4 手段は言葉だけじゃない ※猫パラレル

 賛牙の歌は特殊なものだ。
 歌を歌い、力を発するだけでも充分異質だと思うが、その力の向かいどころが決まっていないのも、理由のうちの一つだろう。随分昔には、歌を歌うだけで花を咲かせる賛牙も居たという。今ではすっかり聞かなくなってしまったと言うが、猫以外に作用する歌もあるのか、と思った。
「なくは無い」
 ふとした思い付きでそんな話を振ると、己の賛牙はにべにも無い回答を投げ返した。
「あるんだ」
「かなり昔の、すげぇ有能な賛牙が歌ったって話だ。けど、その猫はその歌を他のどの賛牙にも教えずに死んだ。だから、なくは無いけど、誰も知らねぇんだよ」
「けちだったのかな」
「さぁな。失躯が流行る、もっと前の話だ。親ですら生まれてねぇ時代のことなんか知らねぇ」
 もう伝説になるほどの昔に、失躯という、体の一部が唐突に失われる周期性のある奇病が、周期を無視しこの国全体を覆ったことがある。国により何かしらの方法がとられたのか、それとも自然に衰退していったのかは判らないが、その病は急速に沈静化し、以来、それより前から流行っていた周期でだけ現れるようになったと聞く。確か、数年前にも起こったはずだ。
 失躯が大々的に流行して、もうかなりの年月が立つ。それ以前に死んだ猫となると、その存在を知る猫もいないだろう。
「残念」
「なんで」
 首をかしげながら、ハヤトが小さな器を机に置く。既に朝食と化している、温めた果実水だ。これを飲まないと、いまひとつ頭がさえない。
「君が知ってるなら、歌ってほしかった」
 花は綺麗だ。単純にそう思う。
 この村は周りを全て森に囲われていて、水もあり、緑も当然ある。花は季節になれば咲き乱れるほどにあるし、蜜を採ることも出来れば、食べることも出来る。見て楽しめ、食して楽しめ、無駄が無い。
 そんな花を、この村一面に咲かせることのできる歌があるのなら、聞いてみたかった。
 ただそれだけの、単純な好奇心だった。
「…悪かったな、戦う歌しか知らなくて」
 なのに、何に気分を害したのか、銀色の賛牙は、ふい、とそっぽを向いてしまう。
「悪いなんていってない」
 これは本当だ。別に知らないことが悪いと言っているわけではないし、何より、伝えられていないのなら誰も知らないはずだ。それは、ハヤトの責任ではない。
「今の賛牙は、戦う歌しか教えられない。俺が、教えなかったからだ」
「昔ほど和やかじゃないからだろう」
 今と昔は違う。
 首都藍閃には警備隊が配置され、以前のように無法地帯ばかりの町ではなくなった。統治され、二つ杖の残した遺跡も領主配下の元厳重に管理、保存されている。以前から街と同化していた部分は致し方ないと放置されているが、今では、新しい遺跡が発掘されればそれは直ちに領主直下の任になり、一般の猫は立ち入ることも出来ない。
 規制が布かれ、自由の少なくなった街に荒くれ者が横行するのは、時間の問題だった。
 そしてそれを取り締まるために、藍閃内部には警備隊が配置され、周辺には特別警備隊が極秘配置されている。
 賛牙たちが一様に戦う歌だけを教え込まれるのも、また当然のことだ。
「賛牙長や姉貴は、違う歌も歌える」
 ぼそ、と吐き出すような声が、耳を掠めた。
「へえ」
「けど」
 俯いた顔が、暗くて見えない。耳がしおれ、声が沈んでいく。
「俺には無理だ」
 だから、と続く声が、更に小さくなる。
「教えられなかった」
 沈黙が落ちる。台所でたつ、湯の沸く音だけが静かに響いていた。
「どうしてか、って聞いても?」
 舌を落す果実水は、適度に甘く美味い。すっかり好みを把握してしまったらしいハヤトは、いくつか蜜や果実水の種類を変えて作っては出してきたが、今のところ合わなかった味は無い。
「…ヘタなんだよ」
「歌が?」
 そうでもないと思うが。
「違うっ。歌を、作ることだっ」
「歌を、つくる?」
「自分だけの歌を作ることも、俺たちには出来る。得意な奴は、いくらでも歌をもってる」
 声で歌うビアンキや、楽器を用いて歌うリボーンなどは、その典型だ。自分たちで歌詞を作り、音に乗せて歌うことが出来る。その歌は望みどおりの力を発揮し、たとえば力を与え、たとえば傷を癒す。そうやって、賛牙の中には独自の歌だけを歌う猫も居るくらいだ。
 別館と呼ばれる賛牙の教育施設に集められた、将来警備隊として配属されることになる教育途中の賛牙たちの中にも、その片鱗を見せるものは居る。が、初期の段階では全ての賛牙が教育係から歌を習うことになる。自らの歌で歌うことができるようになるころには、基礎も完璧に出来上がり、賛牙としての能力を遺憾なく発揮することが出来るからだ。
 そうやって数多くの賛牙たちの基礎教育を受け持ってきたが、それ以上のことはしなかった。出来なかった、が正しい。
 基礎も応用も出来るのに、いつまでたってもつがいのいない賛牙。
 そう言われ続けてきた自分からは、新たに歌を紡ぐという思いも気力も次第になくなっていき、気づけば苦手分野になってしまっていた。
「花を咲かせることの出来た賛牙は、その力に特出していて、とにかくどんな歌でも歌ってみせたって話だ」
 悲しいときは明るくなる歌をうたい、水が枯渇した時には雨を降らせ、生き物を救うことの出来る賛牙だった。そう、古い文献に記されている。後にも先にも、これほどの力を持った賛牙の出現は望めないだろう、とも。
 遠い昔に死んでしまった猫だというのに、今でもその猫は賛牙たちの憧れであり、目指すべき存在になっている。
 そう説明するハヤトの目は、やはり伏せられたままだ。憧れや目標を語るには、あまりに暗い色をしている。
 闘牙ばかりの村で育ったから、賛牙の能力云々はよく分からないし興味も無いが、色々と思うところはあるのかもしれない。
「随分万能だったんだ」
 恨みでも買いそうなほどだ。
「けど別に、そうできなきゃ困るって物でもない。僕には、君の歌があればいい」
 今のところ、ハヤトの歌う歌は一つしか聴いたことが無い。戦いのときに発する、一番基本となる力を増す歌だが、それですら聞いた事のなかった自分には珍しいものだ。
 それに、この賛牙のうたう歌は少し違う気がする。教育係なんて立場に居たことがある所為か、自分の歌では無いと思っているのかもしれないが、その歌の中には彼自身の旋律が確かに混じっているように思う。
 そうでなければ、欲しいなどと、思うわけが無い。
「……花」
「花?」
「咲かせたかったんじゃ、ないのか」
 目を見開き、耳を立てたハヤトがぽかんしている。
「そんなこと言った?」
「歌えるのかって」
「そう聞いただけで、咲かせたい、なんて言ってない。無いならないで構わないよ、花なんて季節になれば咲く」
 ただ、そんな歌があるのなら聞いてみたかっただけだ。戦う歌で充分心地いいのだから、花を目覚めさせる歌となるとどんなものだろうと、それだけ。満たされなければ気に入らない好奇心でもない。
「だけど、そうだな」
 すっかり空になった器を机に置く。
「作れたら、聞きたい」
 花を咲かせる、今は誰も知らない歌。
 統治され、賛牙と闘牙の役割がはっきりしている今、意味の無い歌にも思えるそれはどんな旋律だったのか。想像することしか出来ないが、聞いたことも無いくらい綺麗な音なんだろうと、そう思う。遠い昔、最初にその歌を作った猫が、どうしてそんな無意味なことをしたのか、わかるくらいには、きっと。
「…出来たら、な」
「うん」
「いつかなんて、保障しねぇぞ」
「出来たときでいいよ」
 真横に立ったまま、惚けたように動かないつがいを見上げる。
 耳も尾も落ち着きなく動き、頬がわずかに赤い。随分と動揺している瞳が、あたりを意味もなく見回して、結果、逸らされた。
「ハヤト?」
「なんでもねぇ」
 ふて腐れたような言葉が、耳元で聞こえる。屈むようにして降りてきた銀色の髪が肩に触れて、鼻先の押し付けられた場所から、くるる、と喉の鳴る音がした。威嚇ではなく、信頼や情を示す、静かな音。
 はるか昔に謳われた、花を咲かせ雨を降らし生き物を愛した賛牙。
 かの猫と同時に失われた、誰も聞いたことの無い旋律。
 いつか聞けるかもしれない幻の歌は、こんな風に穏やかに響くんだろうか。
 なんとなく思いながら、銀糸に軽く頬を寄せて、くる、と小さく喉を鳴らした。

雲雀誕生日限定拍手。Lamentoパラレルから。