の母の手を借りることが出来、沢田のお古だ、と出してもらえた子供の服もジャストサイズで助かっているのだか、いかんせん、それは生活においてのみで。
 平日ともなれば、沢田は当然登校する。彼の今の肩書きは、将来のボンゴレ十代目である一中学生、であるからして、まあ、つまりは学校に行くことが今の彼の仕事、らしい。
 当然供をしたいのだが、この姿では校内に入り込めない。
 内部には、かつてリボーンが施した改造の跡がいくつもあり、隠れ通路や隠し部屋などが無数に存在するが、その詳細は教えてもらえなかった。自力で潜入するのも勉強だ、という赤ん坊の言葉に、もっともだと頷いて、正門が閉まるギリギリの時間を狙って学校まで来たというのに。
「くそう、あのいんけんふうきいいんちょうめ…」
 今しがた自分を締め出した黒い背中を思い出して、ぎりぎりと歯が鳴る。
 言っていることは一見筋が通っているように見えるが、実際はあの男が言うことに筋は無い、と思う。この身が獄寺隼人だと認識しているにもかかわらず、関係者ではないというのはどういった理屈なのか。在籍名簿でも何でも引っくり返して来いというのだ。入学手続きは多少裏黒かったが、在籍していることに変わりは無いというのに。
「もとにもどったらぜったいしめる」
 出来るかどうかは、判らないが。
「あー、にしても… どーすっかなぁ」
 今日はどうにかして学校で時間を過ごす予定だったから、沢田の母にもそう言い置いて出てきてしまった。日中は自宅にいることも多いらしいが、今日は外出の予定があるという。それなら自分の住処に帰っても構わないのだが、屈辱的なことに、ドアに手が届かない。鍵も開けられないのでは、普段中学生が一人暮らしをしているというだけでも怪しまれているのに、余計に奇異な目で見られるだろう。
 帰る術も、場所もない。どうしようもない。
 溜息をつき門柱に背を預けて座り込めば、人影の途絶えた通学路が目の前に広がる。
 この体になって不便なことはいくらでもあるのだが、それでもどうにか数日暮らしてきた。ランボやイーピンと同列に扱われることには多大な抵抗があったけれど、沢田もその母も優しかったし、苦はなかった。
 まさかここにきて、こんな障害があるとは思わなかったからだ。
「あいつぜってぇなめてんな、おれのこと」
 見下されている、と言ってもいい。
 雲雀は万物に対してそういった態度をとるが、自分に対しては、誰よりも酷いように思う。
 あれでいて沢田のことはそれなりに認めているようだし、山本のこともなんだかんだで気に入って入るようだ。リボーンは言わずもがなで、イーピンのことなんかはなんだか本気で気に入っているらしい節がある。
 つらつらと並べて、自分にだけ当てはまる項目が無いことに気づく。
 認められているようでも、本格的にもなんとなく程度にも、気に入られているようではない。
 いや、ある意味気に入られているのかもしれない。こういった、マイナス方向にだけ。
「…う、くそ」
 自分の思考に反吐が出そうになる。
 どうでもいいことだと打ち消しても、去っていく後ろ姿がちらついて、打ち消せない。
 どれだけ伸ばしても、届かない。この小さな、力ない手では。
「……むかつくひばりのばかしんじまえ」
「残念ながら」
「っ!?」
 零した独り言に、返答が投げられる。
 慌てて辺りを見れば、門の向こうに、黒い足が見えた。
「少なくとも後百年は叶えられそうに無いよ」
「……どんだけながいきするきだよ」
「死ぬまでかな」
 ざ、と砂を蹴る音がして、足が消える。次の瞬間、それは門のこちら側に来ていて。
「君ね、いつまでもこんな場所に居ないで帰ったらどう?」
「うるせぇ。もんのまえにいることにまでもんくいわれんのかよ」
「僕は構わないんだけど、君が困るんじゃない?」
「なんで」
「世話好きな大人が要らぬ心配と心遣いで声をかけてくるのもそう遠く無いって話さ」
 少なくとも外見だけは子供なんだからね、と余計な一言がついてきた。
「おまえがいれさせないんだから、しかたねぇだろ」
 世話好きな大人が声をかけたところで知るものか。不審に思った誰かが警察に電話したって、てこでも動いてやらない。
「全く、だから世渡り下手だというんだ」
 足しか見えない視界に、不意に白が混ざる。雲雀のシャツだ、と思った次の瞬間には、見慣れた顔が目の前にあって。
「目の前にいるのが君の恋人だといえば、通してあげなくもなかったのにね」
 次いで放たれた台詞は、子供ナイズされている獄寺の頭では、意味を理解するのに時間が掛かり。
 気づいたときには、自分でもわかるくらい、顔に熱が集まっていた。
「て、てめぇ…っ」
「今からでも遅くないよ?」
「ぜっってぇいわねぇっ!!」
「そう、残念」
 ふ、と溜息を一つ落とした雲雀が立ち上がる。揺れる黒い学生服が、目の前を通り過ぎた。
 行ってしまう。
 この小さな手が届かない、今の自分では行けない、場所に。
「……あ」
 思わず伸ばした手が、黒い布地を掴む。いつも肩に掛けられた黒い学生服が、その支えをなくし、力なく地面に降りた。
 獄寺の、いまや小さくなってしまった、手によって。
「何してる」
「っ… う、るせぇ。おまえがわるいんだからなっ」
「意味不明だ」
 大事にしている学生服を落とされ汚されたことに対して腹でも立てたか、雲雀の口調が冷たくなる。
 ああもうこんな布よりランクが下なのかよ、とこっちが腹を立てたいところなのに。
「いみならある。おまえがわるい」
「君ね…」
「おまえが、おれをおいていこうとするから」
 布より、下らない校則より、下に見て置いていこうとする。
 誰よりも一番、冷たくあしらうだけで、振り返りもしない。
 そんなお前の、どこが恋人だ。
「おまえなんか…」
 体が子供化しただけなのに、思考や心まで子供に戻ってしまったように、一気に不安が押し寄せてくる。普段、思いもしないことばかりが、頭の中を占めていく。
 黙れ、黙れと命令しても、体は一切応じない。
 こんな、女々しいことが言いたいわけじゃないのに。
「…隼人」
 溜息に紛れるような小さな呟きと同時に、ふ、と目の前が暗くなった。
 なんだと顔を上げてもそこは暗闇ばかりで、戸惑う自分ひとりを置いて、唐突に浮遊感が体を包む。
「な、なんだっ!?」
 慌てて腕を闇雲に動かせば、カーテンを開くようにして視界がクリアになる。
 開けたそこはいつもの視界の高さで、目の前には、ずっと遠くに見えていた、見慣れた顔があった。
「特別処置だ。入っても良いよ」
「は…?」
「僕が悪いんだろう?」
 すぐ側にある、雲雀の顔が笑う。どこか、申し訳なさそうな様子である気がするのは、気のせいだろうか。
「責任は取らなきゃね」
 軽々と抱き上げたまま、雲雀は再度、門を飛び越える。
 そこは格子のあちら側で、隔てるものは何もなくなり、肩に掛かっていたはずの学生服で小さな獄寺を包み、雲雀は悠然と歩いていく。
 頭からすっぽりとかぶせられた所為で、視界には雲雀の顔しかない。ふて腐れたように見える顔が、妙に幼い気がした。
 恐る恐る手を伸ばし、肩を掴む。そのまま体を寄せれば、ぽん、と背を叩かれた。子供にするような仕草が、反発しても良かったのに、嘘みたいに心地よくて。
 先程までの不安と、女々しい気持ちが、引き潮のように消えていく。代わりに満ちてくるのは、背中から伝わる暖かさばかりで。
 相変わらず小さな手。伸ばしても伸ばしても、誰にも届かなかった。触りなれた、黒髪にも。
 その手が漸く、望むものに届く。それが、こんなにも嬉しいなんて。
「……ひばり」
 堪えきれず首筋に頬を寄せて、ぎゅっと抱きついた。

雲雀誕生日限定拍手。改悪十年バズーカから。