午後の話
「それ、取り上げ対象って判って持ってるの?」
「俺が持ちたくて持ってると思うのか、これを」
それは、ちょっとした嵐、いや、台風が発生しそうな予感のする、午後の話。
「だから、言っただろ。馬鹿女が」
「誰」
「ええーっと…」
普段からあだ名でだけで呼んでいる、いつでも姦しい他校生の名前を思い出そうと、首をひねる。
今日は学校は休みで、校門は錠が下ろされ、玄関には丁寧に、本日休校、と紙が張っている。にも係わらずここは校舎内で、目の前には当然のように制服を着こんで仁王立ちになっている風紀委員長が居て、その横に情けなく転がされている自分が居るわけなのだが。
どこかの学校馬鹿じゃあるまいし、獄寺には休日まで登校する様な趣味は無い。そもそも学校自体、沢田が居なければ来る必要は無いと思っている。そんな場所に、どうして態々忍び込むようにして来たのかと言えば、話は数十分前に遡ることになる。
休日に沢田邸にお邪魔するための理由を探して商店街をうろついていた獄寺を呼び止めたのは、現在父親不在の沢田家における家長たる、沢田の母だった。
聞けば、今日は居候になっているチビたちとリボーン、そしてなぜか義姉であるビアンキまでもがそろって家に居るらしい。外出先からの帰還がもう少し先の予定だったらしいビアンキの分を含めると、予定していた夕食の材料が足りなくなってしまったことに調理の途中で気づき、慌てて出てきたのはいいが、食材が多すぎて抱えられない、と言う。
それならと当然荷物もちを買って出たが、ビアンキの居る場所に入る気にはなれず、玄関先で失礼した。一応、沢田邸に赴いたという事実が出来ただけでもよしとしよう、と自分に言い聞かせてから踵を返し。
そう、その時に、たまたま来たハルが。
「そうだ、ハルだ」
「ハル?」
「見覚えあるだろ、他校の女」
「ああ…」
思い出したのか、小さく呟かれる声は、声というより息に近い。
そうだ、あの時振り返ったら丁度真正面にハルが居て、危うくぶつかりそうになったんだ。それを、自分を棚に上げてぎゃあぎゃあと騒ぐハルを宥めるのも謝るのも御免で、横を通り抜けようとした途端、腕を掴まれた。
「っ、なんだよテメェ!」
「わかりました、今のは確かにハルも悪かったですっ。でもでも、獄寺さんだってちょっとは悪かったんだから、喧嘩両成敗、同時にごめんなさいしましょう!」
「はぁ!?」
「できないのなら、ハルは今すぐここにビアンキさんを呼んできます! どっちがいいですか!?」
意地でも謝らせたいのか、子供みたいに頬を膨らませるハルがそう言い張り、けれどどちらも心の底から御免の獄寺は、勝手に三つ目の選択肢を取り出した。
つまり、両方無視したのである。
「酷いですあんまりです獄寺さんの馬鹿ー!!」
さっさと向けた背中に、中学生とは思えない罵声を、隣近所五軒くらいには届きそうな大声で叫ばれて、思わず足を止めてしまった。
それが、運の尽きだったのだ。
「それで、どうして君がその見るからに安っぽいインスタントカメラを持って学校まで来たのか、全く繋がらないんだけど」
「ハルの馬鹿が、テメェの写真で勘弁するとか言い出しやがったんだ」
「僕の?」
「あー。理由は聞くなよ、知らねぇから」
手の中にある、雲雀曰く見るからに安っぽいインスタントカメラを、ころりと転がす。
どらちも嫌だというのなら雲雀の写真を撮って来い、と、ハルが言ったのは本当だ。以前、アンケートとか称して雲雀に話を聞きに来たときに、鳥とのツーショットがぶれていたのが悔しい、というのが理由らしいが、あまりに馬鹿馬鹿しくて口に出すのも面倒だ。
改めて自分で撮れ、とは言ってみたものの、返ってきた答えはあっさりしていた。
「ハルはツナさん以外のことで他校に許可なくお邪魔するほどおばかじゃありません」
だった。
沢田第一の考えには共感することがあるが、女の思考回路は未だによくわからない。
「結局、その選択肢を取ったわけだ」
「まさかテメェが本気で日曜の学校に居るとは思わなかったけどな…」
「居なきゃどうするつもりだったの」
「帰る」
「堂々巡りだね」
呆れた声に、うるせぇ、と返して仰向けから横を向く体勢に変えた。
先程まで握られていた武器は消え、窓から吹き込む風に目を細める雲雀は、そうして立っていれば決して悪くないと思う。顔の造作も、雰囲気も。
殴打され痛む肩を動かして、安っぽいカメラを取り出す。新品らしく、一度もシャッターの切られていないそれは、多少形がゆがんではいたが、使えなくはなさそうだった。試しに小さなレンズを覗いて見るが、傷一つ無い。
その向こうで、ふわふわと踊るように揺れるカーテンに、雲雀が手を伸ばす。すると、その指にカーテンの陰から現れた黄色い鳥が止まり、それは、見慣れた光景なのに、ファインダー越しに見ると魔法のように不思議な光景で。
「…何」
「あ、いや」
かしゃん、と落ちたシャッターの音に、雲雀の顔が一瞬で不機嫌に変わる。
「それで君は依頼を完遂かい? 随分と安く見られたものだね、僕も」
「そういうわけじゃなかったんだって」
「じゃあ、何」
「いや… なんか、普通に、自然と押しただけで」
特に意図したわけじゃなかった。カメラを取り出したことでさえ、無事であることを確かめる為であって、それも弁償するだけの金が心配だっただけの話だ。
シャッターを切ったことに、特に理由はなかった。
あえて言うなら、ガラス越しに見る光景に、自然と指が動いただけで。
「押した俺が驚いてる」
「…全く」
二度目の、呆れた溜息。
仕掛けてくるかと思ったが、気を殺がれたのか、雲雀は近くの机に腰を下ろしてしまった。
窓からは相変わらず穏やかな風が吹き抜けて、長めの黒髪を揺らしている。殺気立った主人から離れていた鳥が再び舞い降り、今度はその黒髪に身を埋めた。獄寺が知っている限り、そんなことが出来るのは、この鳥一羽だけだ。
ハルから聞かされた、写真が欲しい理由。
一番大きな理由は本当に写真がぶれたというものだったが、二つ目の、彼女自身からしてみればどうでもいいらしい理由が、獄寺の口を噤ませた。
「ハルには判りませんが、雲雀さんみたいな人は意外と女性に人気があるんですよ。それで、うちの先輩達に頼まれたんですが、ハルはツナさん以外のことで並盛にお邪魔する気はありませんし、ツナさんにお願いしたんですが、雲雀さんのことにはノータッチだと言われてしまったので」
「帰り道でも捕まえりゃいいだろうが」
「はひっ! そんなこと出来ませんっ、妻たるもの、いついかなるときも夫の邪魔はせぬものです。ツナさんに断られた以上、ハルがでしゃばる訳には行かないんです」
「じゃ断れよ」
「それは… ハルにもお付き合いというものが…」
あっちを立てればこっちが立たぬ。結局、こちらにその鉢が回ってきたわけだ。貧乏くじとも言うが。
それは、まあ、確かに。
こんな風に静かにしていれば、それしか知らない他校の女生徒たちが色めき立つのもわからないでもない。純然たる日本人らしい雲雀の外見は、いまどき珍しいほどだし、そういうのが逆に受けているのかもしれないし。
けれど、雲雀の本質はそんな生易しいものじゃないし、見た目だけで人は判断できない。こんなほそっこい体なのに、そう体格の変わらない獄寺が簡単に吹き飛ばされるだけの力がある。誰が信じるだろうか、この細腕が、弾丸すら跳ね返すなどと。
見た目だけで惚れた腫れたと言っている間にやめておいたほうがいい相手だ。
それは、獄寺自身が、身をもって知っている。
「…馬鹿だよなぁ」
カメラを床に置いて、体を起こす。打ち据えられた箇所が痛むが、気にせず雲雀が腰掛ける机に背を預けた。
「誰が?」
真上から降る声。穏やかな風に乗り降りてくるのは、吐息交じりのそれと、髪に絡む細い指先。
「俺がだよ」
見た目だけでどうだと言ってる間に、やめておけばよかったんだ。
「なんだ」
緩く髪が引かれて、顔を上げる。思ったより近かった唇が、額に触れて、離れた。
その形は、おそらくフィルムに焼き付いているだろう瞬間と、同じ笑みを湛えていて。
やめておけば良かった。引き返せる時に、留まっていればよかった。こんな笑みを向けられる前に。
「今頃気づいたの?」
もう、何もかも、遅いけれど。
台風の予感は消え、室内には穏やかな風が吹き。
カメラは返せないだろことを改めて予感し、弁償と謝罪を覚悟した獄寺は、殴られ損だ、と一人つぶやいた。
19巻表紙裏から。久しぶりの中学生雲雀は破壊度高いです。 ▲