3 けれどもこれは恋 ※年の差獣医パラレル

 初めて訪れたときから、変わった奴だな、と思っていた。

「ああ? なんだ急に」
「うん、素直な感想」
 夕日も沈み、街はすっかり闇に染まった夜。
 毎度のように下らない理由で絡まれて、当然それを綺麗に片付けてから、病院の扉を叩いた。既に診察終了の札は掛かっていたが電気は点いていたし、院長でもある目の前の男が、閉院してもすぐには自宅へ戻らないことも知っている。案の定、薄暗い院内から出迎えた獣医は、不機嫌顔だったが締め出すことはせずに迎え入れてくれた。
 本当に変わっていると思う。
 そう言えば、目の前でコーヒーカップを抱えた獣医の、綺麗な眉が顰められた。
「お前にだけは言われたくねぇんだけど」
「どうして」
「普通、怪我したら人間の病院にいくだろう。お前はなんだって動物病院に通院してんだよ」
 それだけで随分変わっている、と言い切った獄寺は、カップを傾けコーヒーを口にした。
 別に、怪我など何所で治療しても同じだ。ましてや、自分には怪我を治療するという概念がほとんどなかった。今まで喧嘩は星の数ほどこなしてたが、怪我を負ったのは数えるほどだ。小さなかすり傷や、ちょっとした打撲なんかは怪我のうちに入らない。
 たまたまその日、普段よりも重度の怪我を抱えていた。
 ただそれだけだった。それを治療すると言い出したのは、自分ではなく獄寺のはずだ。
「最初に手当てしたのはそっちでしょう」
「目の前で血ぃダラダラ流してる奴がいて、それを追い返すほど人間できてなくねぇんでな」
 お誂え向きに、ここは病院だった。そこに、たまたま怪我人が入ってきた。
「それだけだ」
 片手では足りないほどに年の離れた獣医は、そう言って立ち上がる。
 三階建ての動物病院の最上階。そこが獄寺の住居で、今現在の居場所だ。
 キッチンに向かう背中に白衣はなく、既に獣医の顔をしていない。足元に、これは患蓄ではなくペットらしい犬や猫がまとわり付いても、飼い主の顔をして相手をしている。意外にも、スイッチが入っている時と入っていない時の差がはっきりしている。一応は学生という身分に居る自分にはわからないが、仕事と私生活の分別が付くというのは、こういうものなんだろうか。
 ワンフロアを使った住居には、獄寺が一人と、犬一匹と猫が数匹しか暮らしていない。二階には入院している動物たちがいてそれなりに騒がしいし、辺りも住宅街で生活音がする。それなのに、ここは随分静かだ。部屋には獄寺以外の気配は無いし、いつ来ても誰かが居た気配すら無い。たまに助手が頼まれ物を取りに入ることはあるらしいが、それ以外で自室に入られるのを、家主が嫌う所為だ。
「…だから、変わってると思うんだけど」
 自分の生活スペースに入られることが基本的に嫌いな獄寺なのに、なぜか自分がここに立ち入ることに口うるさく言ってこない。
 たまに、寝るなら帰って寝ろだとか、散らかすだけなら来るな、とは言われるが、裏を返せば、そうしなければ居ていもいい、ということになる。と、勝手に思ってる。
「何か言ったか?」
「いや、別に」
 コーヒーカップをキッチンに下げてきた獄寺が、真向かいに座る。一人暮らしをするには広いリビングの片隅に置かれたガラステーブルには、まだ半分中身の残されたカップが一つあるだけだ。食事は、早々に済ませてしまった。
 テレビもつけられず、音楽も無い静かな空間に、男二人が顔をつき合わせて座る。それでなにかの話をしているのかといわれれば、別に何も話はしていない。
 獄寺は、自分のスペースに入ってこられるのを嫌う。それゆえか、あまり人のスペースにも入り込んで来ようとはしない。
 普通、学生が日中に動物病院の門を叩けば、学校はどうした、くらい言うものだろう。ましてこんな夜遅くに、多少でも傷を負った人間が入ってくれば、追い返してもおかしくない。けれど、思えば一度も、学校に行けと言われた事がなかった。最初のころに、学校はどうなっている、と聞かれただけで、それも曖昧に返せばそれ以来聞かれもしない。
 容認されている。ここに居てもいいと、許可が出ている。
 それを思い込みだと、勝手な判断だと、言わせる気は毛頭無い。
 それならば最初から受け入れなければ良かったんだ。あの日、はじめてここに来たときに、呼び止めなければ良かった。
 なのに獄寺は足を止めさせ、手当てをし、それからも出入りを咎めることは無い。
 何を考えているのか不思議に思うときもあるが、理由を聞くことはしていない。好都合でもあるし、それをきっかけにこの空気が壊れてしまうのも嫌だったから。
「…うん?」
 不意に、足に重みがかかる。視線をおろせば猫が一匹、乗りあがっていた。にー、と上げられる幼い鳴き声は小さい。
「何」
 片手で簡単に持ち上げられる子猫は、目の高さに持ち上げても首を傾げるだけだ。手のひらをざらざらとした舌で舐めて、飽きたのか、そのまま丸くなってしまう。
「そいつ、高いところ好きなんだよな」
「へぇ」
「この前、試しに棚の上に置いてみたら、一晩中そこで寝てた」
「置いたままにしてたの?」
「まさか。何度かおろそうとしたけど、嫌がるんだって。唸るわ引っかくわで、結局そのままにして様子見てたら、降りるそぶりすら見せねぇから」
「ふぅん」
 煙となんとかは高いところが好きだというが、煙で無い猫は、なんとかに分類されるんだろうか。
 ぼんやりとそんな事を思いながら、猫をソファに下ろした。多少不満げに声は上げたが、こちらとしてもずっと手を上げていることは出来ない。
「猫にもいろいろだ」
「そうだなぁ… いつだったか、猫が階段から落ちたっつって連れてきた飼い主もいたな」
「……それは」
 本当に、猫なのか。
「子猫のときに拾って、病院以外で外に出したことがねぇんだと。高いところから飛び降りる方法を、親猫に教えられなかったんだろうさ。それでも打撲程度で済んだんだ、やっぱ猫は腐っても猫なんだろ」
 獄寺の言葉は淡々としている。少し聞き間違えれば、冷たくも取られるだろう。実際、病院に通ってくる飼い主の中には、ここの先生は愛想が無い、と嘯くものもいる。
 知らないだけの癖に、よくそんなことが言えたものだ。
 病院と一体化になった住居に暮らしている獣医が、急患に対応できて都合がいいと内心安堵している事を、誰が知っているだろうか。二階部分も本来なら全部が倉庫スペースだったのに、獄寺はそれを潰して入院まで受け付けるようにした。そうすれば当然、一人しかいない獣医に全ての負担が掛かる。それこそ、夜も昼もなく働かなくてはいけなくなるだろう。
 なのに、それでもいいと、そう言って獄寺は勝手に改造したのだと、いつだったか助手に聞いていた。
「変わった人ですよねぇ」
 愛想の無い獣医の代わりに、あたりに愛想を振りまいている助手は、楽しそうにそう言っていた。
 なのに、そんな獄寺に対して、知らないくせに勝手に悪評を貼り付け、影でモノを言う。
 そういうものが、一番気に入らない。
 どれだけこの男が、小さな命を救い、この身を救っているのかも知らず、勝手なことを。
「…隼人」
「あぁ? …っ」
 ガラステーブルに手をついて、体を伸ばした。呼ばれ、顔を上げる獄寺の頬に、唇で触れる。
「な、にすんだこのクソガキっ」
 途端に真っ赤になった年上の男は、そう悪態付きながらも、突き放そうとはしない。嫌なら突き飛ばして追い出せばいいのに。
 本当に変わっている。変わりすぎている。
「何って」
 今までまわりに居なかったタイプだ。
 小言も言わず、踏み込んでもこない、居心地のいい男。
 誰かと係わるということを疎ましく思い、係わらないよう、群れないように生きてきた自分には、新鮮で、面白くて。
 男だとか女だとか、年上だとか年下だとかそんなことは関係なく、手放したくない相手になっていた。その感情をなんと呼ぶのか、雲雀は知らない。
 だけど、多分。
「愛情表現かな」
 僕は貴方と違って素直だから。
 にっこりと笑って言葉を返せば、ぽかんと口を開けた獄寺が言葉を失う。
 そんな顔もなかなか面白くて可愛い。
 言えばきっと、生意気だクソガキ、とこき下ろされるだろう事を考えながら、赤面したまま呆然としている獄寺の銀色の髪を、するり、と梳いた。

雲雀誕生日限定拍手。逆年齢差獣医パラレルから。