共犯者の癖に

「それ何の冗談?」
「俺が聞いてるんだよ!!」
 朝も早くから、どうしてだか行く先々で色んな食べ物を貰う。生まれてこの方、人に尽くされ傅かれるのは普通だったけれど、何だか妙に頬を染めた女生徒に呼び止められるのは少し違う気がする。まして、話したことどころか会ったことすらない女にまで声を掛けられれば、今日は一体何の厄日だと言いたくもなる。
 まさしく、今日2月14日は最悪の日、だ。
「朝っぱらから道端で呼び止められるわ公園には引きずり込まれそうになるわ、駅前じゃ両手の指くらいの全然知らねぇ制服の学校の女にまで囲まれたんだぞ!!」
 これを厄日と言わないのなら、日本はどこかおかしい。
「もうちょっとでダイナマイト全部に火ィつけるところだったぜ…っ」
 実際、煙草を取り出しかけはしたのだ。
 けれど、敬愛する十代目は一般人が多いところで抗争を起こすことを望まない。どうにかしてその場は逃げ切ったけれど、学校まで続いたときには、さすがに寒気がした。教室に入っても同じ惨状で、山本なんかはにこやかに相手をしていたけれど、そんなの無理に決まっている。
「君、もうちょっと日本勉強してからこっちに来てもよかったんじゃないの?」
 無知すぎる、とため息混じりに言われて、かちんときた。
「知ってるっつーの! バレンタインだろ!」
「なんだ、知ってたの」
「わかっちゃいるけどなっ! だからって人の朝から昼までの時間を全っ部あいつらが占めていいのかよ! どんな行事だってんだ!!」
 本当に菓子業者の陰謀ならまだいい。いっそ踏ん切りがつくというものだ。けれど彼女たちの目は、自分から見たら確実に血走っていて。
 あれは、獲物を狙う猛禽の瞳だ。
「うん、いい表現だ」
 面白そうに笑う雲雀は、そう言って目の前に積み上げられた菓子の山を見た。全て、ロッカーや机に入れられていた、否応なく自分がどうにかして処分しなければいけない分の、チョコレートだ。靴箱にトラップのように仕掛けられていた分は、履物入れに食べ物を入れること自体に嫌悪が生じ、早々に処分した。
 そんないっそ攻防戦といいたくなるような女生徒の追跡を免れるために、誰もが何があっても近づかない唯一の教室、風紀委員室に逃げ込んだのは、昼休みも半ばになってだ。
 結局ここに来るしかないとわかっていても、できるだけ近づかなかったのに。おまけに、いなければいいのにと思っていた相手は、ちゃっかりソファに座って優雅に午後のお茶タイムだ。
「じゃあ、これの処分に困ってるわけだ」
「あー… もー、しょうがねぇから持って帰る。学校の焼却炉に入れるのもさすがに気が引けるしな」
 靴箱の分は容赦なくそうしたけど。
 ため息をついて、一度は広げた箱だの袋だのを紙袋に入れる。
 と、その手に冷たい感覚が触れた。
「…なんだよ」
 それは、雲雀の手から伸びる、一本の棒。その素材が何なのかは知らないが、刀ですら受け止め弾丸をも跳ね返す強度のそれに、太刀打ちできる手段はない。
「それ、処分しておいてあげるよ」
「はぁ?」
「どうせまた帰り道、同じ目にあうんでしょ? それなら少しでも減ってた方が逃げやすいし、移動しやすい。うちで処分するよ」
 だから、とトンファーよりも冷たい声が耳に響く。
「置いていきな」
 手の甲に置かれたトンファーは、それ以上強く押し付けられることはなく、触れる程度で止まっている。
 けれど、たとえばその言葉に否といえば、この凶器は躊躇いなく腕をつぶし、そのまま頭に叩き込まれるだろう。そうなれば、夕方まで目が覚めない自分ひとりが、この誰も近づけない部屋に残される。
 それ自体は、いつものことと、構わないけれど。
「……判ったよ」
 テーブルの上にいくつかの箱を残したまま、手を引いた。触れるだけの凶器は付いては来なくて、やがて音を立てて引っ込む。
「…お前ってさぁ」
「何」
 判りやすいような、判りにくいような。
 そう続けようとして、下から見上げてくる雲雀の目を見てやめた。なんでもない、と首を振れば、変なの、と不機嫌そうにそっぽを向く。
 この山は、自分から見れば無用の長物だけれど、送った本人たちからしてみれば勇気の塊なのだそうだ。きゃあきゃあと騒ぐだけの女子生徒から、妙に真剣そうな顔をした子まで、確かに様々だった。小さな箱や袋に詰め込むのは、どうやら甘い菓子だけではないらしい。
 それでも、どれだけ真剣に思いを込めたとしても、結局無用の長物になってしまう。それだけは、変わらない。
 ざわざわと騒がしい昼休みの空気に混じって、ジジ、という音がする。あまり新しい機材ではない放送機器は、チャイムや放送前には必ずそんな雑音を立てた。案の定、すぐに午後の予鈴が鳴り響く。
「授業、始まるよ」
「お前はどーすんだよ」
「僕はいつでも自分の好きな教科の授業に出るんだ」
「そればっかな」
 笑えば、そっぽを向いたままだった雲雀の視線が戻ってくる。
「行かないの?」
「サボり」
「へぇ… 僕の目の前で?」
「朝から逃げ回って疲れて眠いんだよ。ここしかねぇ、休ませろ」
 座る雲雀の隣に腰を下ろす。気に食わなければトンファーが飛んでくるに違いなかったけれど、いつまで経っても冷たい凶器は触れては来なくて。
 代わりに伸びてきたのは、労わるような、指先。
「目を瞑れって言うんだ」
「そーだよ」
 髪に触れた指が、そのまま頬を辿る。唇まで来たそれに噛み付いたら、薄い笑みがこぼれた。
「変わったお願いだね」
 しゃん、と音がして、左腕の凶器が伸びる。音を立てて横になぎ払われたそれは、テーブルの上に残っていた菓子全てをテーブルの下に落として、再びもとの位置に戻った。
「仕方ないから、見なかったことにしてあげるよ」
 肩にいつものようにかけられたままだった黒い制服が、ひらりと舞う。
「共犯者の癖によく言うぜ」
「いいね、その響き」
 くすりと笑う声が、耳のすぐ側で響いた。


 舞う制服が崩された山に覆いかぶさると同時に、古い機材は午後の授業開始を告げるために、再び錆び付いた音を漏らした。

バレンタインオムニバス企画第一弾。標的36直前で。