それは信仰にも似た

 雑魚ばかりの群れに時間などかける必要もない。
 突入部隊への、ほぼ一方的になった逆襲撃に幕を引き、雲雀は改めて自分の屋敷に戻った。不本意にも返り血を浴びてしまった。本当ならシャワーの一つでも浴びていきたいところだけれど、さすがにそこまでの余裕はない。
 数着予備のあるスーツに着替え、脱いだシャツで武器に付いた返り血を拭う。適当に放り出しておけば部下が片付けるだろう。まあ、捨てるしか道はないと思うが。
「恭さん、失礼します」
「ああ」
 簡単な返事をすれば、すう、と静かに襖が開く。廊下に両膝を着いた草壁は、一度脱ぎ捨てたスーツに目をやり、顔を上げた。
「準備はよろしいですか」
「僕のほうは。向こうは?」
 保存用のボックスに武器を仕舞い、胸元に入れる。子供のときには仕込みという形で携帯していたが、これはそれよりもかなり便利だ。何よりかさばらない。
「万全ではありませんが、行くと言って聞きませんので」
「そう。好きにさせたらいいさ」
 五日前。黒曜ランドに現れたクロームを笹川了平が連れ戻り、直後、彼女は血を大量に吐き瀕死状態となった。十年前、何事かの理由で内臓を損傷してしまったという少女の体内は、そのほとんどを骸の幻術で補われていた。それは過去から未来に来ても代わらず機能していたようだったが、その日を境に、彼女は自分にある僅かな幻術の力で命を繋いでいる。この時代の骸に何かがあったことは明白だったが、そう簡単にくたばる男でもないだろう。
 けれど、彼女は不安なのだ。
 おそらく、自分の命を助けた男だという以上に、尊敬し、敬愛している。依存とも言うだろうか。あれは、ある意味信仰のようなものだ。
 それでもいいだろう。彼女の生だ、思うままに生きればいいと思う。その結果、骸が生き長らえるというのなら、いつかまた打ちあう日も来る。もう十年、その機会には恵まれていないのだけれど。
 信仰の力は強力だ。彼女は、自らも重症を負いながらも、骸の無事を確かめたいと、敵アジトへの侵入作戦に参加した。どれだけ他が止めても、頑として首を縦には振らない。行く、行かせて、だめなら一人で行く、の一点張りだ。
 だから、同行させた。勿論、自分ではなく、部下にだ。
「それより恭さん、本当によろしいので?」
「何が?」
 膝を突く草壁の横を通り、廊下に出た。時間は少ない。
「私がクロームに同行することです」
 わずかばかり後ろを歩いて付いてくる草壁の言葉は、少なからず、動揺している。
「何もおかしなことはない。いくら出歩けるといっても、あの女では戦闘は無理だ。足手まといになる」
 何より、戦には単体で行く主義だ。草壁は、一番知っているだろう。
「それは、判ります。ですが、ボンゴレの報告を聞く限り、より例の装置に近いのは山本武で、わずかばかり離れた場所で戦闘中なのが…」
「哲」
 既に十年以上の月日をそばにいた男が、へい、と素直に返事をする。
「お前は、僕の隣で何を見てきた?」
「恭さん?」
「僕の隣に居て、お前は一番あの子を見てきたはずだ」
 突入前夜。
 酒に酔った猫が、寝室まで紛れ込んできた。既に何度か、これは十年後の本来の持ち主だが、主人に連れられて会ったのを覚えていたらしい。においでも辿ったのか、妙に甘えた声を出して布団にもぐりこんできたのだ。
 隣に主人が居ないのを見やると、一度だけ、寂しげな声をもらしたのを聞いて、ため息をついたものだ。
 お前などよりよほど僕のほうが。
 そう言いたいのをこらえて、首根っこを掴み、今の持ち主である幼い子供に返した。
 覚えのあるそれより、ずっと明るい銀髪。緑色の瞳は勝気な色ばかりで、十年後にはもっと複雑な色になるのを、自分は知っている。
 こんなに幼かった。無鉄砲で、ただまっすぐに突っ込んで行くだけで、計算高いくせに、直情型。懐かしさに目がくらむ。
 月日を重ね、皆変わった。
 当然、獄寺も幼いだけでなくなり、無鉄砲さは鳴りを潜め始めていた。揺ぎ無い忠実を奉げたその姿は自他共に認めるボンゴレ十代目の右腕であり、そのことを、結局彼は、十代目が死した後も貫いていた。
 いまこの時代に居る、幼い獄寺には無理だろう。後を追う、くらいは言い出しそうだ。
 それでも、同じ獄寺に違いない。
「あの子は、あんな狐に負けはしない」
 信じているんじゃない。クロームのように、ただ妄信し、愛しているわけじゃない。
 知っているのだ。
「同じ相手に何度も負けるほど頭も悪くない。あれでいて回転もいい。それに、何事か変化があったようだ」
 借りは返す、と。
 まっすぐに見て言った。口を利けば、がなることしかしなかった子供が、一気に大人びた気がした。
「だから、手など貸さない」
 自分は、自分のやりたいことを果たすだけだ。
 あの、丸い装置。過去とのつながりを遮断した、忌まわしき装置。
 あんなものがあるから、いつまでたっても、自分の腕の中に帰ってこない。
「僕は、僕のしたいことをする」
 それが結果、ボンゴレの意図と重なるのなら、それはそれで受け止めるしかない。元々、自分たちとボンゴレはそういう関係だ。
「…わかりました」
 小さく頷いた草壁が、では、と頭を下げる。いつの間にか、ボンゴレ側の廊下まで歩いていた。
「私はここで。お気をつけて」
「そっちも」
 廊下を曲がっていく草壁と別れ、雲雀は一人、まっすぐに歩く。
 助ける気など毛頭ない。負けるはずがないのだと知っているから。だからこそ、それを信じ、己は最優先事項を全うする。
 返せ、帰せ。この腕の中に、あの銀色を。
 今はもう、それだけしかない胸の内を、雲雀は息を吐くことで落ち着かせる。これはこれで妄信的だねと、彼の最優先事項に話せば、どんな反応をするだろうか。知れる日も、きっとそう遠くない。

 やがて目前にゲートが現れ、迎え入れるようにゆっくりと開いた。

たとえ山本の下に現れようと全ては獄のため。