カフェテリアにて

 秋が深まり肌寒さを感じ始めたその日は、久しぶりの完全休業だった。
 とはいえ、マフィアなんてものに本来ならそんなものはない。十代目から、獄寺くん最近仕事しすぎだから、と青筋を浮かべた笑顔で本部から叩きだされてしまったのだ。
 そんなに仕事をした覚えもないのに、と茫然としていると、追うように出てきた山本が、気ィ悪くするなよ、と相変わらず分かってるんだか分かってないんだか定かじゃない顔で笑った。
「ツナ、最近マジで心配してたんだぜ? 仕事させすぎたかなってへこんでた」
「んなことっ!」
「いくらオマエがそんなことないって言ったって、ツナはそう思ってんだから、オマエを休ませて当然だろ。今日は重要な仕事はない。羽伸ばしてこいよ」
 ほら、と投げ渡されたのは、財布とタバコと携帯電話。全て、コートの内側に入れていたはずだ。たとえ幹部であろうと、沢田の執務室にコートは着て入れない。入り口で預けたはずだ。
「そんだけありゃ、適当に遊べるだろ。じゃな、オレのときは代われよ」
 どうせならコートごともってこいムダに手ぇ取ることしやがって、と言う文句も聞かず、山本は言いたいことを言ってしまうと、さっさと戻っていった。
 本来なら、たとえ休日だとはいえ、本部を離れるべきではない。ボンゴレはイタリア最大といわれる巨大ファミリーで、つまりいつ何が起こるか判らないのだ。だというのに、十代目の右腕たる自分が離れるのは好ましくないし、離れたくない。
 けれど。
「うっかり見つかっても、十代目に怒られるよなぁ」
 イタリア中に目を持っているうえ、彼にはその血に宿る直感能力がある。休まなければ、即座にばれる。ばれたら、ここ数年ですっかりボスの風格を身に着けた上司は、また笑顔で怒るだろう。あれは怖い。
 はぁ、とため息を吐いて、歩きだす。
 とりあえず、ここに居てもしかたない。適度に遠く、適度に近い場所で時間を潰すしかないだろう。
 胸元から取り出した煙草は残り少ない。着いたら買おうと、獄寺はその足を駅方面へと向けた。

 新しい煙草の封を切ると同時に、高速列車は目的の駅に滑り込んだ。
 そこはボンゴレ本部から陸路を使い二時間。南北に別れたイタリア半島の北側よりに位置する、小さな田舎町だった。もとは違うファミリーの傘下にあった町をボンゴレが引き継いで二年半くらいの、やっと馴染み始めた土地でもある。ここなら、適度に遠く、適度にボンゴレの監視下で、適度に休める。そう判断した。
 駅を出ると、北にあるだけあって、随分寒い。山本がコートごと持ってくればこんな思いはせずに済んだのに、と理不尽な八つ当たりをぶつぶつと日本語で零しながら、駅前を視線で探った。商店街なんてものはないし、少し店を覗いてみても、自分が着れそうなコートを扱っている店はなかった。
 なんて浮いてるんだ、とウィンドウに映った自分を見てぼやく。
 少し歩けば畑や果樹園しかない田舎町で、黒いスーツにネクタイにシルバーで飾った男なんて、似合わないにもほどがある。
 山本め、と舌を打ち、新しい煙草を取り出そうとして、ふと、鼻先にいいにおいが掠めた。
「これ」
 視線をガラスから左にずらせば、数脚のテーブルセットと、まばらに座っている客。店先に並べられた鉢に花はないが、代わりに見たことのある有名なハーブがいくつも育っていた。
 慌てて足を向ければ、そこにはこじんまりとした、カフェが一軒。先程鼻を掠めたのは、紛れもなくエスプレッソの香りだった。
 軒先からさらに張り出して掛けられた、折りたたみ式の日除けの下に置かれた椅子に腰を下ろす。本当は室内が良かったが、見たところ本当に小さな店で、室内にはセットが二つしかなく、両方とも埋まっていた。
 少し色の落ちた椅子は、わずかに軋みを立てる。それでも座り込めば、漸く息がつけたような気がした。
 急に休みが出来てしまうと、どうしていいのか判らない。休日が無用なわけでも、嫌なわけでもないが、あの張り詰めた空気に慣れている自分には、こんなのんびりとした時間なんて持て余してしまうだけだ。
 だから、仕事なんていくらでもするから。
 本当なら、沢田に休んで欲しかった。
 ボスの風格を兼ね備えてきた沢田には信頼しかないが、時々不安も覚える。元が一生懸命な人だから、マイナス面でもプラス面でも、考えすぎてしまうところがある。今日のことにしたって、別に仕事しすぎなんてこともない。ここ数日、連日して人の命を左右した、だけで。
「はぁ…」
 どうして、うまくいかないのだろう。
 伝えたいことは大して伝わりはしないのに、伝わらなくていいことばかり、彼の直感に引っかかってしまう。
 こんなこと、誰にも言えないけれど。
「情けねぇなぁ…」
「なんだ、気づいてなかったの?」
「うるせぇな、気づいてなかったわけじゃ… って、えぇぇぇぇええっ!?」
 がば、と一気に頭を上げる。
 どうして。
「うるさいな。少し静かにしなよ、ただでさえ目立ってるのに」
 本当に煩そうに顔を顰めた相手は、テーブルを挟んだ向かいの椅子に、肩にかけたコートの裾を気にすることもなく腰を下ろす。
「な、んで、オマエが、ここに」
「ここ、僕の行き着け」
「はぁ!?」
「カフェラテが絶品でね。何、君何も頼んでないの?」
「注文なんか取りにこねぇよ」
「ああ。よそ者だと思われてるんだろうね、こういう土地は得てして排他的だから」
 そうあっさりと言うと、慣れた様子で片手を軽く上げる。すると、すぐに店から女の子が出てきた。大体、高校生くらいだろうか。
「Ciao.」
 客に対するにしては随分と親しげに話しかけてきた少女は、一度ちらりとこちらを見てから、お連れ様ですか、と聞いた。そうなんだ、と雲雀が肯定すると、初めて安堵したように笑い、いつものでよいですか、と聞いている。
「…排他的、ねぇ…」
 こんなに余所者を受け入れているのを、排他的というのだろうか。
「排他的だからこそ、一度受け入れればそう簡単に放り出しはしないんだよ。それにしても君、どうしてここに?」
 いそいそと女の子が引き上げていくと、雲雀の態度がころりと変わる。さっきまでしていたように、にこやか、ではないけれど、ちょっと大人し目の雰囲気でどうして接してくれないものか。
「今更だね。で、僕の問いには答えないの?」
 はん、と鼻で笑った雲雀は、日本人にしては長い足を優雅に組んで、腕も組む。
 ああ、畜生。
 見かけは完璧な東洋人のくせに、西欧空気に馴染みやがって。無駄に外見がいいだけに、見ていて腹が立つ。
「隼人」
「…休みなんだよ。非番。で、本部周辺だと休めねぇから、ここまで来ただけだ。偶然だよ」
 先を促すように名前を呼ばれて、正直に答えた。
「君が? こんなところまで?」
「半端に近所じゃ、十代目のお耳に入るだろ。ちったぁ離れた場所じゃねぇと、と思ってきたのがここだったんだよ」
「沢田に叱られるようなことでもしたの」
「…仕事しすぎだとよ」
 情けない。とんでもない理由だ。
「ふうん」
 それに考え込むように呟いた雲雀は、暫く黙ったままそうしていた。
 やがて先ほどの女の子が、カップを二つ持って戻ってきた。お待たせしました、と愛くるしい笑顔を振りまいて、オマケです、と小さな皿を一つ置いていく。見れば、いくつか菓子が乗っていた。
「…お前、どれだけ馴染んでんだよ…」
「近くに来れば寄るようにしているから。君より物覚えが良くて助かってる」
 白い指先が、質素なカップにかかる。
 どうせ物覚えが悪いさ。だからいつまでたっても要領よく仕事がこなせなくて、かけなくてもいい心配をかけてしまう。挙句、こんな僻地に休養を取りに行かされる始末だ。
 言葉には出さないまま、それでも憮然とした態度が伝わっていたのか、雲雀は話を変えるように、寒くないの、と聞いてきた。
「季節としては秋だけど、この辺は寒くなる。そんな薄着で居たら、いくら君でも風邪をひく」
「俺でもってなんだよ… 急に本部追い出されたから、全部置いてきてんだよ」
「呆れた」
「山本に言え。あいつがコートごと持ってくりゃいいのを、半端に中身だけ渡しやがったんだ」
 もしかしたら、南に行くかもしれないと思われたんだろうか。この時期、南の方面ならまだコートは要らない。山本にそんな心遣いが出来るのかどうか知らないが、そういえば昔から妙な確信で動くところがあったから、思い込んでいたのかもしれない。
 大して必要なものは入れていなかったから渡されたもので充分だけれど、いくら知り合ってから長いとはいえ、マフィア幹部のコートの中身を漁るなというのだ。
「寒いからって店に入っても注文も取りにこねぇし… 今日は厄日だ」
 はあ、と溜息をついて、暖かな湯気のたつカップを持ち上げた。口をつければ、甘さと苦さと暖かさが同時に広がり、自然と肩の力が抜ける。
「おいしい?」
「あ? ああ…」
 真向かいで同じようにカップを傾けながら、雲雀が子供のように聞いてくる。
 確かに美味いが、改めて聞いてくるなんて、珍しい。
「この店はここの締めがボンゴレに変わるまでは、随分な経営状態だったみたいだよ」
「へぇ」
「元々の締めが、毛色の良くない奴らだったらしいからね。その辺は、僕より君のほうが詳しいだろう」
「まぁ、な…」
 約二年半前。ここ一体を取り仕切っていたファミリーは、どちらかというと悪質で、住民達からは疎まれていた。街の中で好き勝手をするのは当たり前で、平気で銃器を一般人に向けることもしていたらしい。当時、少しずつ勢力を拡大していたボンゴレがその情報を元に一帯を取り仕切っていたファミリーを鎮圧、解体させた。その一連の作戦に係わっていたから、間違いはないはずだ。当時は壁という壁に銃弾の痕があり、住民達の空気も暗いものだったが、随分明るくなった。あの少女も、当時はきっと日本で言えば小学生くらいだったろうに、今ではあんなに笑っていられるのか。
「…変な感じだな」
「何が?」
「改めて言われると、自分のしたことの結果なのか、と思って」
 十代目が正式にボスの座を継承することが決まり、もう五年近くなる。その間に人の命を奪いもしたし、助けもした。数え上げられないくらいだ。
 この街の今の姿は、その結果の一つ。
「全てがこうなっているわけじゃない」
 ふ、と肩が重くなった。
 向かいに座っていたはずの雲雀が、立ち上がっている。肩にあった黒いコートがない。
「中には下っ端が水面下で動いている街もある。どうしようもないほど荒れて、人の居なくなった地域もある」
 再びゆっくりと椅子に腰を下ろす。軋む音すら立てずに。
「僕はボンゴレがどうしようと関心はないけれど、その結果は一つではない。こうして成功していく街もあれば、廃れていく場所もあるだろう」
「…ああ」
「いいところばかり見てはいけない。けれど、悪いところばかり見るのも薦めないな。結果は一つではない。少なくとも僕は」
 陶器の音がした。空のカップが指先で弾かれ、ソーサーの上で震えている。
「ここのカフェラテがおいしいから、それで満足だ」
「…お前らしいよ」
 笑って、まだ残っているカップの中身を飲み干した。
 カップを戻し、真向かいの雲雀の表情が静かなのを見て、そういえば最後に笑ったのはいつだろう、とふと思った。
 別に仕事が立て込んでいたわけじゃない。毎日が張り詰めた空気ではあったけれど、切羽詰った状況に置かれていたわけでもないのに、笑うことはなかった気がする。
 マフィアなんてのは堅気の商売じゃない。人の命だって左右する。無意味な殺生はしないが、やはり、どれだけ言い訳したところで奪うことに変わりはないから、笑ってなんていられなかった。
 十代目は、それに気づいていたんだろうか。
 だから、休暇なんて口実をつけて本部から追い立てた、のか。
 雲雀は、もしかして。
「何?」
 思わず向けた視線に気づいたのか、雲雀がほんの少しだけ首を傾げる。
 もしかして、気遣っていてくれたのだろうか。
 ものすごく、判り辛かったけど。
「……なんでもねぇ」
 それでも、それを素直に口にすることは出来なかった。雲雀が言わないのだ、気づかないフリをしていたほうがいい。
 何それ、と面白くなさそうにしているのを横目に、肩に掛けられたコートの襟を掴んだ。今ままで雲雀が羽織っていたそれは暖かく、かすかな残り香があって心地いい。
「……なあ、お前休みなんだろ」
「近くに寄っただけ、といわなかった?」
「時間があるから寄ったんじゃねぇの」
「…それで?」
「俺、今日一日非番だって言ったよな?」
「聞いたね」
「お前の時間が空いてる間だけでいい。付き合え」
 笑って指を突きつけると、一瞬目を見開いた雲雀が、小さく笑う。
「いくつになっても色気のない誘い文句」
「うるせぇっ」
「けど、君にしては上出来だ」
 行こう、と雲雀が席を立つ。小さなおまけの皿から一つチョコレートの包みを持ち上げて、皿の下にカフェラテ二杯分にしては多すぎる紙幣を挟んだ。
 それについて立ち上がり、ちらりと店を振り返った。相変わらず窮屈そうな店内では、店主らしい年配の男と先程の少女と室内の客が、楽しそうに笑っている。こちらを振り返る様子もない。
 なるほど確かに。
 珈琲が美味しいだけで、意味があるのかもしれない。
 あの日、この町を救うという大義名分を掲げて沢山の命を危険に晒し、奪ったことに。
「隼人」
 それを掲げて、自分を正当化する気はないけれど。
 これも結果なのだと、自分たちの行動一つで結果は違うのだと。
「今行く」
 そう確信して、店に背を向けた。

 命を奪う代償は大きい。全ての土地が幸せになったわけではない。これからも、簡単には笑えないだろうけれど。
 ならば余計に、覚えておこうと思う。
 人の温もりを心地いいと、安心すると感じた事を。
 忘れない限りきっと、血塗られた道でも背を伸ばして歩いていけると、そう思うから。

カフェテリアでの去年の話を、とネタを頂いた話。