奇妙な夜の訪問者

 とりあえず、状況を整理しようと思う。

 昨日は確か、沢田の勉強を見るという名目で山本とともに沢田家へとお邪魔し、一時間程度の復習を兼ねた勉強をした後、帰りに夕飯をご馳走になったんだ。沢田が好きだという料理ばかりで飾られた食卓は色鮮やかで、あまり食に対しての執着が無い自分でも、とても美味しく食べられた。まあ、いつものように牛が突進してきて多少の混雑は起きたものの、一流ヒットマンの一撃でそれも収まり、八時前には沢田家を辞した。
 途中まで山本とともに帰り、じゃあな、と手を上げる山本と別れてからは、暗くなった帰路を一人で歩いた。仕事帰りの勤め人などとは幾度かすれ違ったと思うが、これといって記憶には残っていない。ということは、大した問題もなく自宅まで帰れた、ということだ。
 八時半前には帰り着いて、風呂に入り、適当に髪を乾かして、携帯をチェックして、布団に入った。
 それまでは、とてもよく覚えている。
 つまり、特になんの変哲もない、いつもどおりの一日で、いつもどおりに就寝したはずなのに。
「おやおや、まだ混乱されているようですね」
 どうして俺は今、差し向かいでこの男と、丁寧に淹れられた紅茶など飲んでいるのでしょうか。
「いや、つかすんなって方がむりだろうがっ!」
「そうですか? 深く考えなければいいだけの話だと思うのですが」
 判らない、といった表情で首を傾げ、左右で色の違う瞳を少しだけ伏せる。そんな愁いを帯びた仕草に、こちらのテンションは反比例していく。
「まあ、夢だとでも思ってください」
「できるかぁぁああぁぁ!!」
 がしゃーん、と盛大な音を立てて、綺麗なカップとソーサーの置かれたテーブルがひっくり返った。行き着くところまで行ってしまったテンションの成せる業に、男は溜息をついて、また憂い顔を見せる。
「短気な人だ」
「うるせぇっ! いいか、五十歩譲って百歩譲って、千歩万歩一億歩まで譲ってやって、コレが夢だとしようっ!」
「貴方、意外と子供みたいなこと言うんですね」
「その俺の夢になんでテメェが断りもなく出てきやがんだ骸っ!!」
 突き刺さりそうな勢いで指を指せば、オッドアイの男、六道骸は、不快、と顔面に隠しもせずに表して、自分の分だけ避難させていたらしいカップに優雅に口をつける。
「どうしてと問われれば、なんとなく、としか言いようは無いのですが」
「な、なんとなく?」
「ええ」
 暇なので、と。
 本当にそれ以外の理由など何も無いのだという顔で言いのけて、まだ残ってんのか、と突っ込みたくなるほどにしつこくカップに口をつけている。
「お、俺はつまり今、てめぇの暇つぶしにつき合わされてるってわけか…っ」
「頭の回転が早い人は好きですよ」
「好かれたくねぇ是非嫌ってくれ」
「残念」
 肩をすくめる仕草すら優美な男は、いつの間に戻したのか、先程引っくり返したはずのテーブルにカップを戻し、どこから取り出したのかわからないポットから新しい紅茶を注いでいる。
 夢だ。
 この理不尽さと不可能さは確実に夢なのに。
 なんだってこんなに現実味のある夢なんだ。
「どうせ夢なら違う夢がいい…」
「わがままを言わないでください。はい、どうぞ」
「俺は珈琲派だ」
「ああ、そういえば、君はイタリア人でしたか」
 ぽん、とわざとらしく手を打った骸は、少しだけ申し訳なさそうに苦笑する。
「ですが申し訳ありません。珈琲は用意して無いので、我慢してください」
「夢ならぱっと出てくるもんじゃないのか」
「手品みたいに言わないでください。無理です」
「ちっ、使えねぇの」
 仕方なく、カップに手を出した。口元まで運んでみても、これといった香りも味もしない。夢だなぁ、と思いながら飲む、白湯に似た飲み物は、それでも一応紅茶なんだと思えばそんな味がしなくもなかった。
「でぇ? なんだって俺なんだよ、お前のとこの女にすりゃいいじゃねぇか」
「凪… クロームですか? あの子とは常に接続していますから、今更ですよ」
「じゃあ、ヨーヨー野郎かアニマル野郎は」
「貴方、そのネーミングセンス頂けませんね。千種と犬は後が大変なのですよ。どちらかと繋げば、翌日随分とクロームに食って掛かるそうで… 犬などは、特に」
「お前にだけはセンス云々言われたくねぇよ… じゃあ、なんで俺なんだ」
「以前、貴方とは仮の契約をしたことがある」
 湯気立つカップに付けられた、骸の唇が笑む。
 確かに過去、一時的な憑依の契約が交わされた、というか、一方的に取り付けられたことがある。あれは、あまり気持ちのいいものじゃなかった。
「そのおかげで、今でもすこしラインが繋がっているんですよ。クロームほど強力でもなければ、犬や千種のように回数を重ねて深くなったラインでもない。操ったり憑依したり、とまでは行かないので、まあ、繋がりにくい携帯の電波みたいなものです」
「判りやすい解釈をありがとうよ… で、俺にたまたま繋がった携帯が、なんの用だよ」
「いえ、本当に暇なだけなので、何かお話でも出来ないかと」
「話ねぇ」
 なんだってこんなに和やかな雰囲気なのか。
 自分が一番わからないが、目を覚ます方法や、骸を追い出す方法が無いかぎり、結局どうあがいたってしょうがない。こいつが飽きて去るのが早いか、朝が来て目覚めるのが早いか。どちらかがくれば去るのだから、まあ、暇つぶしぐらい、同じ守護者のよしみで付き合ってやらなくも無い。
「そうだ」
 守護者で思い出した。
「はい?」
「お前んとこの二人組」
「千種と犬ですか」
「あの二人、あの女に対する態度、あんまりじゃねぇの?」
「…はい?」
 きょとん、とこの男に当てはめるにはあまりに可愛くない擬音の付きそうな顔。
「だから、クロームとか言う女に対する態度だよ。霧戦なんか、てめぇが出て行った後は知りもしねぇみたいな態度だったぞ」
 霧の守護者としての対戦。戦うということに不慣れで、力の弱いクロームに変わり、その体を使い骸が決着をつけた。そう昔の話でもない。
 そのとき、骸が再び去り体がクロームに戻った途端、彼の腹心二人はあっさりと彼女を見捨てた。
「そりゃあ、足がありゃてめぇで帰るだろうよ。俺だってそうは思うが、手くらい貸す」
「そうですねぇ… 育て方、間違えましたかね」
 彼らにしてみたら、単に骸が第一で、その精神の受け皿であるクロームは、あくまで受信機だという考え方なのかもしれない。それはそれで構わないと思うし、獄寺自身女は得意じゃない。義姉と言う苦手分野もある。けれど、あそこまで徹底は出来ない。
「扱いかねている、というのもあると思うのですよ。僕らは、あまり女性に触れてこなかった」
「お前以外、の間違いじゃねぇの?」
「そうともいいますか。けれどそれは僕が強いたわけではなく、彼らが自主的にそうしただけのこと。そう気を揉むことも無いでしょう、二人もいずれ慣れるでしょうし、クロームも彼らの扱いに慣れてくると思います」
「だといいがな。毎回面倒見させられる身にもなって欲しいもんだぜ」
「それはそれは」
 くふふ、と独特の笑いを漏らした骸が、不意に顔を上げる。
「残念、お時間のようですね」
「ああ? やっとか」
 目が覚めたのか、骸の不安定なラインが切れるのか。
 どちらにせよ、この奇妙な夢の終わりが見えてきたらしい。
「クロームの件に関しては、二人に言って聞かせておきます。まあ、僕が何を言っても、駄目なときは駄目なんですが」
「頼りない主人だぜ」
「ふがいないばかりで… では、また」
「もう来なくていい」
 しっし、と追い払う。なのに骸は、そんな扱いにも楽しそうに笑って、手を振った。
 それが、獄寺が覚えている、最後の夢の記憶だった。

「…ってことがあったんスよ…」
 ぐったりと机に伏せる獄寺が、鬱々と話して聞かせた夢物語。まさしくそう呼ぶとしかない話を、時折背中に寒いものを感じながら聞いていた沢田は、どう返していいのかわからず黙り込んでしまった。
 既に時刻は昼を過ぎていて、放課後に近い時間になっている。あと数分もすれば担任が教室の扉を開き、終礼が始まる。そうすれば後は帰るだけだというのに、よりにもよって最後の最後にこんな話を聞いてしまうなんて。
 いや、確かに振ったのは、俺なんだけど。
 今日は朝から獄寺に元気がなく、何かと山本が絡んでも、うるせぇ、の一言で片付けてしまっていた。いつもならその後に、野球馬鹿、が続いて、それに返した山本にさらに獄寺が言い返し、と無限ループのような喧嘩漫才が始まるのに、今日に限って獄寺は一つも突っ込まない。
 どうしたのかと、友人としては心配にもなる。
 こういうのはツナの専門分野だろ、と疑いもしない爽やかな笑顔を向けた山本は、既に係わるのをやめてしまった。一年以上も前に止めた自殺騒ぎ以降、山本の中で沢田綱吉の位置は、何か特殊なものになったように思う。
 人生相談所じゃないんだけどなぁ、と一人ぼやいたところで、獄寺の鬱は晴れない。むしろ恐縮して深くなる一方だろう。
 それならと水を向けてみたら、夢見が悪かったのだ、と告白してきて。
「いや… 本当に夢なのか、それとも奴が言ったことが本当なのか。どっちなのかはわかんねぇんですが」
 そう前置きを置かれた瞬間、後者だな、と思った。
 こんなときばかりは自分の血が恨めしい。超直感なんて能力、欲しいときにだけ出てくればいいのに、こんな出だしの部分で発揮されたら、後の話を聞く気がなくなってしまうじゃないか。
 その後繰り広げられた、骸による一夜の夢は、和やかなんだかよく分からない雰囲気のまま続き、議題はクローム髑髏に対する待遇改善で終始した、と。
「…ま、まあ、喧嘩になったりしないだけ良かったじゃない」
 たとえ夢の出来事だとしても、この二人が喧嘩をしないでいられたのは奇跡に近いだろう。二人で一つのテーブルについて、紅茶を飲んだだけでも。
「けど、朝からずーっと、なんとなく重くて… あいつの憑依ってこんな感じだったかなと」
「さ、さあ。俺は、なんだかんだで免れたから… あ、ビアンキとかなら判るん」
「アネキに聞くことなんて何一つありません」
「え、えーっと…」
 言葉の途中できっぱりと返された拒絶に、別の選択肢を思い出す。
「そうだ、雲雀さん」
「…へ?」
「雲雀さんも骸に憑依されてたんだ。本当に少しだけだったんだけど」
 骨を一本といわず数本折られた体で、よくあそこまで動けた、と後々医者がぼやいているのを聞いた覚えがある。それほど酷い怪我だったおかげで、雲雀は骸による長時間の憑依を免れた。
「雲雀さんに相談してみたら?」
「雲雀、っすか…」
 今度は拒絶されなかった選択肢を前に真剣に悩んでいる獄寺の顔色は、あまりよくない。
 病んでるなぁ、獄寺君。
 落ちた小さな溜息に、担任が扉を開ける音が重なった。

 夕暮れが校舎を包む時間になって、獄寺は漸く応接室の前に立った。
 沢田に、雲雀さんに相談してみたら、と言われて、確かにビアンキと面と向かって話をするよりはマシかもしれないと思い立ったのはいいが、よく考えたら雲雀がそんな馬鹿みたいな夢の話を真に受けるだろうか、と不安になってしまい。
 結局、こんな時間まで掛かってしまった。
「…ええい、腹を括れ、俺っ」
 自分に気合を入れて、扉に手をかける。
 あっさりと開いた引き戸の向こうには、想像していた通りの黒い制服が、いつもどおりの姿勢でソファに腰掛けていた。
「ノックぐらいしたら」
「うるせぇ」
「全く、夜更けまで廊下に立ってるつもりなのかと思った」
 気づいていたらしい。それもそうか、相手が誰でもなく雲雀なら、扉の前に立ったどころか階段を上がった時点で気づいていただろう。
「それで、何の用?」
「…その、ちょっと馬鹿げた話を一つ」
「聞く耳持たない」
 あっさりと返される。
「お前、もうちょっとくらい聞けよ」
「落語みたいな始まり方が気に食わない。くだらないなら僕は帰る」
「っ、くだらねぇけど聞け」
「その前置きで聞く気になる人間は居ないと思うけど」
「うるせぇなっ。いいから聞け。俺たちの今後の夜にかかわる」
「…夜?」
 ぴくり、と雲雀の目元が動く。
「どういう意味?」
「まんまだよ。聞く気になったか」
「……話して」
 雲雀の目がいつもに比べて鋭くなったような気はするが、聞く気にはなったようだ。ならば、とソファの空いた部分に腰を据えた。
 そして、本日二度目となる夢の話を、雲雀はただ黙って聞いていた。途中で鋭かった目が呆れた色を帯びたが、なぜかそれも直に消え、険を帯びたものになっていた。
「…つーことなんだけど。お前もそんなことあんの?」
「さあ、今のところ無い」
「じゃ、やっぱり俺だけなのか。つーか、本当になんで俺なんだ」
 力の抜ける体を前に倒す。自然と背中を向けることになった雲雀は、暫く黙った後、その理屈なら、と話を続けた。
「今夜にでも僕のところに繋がる可能性もあるわけだ」
「まぁな。何、お前あいつと話したいの」
「彼とはもう口をきかないと言った」
 ふて腐れたように言い切った雲雀が、手を伸ばしてくる。緩く後ろ髪を引かれて、体を隣に戻した。
「それで、寝不足って顔してるの?」
「え、してるか?」
「十人中九人までは、そう言うと思う」
「微妙な話だな、そりゃ」
 冷たい、白い指先が、目元を撫でる。寝不足というのだから、クマでもあるのかもしれない。みっともない、全然気づかなかった。
 何度も繰り返し撫でられる目元がくすぐったい。反射で閉じた瞼に、暖かい唇が触れる。次いで音がなりそうなほどに舐められて、思わず笑った。
「やめろって。今目ぇ閉じたらマジで寝そう」
「寝てればいい。門が閉まる前に起こしてあげるから」
「珍しい。いっつも放置してくくせに」
「今日だけはね。二日も立て続けに違う男の夢を見られるのは不愉快だから」
「ばっ…!!」
 思いもしなかった言葉に、閉じていた目を開ける。
 そこには、思った以上に近いというよりはもう距離なんてほとんど無い位置に雲雀の顔があって。
「見るなら僕の夢にして」
「ば… だ、え、あ、のなぁ…っ」
 開いた口がふさがらない。金魚みたいに、空気を吸うためだけに動いている。
 真面目に真剣な顔をした雲雀が、嘘みたいに近い。
「テレビの、チャンネルじゃねぇんだ、からっ。そんな、ぽんぽんできるかっ」
「じゃあ、寝る間際まで僕のことだけ考えてればいい」
「んな恥ずかしいことできっ」
 るか、と続く言葉が吸い取られる。行き場をなくした言葉が、絡め取られる舌に巻き取られ、嚥下され消えていく。
「はっ… 寝かせてくれんじゃねぇのかよ…」
 あがってしまった息がみっともない。きっと、顔だって真っ赤なはずだ。なのに、顔が近すぎて、手で隠すことも出来ない。
「いいよ、いくらでも。その前に」
 夕暮れに染まる応接室に、衣擦れの音が響く。解かれたネクタイが床に放られ、掛けられていただけの黒い学生服が、ソファの背に落ちる。
「僕にチャンネル固定しておかないとね」
「…テレビ番組みてぇ」
 くく、と笑い目の前の首に腕を回せば、晒された首筋に降りてくる。
 確かにこれならコイツ以外のことは考えられない。さすがにそこまで器用じゃない。あの奇妙な訪問者も、今日ばかりは諦めてくれるだろう。
 肩に走る甘い痛みに息を詰めながら、獄寺は、それきり他の事を考えるのをやめてしまった。

「…ふむ、もう無理ですかね」
 一人呟く男は、変わらないティーセットを前に、じっと座っている。
 昨日は、なかなかに楽しかった。夜には繋ぎっぱなしの凪とのラインを彼女の精神維持のためには切らねばならず、体を常に強制的に眠らされている自分ひとりが、時間をもてあましてしまう。
 そんなときに、偶然繋いだままだった心もとないラインを発見した。
 直に切れてしまうだろうことはわかっていた。精々、繋がっても一度きりだろう。力が全てこの身に戻れば再度繋ぐことも可能かもしれないが、今は出来ない。
 必要なのは凪と繋がっているラインだけだ。他は切れて困るものではない。それでも、時間つぶしくらいにはなるだろうと繋いでみた。
 その先に居たのは、ボンゴレの嵐の守護者だった。
 ふわふわと寄る辺無い、睡眠の浅い精神を引き寄せるのは簡単で。一晩だけの時間つぶしに付き合ってもらったが、なかなかに楽しい時間だった。
 あわよくば今日も、と思っていたのだけれど。
「繋がらない… というよりは、繋げない、のですかね」
 ラインはまだ生きている。既に消えかけてはいるけれど、かろうじて、在る。
 なのに繋げられないのは、彼の意識に寄る辺があるからだ。
「ふむ、まあ」
 かちゃん、とわずかな陶器の音を響かせて、骸は笑む。
「いい暇つぶしでしたし、見逃してあげましょうか」
 腕を振り上げ、下ろす。その仕草は、何かを切り落とすのに良く似ていた。
 その手を、今度は何かを掴むように握りこんで、骸は手を引く。昨日獄寺とした、他愛もない約束を思い出したからだ。
 あの時間はなかなか良かった。だから、これくらいはしてやらなくもない。
 目の前の空席に、ぼんやりと二つの人影が現れるのを、骸は心の底から楽しそうに見ていた。

うちの雲獄には甘味が足りない、と思い立ったので。