if…
「ディーノさんは、マフィアにならなかったらどうしてたって思いますか?」
そう唐突に尋ねられたのは、無人島を他人名義で購入し建てた小さな小さな別荘に、たった二人で一日だけの休暇に出ていたときだった。
「たまになら、な」
そう言って送り出してくれた山本は、自分も行くと言って聞かない獄寺を羽交い絞めにして押さえ込んでいて。顎に出来た小さな傷だけが年を経た証のように見える男は、息抜きが必要なんで、と笑った。
「ツナは、ここまで結構な駆け足で進んじまって、全然息もついてないんだと思うんスよ。たまには息を吐かせてやりたいし… その間は獄寺が頑張ってくれるっしょ」
「っ、たりめぇだ、このバカっ」
ばし、と抱き込んでいた山本の腕を弾いた獄寺は、そのまま駆け足で沢田に近づき、無事の帰還と十分に休暇をとるように、その間のことは全て自分で処理してみせるから、と両手を握りこんで訴えている。なんだかんだで沢田第一の獄寺は、山本の言葉に思うところがあったのだろう。
確かに、沢田はひたすら走ってきた。
ほんの十年前には、ただただ、怯えているだけだったのに。
いつのまに、こんな大人びた笑いをするようになってしまったのか。
「…そーだなぁ。なんかこう、のんびりした生活してたと思うぜ」
「のんびり、ですか」
「町をフラついて、適当に食べたいもの食べて、仕事して… そーだな、なんの仕事かって言われたら、わかんねぇけど」
「そうですか」
口元に浮かべるだけの笑い。
「お前は、やっぱり日本にいたと思うか」
生まれ故郷を遠く離れた、イタリアの地。そこで巨大ファミリーの頂点として日々を過ごすことは、決して彼の望みではなかった。どちらかというと、真逆だったのだ。
「そうですね。中学を卒業して、高校を卒業して、大学を卒業して。やっぱりダメだったろうけど、それでもブツブツ言って色んな事を人の所為にしたり逃げたりしながら、生きていたと思います」
仮定の未来を語る沢田の口調は、どこか冷たい。
「ダメツナのまま、一生を終えていたでしょうね」
きっと、それがしたかったんだろう。この、奇妙に大人びてしまった弟弟子は。
そうさせてやりたかったという気持ちも、ある。かつて、当時の彼と変わらない年頃だった自分は、同じように逃げ、かなりの無茶をした。ファミリー全員の命とその家族、そして守っていた土地の人間全ての命を放り出してまで、自分の命を助けたのだ。結局はそれが耐えられず、引き返した道だけれど、あのときの後悔は一生消えることは無いだろう。
同じ思いをして欲しくなかった。心優しい少年はきっと、そのまま成長していたら、その選択を後悔していただろう。遠く離れた地で生きるファミリーのことに実感は無くとも、彼は既に、獄寺を始めとする多くのボンゴレ関係者と縁が出来てしまっていた。その全てを投げ出して自分だけ無難な生涯を生きる、という選択をしていたとしたら、後悔せずにいられただろうか、沢田は。
けれど、叶うのならその願いもかなえてやりたかった。
普通で、平凡で、目に見える世界だけを生きていけたのなら、それはとても、幸せなことだから。
「…ツナ」
茶色の髪が、強いほどの空の青に、融けることも出来ずに風になびいている。肩越しに振り返った瞳は、どこかガラスのようだ。
「すまないな」
「どうして、ディーノさんが謝るんです?」
「いや… 止めようと思ったら、止めることも、できたんだろうし。俺には」
普通の生活を望んだ。自分も、彼も。
けれどそれは叶わずに、ともにこんな血なまぐさい道を歩いている。
そのままにしてやりたかった。でも、近くにいても欲しかった。
「止めなかったのは、俺の、エゴも、あるから、な」
途切れ途切れになってしまう言葉に、沢田は体ごと振り返り、小さな別荘の広い庭先に男が二人、向き合うことになった。
「最終的な決断を下したのは俺自身です。ディーノさんは何も悪くないですよ」
「ツナ」
「そんな顔しないで、笑ってくださいよ」
どんな顔をしていたというのか。
沢田は柔らかく、昔のように笑い、足を進めた。
「俺は、マフィアになってよかったなんて、一度も思ったことは無い。今も昔もただ、皆を守りたいだけです。その為の力が、暴力を呼ぶというのなら、なくてもいいと思う。男として、力にはあこがれるものもありますが、欲しいのは守る力であって、傷つける力じゃない」
昔に比べたら、随分背が伸びた。それでもまだ小柄なボスは、軽い音を立ててその頭を胸に落してくる。
「だから、ディーノさんの力は、好きです。人を傷つけるんじゃない、部下を守るための力だから」
「……うれしいんだが、微妙だぞ、ツナ…」
暗に、昔からの情けない癖を言われて、つい顔をしかめてしまう。
胸元からくすくすと笑い声が上がるのを聞きながら、その、年と立場にしては細すぎる肩に、片腕を回した。武器を振るう利き腕ではない、腕を。
「ディーノさん」
腕の中で、斜めに倒していた体を起こし頭を預ける位置を胸から肩に変えた沢田の、どこか甘さを含んだ声が耳をくすぐる。伸びてしまった金髪に、指が絡むのが判った。
「バカにしてるんじゃないんですよ。そんなディーノさんにこそ、笑っていて欲しいんです、俺」
長くなった後ろ髪を引かれる。確か日本のことわざに、そんなものがあった。
意味はよく覚えていないけれど、今の自分の心情と遠くないのではないか、と推測する。
この時、この瞬間が永遠に続けばいいのにと、つい、思ってしまうほどに、穏やかな空気がそこにはあったから。
「ディーノさん、俺……」
「ボス!」
突然上がる音に、思考は一気に回想から現実に引き戻される。
「なんだ、報告なら手短にしろよ」
銃弾降り注ぐ中、真後ろから上げられる声に、振り返らずに先を促す。緊迫した空気が何時間も、何日も続いて、気持ちがギリギリになっているのもあったのかもしれない。それは冷たい声だったが、幼い頃から側にいた側近は、変わらぬ口調で報告を上げた。
「報告に間違いありません。ボンゴレは、壊滅状態です」
「……そうか」
「九代目、前代門外顧問ならびに奥方は行方不明。十代目は、やはり……」
部下が口籠もる。普段ならしない仕草。
「ロマーリオ」
「はい、ボス」
固い声。叩きつける弾はさらに勢いを増し、腕を掠める。視界を塞がないためにと止め上げた前髪の影から、少しだけ振り返る。
「あいつは大丈夫だ」
生存は絶望的だ。それは、今の自分達の状況が物語っている。イタリア最大のボンゴレと最も繋がりが深いキャバッローネがこれだけの襲撃を受けているに係わらず、援軍もなければ状況報告を求める使いもない。あったのは、数日前、取引の場でボンゴレ十代目沢田綱吉が卑怯な手段で銃殺されたというものだけだ。
「あいつは大丈夫だ。簡単に死んだりなんかしねぇよ」
まだ若かった。時折思い出したように幼い顔で笑うのが愛しくて、普段の大人びてしまった微笑との差が、痛くて切なかった。
思い返そうとすれば、簡単に思い出せる。もう立場が下になってしまった兄弟子に、ディーノさん、と敬称を付けて呼んでしまう癖と、うれしそうな声を。
もう二度と聞けないのだなんて、信じるものか。
オレが信じているのは、あの声と笑顔。
そして。
「ディーノさんが笑ってると安心するんです。なんか、大丈夫だな、って思えて。だから、そんな顔しないで、笑っていてください」
そう言ってくれた、あいつの言葉だけだ。
「さ、やるぜロマーリオ。若造どもの目を覚まさせてやんねぇとな」
「……おうよ、ボス」
古くさい仕草で、部下がびしりと親指を立てる。それに笑い返して、愛用の鞭を握る。
大丈夫だ、無事でいる。生きている。そうだろう、ツナ。
俺は笑えている。だからお前も笑って、またあの甘い声でオレを呼んでほしい。
全てをこの目で確かめるまで、オレはお前だけを信じているから。
十年後ディノカラー記念。ツナパパは門外顧問を引退しているという設定です。 ▲