愛しき緑

 それは何の変哲も無い、春も終わりに近づいた日のこと。

 いつものように朝食を摂り、部下からの定時報告に目を通すも、特には異常も目新しい情報もなく。昼近くまでは書類処理をしていたが、このまま屋敷に居ても仕様が無い、と出掛けることにしたのは、既に午後一時を回った頃だった。
 部下には、特に予定は無いが帰りは未定だということを告げている。未定といった以上、帰るのが今日中か一ヵ月後か一年後かは判らない。それを承知している部下からは、お気をつけて、という言葉一つで送り出された。
 リングとボックスの謎を解くため設立した風紀財団は、既に世界中にその支部を持っている。本拠地がどこだという意識は無いが、一番最初にその施設が作られたのは、マフィアの故郷、イタリアだった。たまたま風土としてそういう施設が作りやすかったことと、ボックスもリングも、イタリアが発祥だからだ。一時的に世界に散らばったそれらも、様々な権力によって故郷に戻りつつある。調べるには絶好の土地だった。
 屋敷の隠し通路を抜けて、田舎町の裏路地にでる。カモフラージュを施した隠し扉は、街のいたるところに仕掛けられていた。
 さて今日はどうしたものか。
 目新しい情報が無い以上、以前手に入れた情報を元に調査を進めるか、自分の足で捜し歩くしかない。前者は主に部下達が受け持っているし、後者なると専任部隊が組まれている。早速、行き詰ってしまった。
「…これだから」
 思わず独り言が口をついてしまう。
 だから代表など好きではないのだ。面倒なことはしたくないが、自分の手から仕事が無くなるのも気に入らない。時間をもてあますことほど、無駄なことは無い。
 いつもなら、適当に時間を潰す方法もあるが、今はそんな気分でもなく、完全に手持ち無沙汰になってしまった。
 当てもなく歩き続けると、田舎町の風景は次第に都会のものへ変わっていく。少しでも裏路地に入れば田舎だというのに、どうしてこうも表通りばかりが都会になっていくのか。その境目がわからなくて、この辺に来るといつも気分が悪くなる。人が急激に多くなるのも、その原因だろう。
 屋敷から出てきたのは失敗だったかもしれない。こんな街中まで歩いて来ずに、どこか別の土地に行けばよかった。新しい情報が無いのなら、自分で探してしまえばよかったのに。
 今更自分の行動を後悔しても遅い。が、思わずに居られなかった。
 後悔先に立たず。全く、日本人はうまい事を言う。
 ふう、と溜息をつくと、それを待っていたかのように小さな羽音が耳に届いた。顔を上げれば、ビルの隙間から黄色い鳥が舞い降りてくる。
「なんだ、どこにいたの」
 肩に降り立った鳥は、返事をするように小さく鳴くと、すぐにくちばしで毛繕いを始めてしまった。今朝方出て行ったきりだったから、今頃屋敷に戻って寝ているだろうと思ったのに。
「ま、いいか… 戻るとし」
「雲雀っ」
 来た道を戻ろうと踵を返しかけて、腕をとられた。
 なんだ、と思うまもなく、その声に聞き覚えがあることに気づき、力を抜く。
「やあ、久しぶりだね」
「っ、とに、だよ…」
 息を切らせた獄寺は、らしくなく肩を揺らしながら途切れ途切れの返事をする。随分と長い間走っていたようで、なかなか息が整わない。
「君、体力落ちたんじゃないの?」
 どうせ、デスクワークばかりで実戦など部下にまかせっきりなのだろう。巨大ファミリーの次期幹部ともなると、そういうことも多くなる。
「う、るせぇな… あー、暑ぃ」
 図星だったのか、緑色の目が逸らされた。うっすらと汗をかいた額を拭い、片手でネクタイを緩める。もう片手は、未だに腕を取ったままだ。
「何所から走ってたらそんなに疲れるんだか」
「フルマソンってほどじゃねぇけど、結構走ったぞ。お前、その鳥にもうちょっと離れないようにしつけろよ」
 見つけるのに時間が掛かる、とぶつくさ漏らす。
 と、いうことは。
「僕に会いに来たの?」
 鳥は確かに、昔から側にいる。けれど、もしもの事態を考えて常に側に居なくても手近な支部に帰れるようにはしつけているから、追いかければ何所にはたどり着くだろう。入口は常にカモフラージュで隠されているから、一般人どころかリング使用者でも簡単には見つけきれないだろうが。
 その鳥を追いかけてここまで来たというのなら、当然、財団および個人に用事がある、ということになる。
「っ、ち、げぇよ!! たまたま、見かけたから」
「追いかけたんでしょう?」
 その先に、誰がいるか知っていながら。
 それは、つまり、そういうことになるんじゃないか。
「……っ、くそ」
 反論の余地が無くなった獄寺は、いつもの舌打ちでそっぽを向く。
 そういうところは、子供の頃から変わらない。舌打ちは、本当に腹が立ったとき以外は照れ隠しであることが多いのを、随分昔から気づいていた。
「それで君、珍しく一人なの?」
「……今日は、午後から十代目がお休みなんだ。本部は山本が残って、俺は適当な買出し」
「へぇ」
「ここのところ詰めてたから、気づいたら消耗品が底ついちまって。参った、風呂に入ろうにも石鹸ひとつねぇから」
 落ち着いてきたのか、獄寺の口がすらすらと動く。その間にも腕は放されず、道行く人間の好奇の目に晒されているのだが、気づかないらしい。
 確かに、こんな真昼間に黒ずくめのスーツを着た、どう見ても日系人の自分と、外見だけなら現地人の獄寺が、向かい合って話をして、おまけに手をとられている状態というのは、どう見てもおかしいだろう。おまけに、交わされる会話は全て日本語だ。異様過ぎる。
「お前こそ、なんでこんなところに」
「偶々だよ。時間があるからうろついてたら、君に捕まっただけ」
 正直に言えば、そうか、とだけ言った獄寺が黙り込む。
「それより」
「え?」
 相変わらず何も気づいていない獄寺の、二つほど装飾が施された耳に近づき、わざと声を落とす。
「そんなに捕まえてなくても、逃げたりしないけど?」
「は…? って、違!!」
 軽く腕を引けば、漸く思い当たったらしい。慌てて腕が放されるが、その手を逆につかみ返した。
「雲雀っ!!」
「がなれば余計に目立つ」
 それでなくても目立っているのに。
「こっち」
 言葉を失い、真っ赤になって黙り込んでしまった獄寺の腕を引き、大通りを外れる。その間も、明らかに怪しい二人組に視線は注がれていたが、どうせもう二度と会うことのない相手なのだしと気にしない事にした。そう気になってもいなかったけど。
 曲がりくねる路地を通り抜け、人のざわめきが遠くなって足を止めた。
「全く、本当に一直線だ」
 判りやすく、反応が想像にたやすい。昔からだが、さすがに幹部候補となった今、多少は改善されていると思ったのに。
「うるせぇな、放せっ」
「はいはい」
 言われたとおり、掴んだままの腕を放す。途端に、綺麗な眉が寄せられたのに気づいたが、無視することにした。一直線の癖に、妙なところで素直じゃない。そのくせ全部が表情に出る。
 こんなに変わらなくて大丈夫なんだろうかと、思わず慣れない心配をしてしまうほどだ。
「隼人」
「何… な、んだよ」
 顔を寄せて頬に唇を落とす。一瞬首を竦めた獄寺は一歩引いたが、追いかけるようにして同じように触れた。
「おい、雲雀。待て、待てって」
 わざと、子供がするように音を立てて繰り返せば、言葉に笑いが混じり始める。くすぐったい、と文句を言う声にも取り合わず、最後に唇にふれて、離れた。
「お前、ホントわかんねぇ」
 噴出すようにして笑う獄寺が、力を抜くようにして凭れかかってきた。銀髪が首筋を撫でて、肩に重みが増す。
 そのまま会話は途切れて、ただ黙っているだけなのに、さっきまでもてあましていた時間が、高速で過ぎていく気がする。一分が一分に感じられない。一時間が、五分で過ぎていく気がする。
 さっきまで、どうしたものかと頭が痛かったのに。
 今は、少しでもこのままでいいと思ってしまう。
「あ、そうだ」
 不意に、何かを思いついたように獄寺が体を離す。
「何」
「お前に渡すものがあったんだ」
 スーツの胸元を探っていた手が、握られたまま差し出される。なんだ、と手を出せば、その上に三つほどのリングが転がりだされた。
「……これ」
「この前潰したファミリーが持ってたもんだ。そう大きなファミリーじゃなかったから、昔安く手に入れただけの力の無いものかもしれねぇけど、一応渡しとく」
「僕に?」
「それ、雲と霧なんだよ。持ってても仕方ねぇし、お前結構な無駄遣いするだろ? 一個でも予備があったほうがいいだろうからさ」
 確かに、一度使ったきりでリングが壊れてしまうのはよくあることだが、それはリングの力が弱すぎるからであって、決して無駄遣いをしているわけではないのだが。
 言い訳をつらつらと考えながら、手元に転がるリングを見る。
 三つとも同じ色の石がはめ込まれていて、種類が違うのか、微妙に違う緑色をしていた。
「…綺麗だね」
「だろ、ちょっと珍しいよな」
「うん、君の目の色に似てる」
「……は?」
 三つのうちの一つ、一番色の深いリングを取り、指に通した。日に反射する宝石は、角度によっては輝き煌いて、また変えれば深い緑色になる。くるくる表情が変わる様子ですら、よく似ていた。
 深く、深い緑色。こんなにも綺麗な色を、他に知らない。これ以上綺麗で、愛しい色なんて。
「そう思わない?」
「…しらねぇよ… つか、お前いつからそんなこと言うようになったんだ…」
 恥ずかしい、と呟いた獄寺の顔が、段々と赤くなっていく。なんだか、今日はそんな顔ばかり見ている気がする。
「君と違って素直だから」
 笑って言えば、うるせぇ、と憎まれ口が返ってきた。
「ありがたく貰っておく」
「…おう」
 リングを仕舞いこむと、まだ頬に赤みが差したままで、獄寺が笑う。
 細められる緑色と、揺れる銀糸が、本当に綺麗で。
 思わず腕を伸ばし、抱きしめた。


 借りをそのままにしておくのは気分が悪く、後日ボンゴレのアジトにリングを受け取ったと報告に行くと、一瞬きょとんとした沢田は、ああ、と笑い手を振った。
「気にしないでください。うちでは使える人間が居ませんし、雲雀さんの研究に役立てばなによりだから」
「…そう」
「と、獄寺君が言い張りまして」
「じじじじ十代目っ!?」
 沢田の隣で控えていた獄寺が、あからさまに慌てふためく。
「ななななにを…っ」
「いや正直に言えば何人か使えるんですが、獄寺君にああまで真剣に強請られると、珍しいことだから聞いてあげたくなっちゃって。おまけに自分が渡すからってずーっと持ち歩い」
「十代目ーっ!!!」
 ぎゃあ、と悲鳴交じりの声に沢田の声がかき消され、最後まで聞こえない。
 つまり、あの指輪は獄寺が独断でこちらに送ると言い出し、渡すのですら自分がするからと、持ち歩いていたということ。あの時持っていたのも、偶然ではなく、いつ会ってもいいようにと、そういうことだったのか。
 なるほど、そうか。
 随分とタイミングがいいなとは思っていたけれど、まさか、そんなことだとは思わなかった。
 必死になって沢田に何かを訴える獄寺が、ちらりと此方を振り返る。その顔は茹でタコのごとく真っ赤になっていたが、目が合うと、途端にそらされた。
 全く、本当にどこまでも素直じゃない。
 まあでも、そこが気に入っているのだからいいかと、愛しい緑が涙を流す前に暇を寄越せと沢田に切り出すべく、雲雀は一歩を踏み出した。

やっぱり祝わない雲雀誕生日。