君のいない世界

「失礼します、委員長」
 こん、と小さなノックの後、副委員長である草壁の声が扉越しに響く。どうぞ、と返せばようやく開かれ、軽く頭を下げて定期報告を始めた。
「遅刻者は五名。詳細はこちらにリストアップしています。前日からの連続遅刻者は無く、今回の生徒たちの理由も備考欄に記載してあります」
 机の上に差し出される、既に作られたリストに書き連ねられた、学年と出席番号、そして氏名の一覧。確かに、昨日と同じ名前は一つも無かった。理由も、寝坊が大半で、あとの残りは事前に保護者から遅刻の通知があったものたちだ。
「それに、こちらが欠席者のリストです」
 脇に抱えたもう一つのファイルを、草壁が差し出した。
 ずらずらと各学年ごとに並べられた欠席者の氏名。これはあくまで簡単な統計に役立てるものであり、風紀委員の間でも重要視はされていない。一枚二枚とめくっていくと、昨日と全く同じ名前が四名分、重なっている。
 沢田綱吉、山本武、獄寺隼人、笹川京子。
 どれも、見慣れ、聞きなれた名前だ。
「…今日もか」
「へい」
 つい口から漏れた言葉に、草壁が反応する。
「既に一週間です。笹川の両親からは警察に届け出る相談を受けたと、先ほど耳に挟みました」
「警察、ね」
 どれだけ役に立つのかわかりもしない機関の名前に、ふん、と鼻を鳴らした。
 この四名が忽然と姿を消してから、既に一週間が経っている。常に煩いくらいににぎやかな集団が学内から消え、並盛中学は異様な静けさに満ちていた。
 妹の無断外泊に、当初怒り心頭だった笹川了平も、今ではその力の全てを捜索につぎ込んでいる。欠席者リストの中には、その名もあった。両親も、今は兄の学業より妹の無事なのだろう。暫く休むかもしれないと連絡があって以降、草壁の言を信じるならば今の今まで、笹川家から学校にコンタクトは無かった。
 山本武に関しては、親の全面的な信頼というか、放任というか、とにかく最初に連絡があってからは、特にこれといって連絡は無い。沢田も同様だ。
 そして、唯一何の連絡も無い、この小さな町で一人暮らしをしている帰国子女。
 一体彼らはどうしたというのか。
「全く、いつでも人騒がせな連中だ」
 消えるにしても、何か一言くらい言っていけばいいのだ。
 そうすれば、こんな騒ぎにはならないし、妙な勘繰りもせずに済むというのに。
「…委員長」
「何?」
 リストを挟み込んだファイルを付き返すと、草壁がどこか暗そうな顔をしている。
「何か、あったのでしょうか。この四名は、何かと騒ぎを起こしやすいと、以前から委員長の命で出来る限りの様子見をしていました。ですが、週が明けて以降、彼らの姿を誰一人として見ていないというのは、何か変です」
 何かがあるのではないか。
 そう含みながら言う草壁に、ファイルを投げ渡して席を立った。
「あるかもしれない。けれど、それが何かは全くつかめていない。現状ではそうだ」
「へい」
「彼らが集団で家出したにしても、事故に巻き込まれたにしても、僕の情報網に何もかからないのは、確かに妙だ」
 家出をしたのなら、街から遠出をするには駅かバスを使うしかない。しかしどちらにも、ほかはともかく印象の強いだろう銀髪の中学生を乗せたという記録も記憶も無い。事故に巻き込まれたとしたのなら、それこそ一番大きな病院である、配下の元に運ばれるだろう。けれど、そんな患者は一人も居なかった。
 本当に、忽然と四人は消えてしまった。
 まるで、神隠しか何かのように。
「…手の施しようが無い」
 ぎり、と知らず知らずに歯を噛み締めていた。
 心配する家族が居る生徒はいい。山本にしろ沢田にしろ、一度は連絡が来ている。息子が帰ってこないのだが学校に居るのだろうか、と心配する親の様子は必死だった。
 ただ、一人だけ。
 誰からもなんの連絡も無かった、たった一人の生徒。
 まるで誰からも必要とされていないのではないかと思わせるような、その生徒の安否を、己が一番案じている。
 窓ガラスに映る顔は、どこか白い。いつもは気にならないそれが、酷く青く見えて、そういえばまともに眠ってもいないのだということを思い出した。
 眠れない。眠れるわけが無い、あの子が居ないのに。
「……それでは、委員長。自分は一度失礼します」
「ああ」
 部屋の空気の温度が変わったのを察したように、草壁が部屋を辞した。からからと鳴る引き戸の音が、空々しくて苛立ちを募らせる。
 ほんの少し前に、この学校は文字通り戦場だった。金髪の鞭使いが突然目の前に現れ、一つの指輪を渡し、沢田を守れ、と言ったことが発端だ。
 当然御免だと言ったが、結局はその指輪をかけた戦に参加し、今この手にはそのリングが一つ残っている。
 あの出来事を考えれば、また同じメンバーが何事かに巻き込まれたのだろうということは明白だった。でなければ、彼らは本当に蒸発してしまったことになる。
 何かがあったのだ。だから、彼らはそろって行方不明になっている。
 既に十日が経過した。
 あとどれだけ待てば、彼らは、あの子は、帰ってくるのだろうか。
「歯がゆいな」
 待たなければいけない立場など、今まで一度も経験したことが無い。どうにも出来ない状況に立たされるというのは、おそらくこういうことなんだろう。
 制服の胸元に入れていたリングを取り出し、右手の指に通した。見た目ほどには重くなく、いつでもあの白い指に飾られていたよく似たものを思い出して、無意識に眉間に皺が寄った。
 待つなど自分らしくない。それでも、どうにもできない。
「…隼人」
 緩く持ち上げたリングを覗き込む。何も見えはしないが、その向こうに、よく似たデザインのリングを掲げ誇らしげに笑っていた姿が見えた気がした。
 ほかはどうでもいい。あの子だけを、早く返して。
「迎えにいけたらいいのに」
 腕を引き、抱きしめて、もう二度と離れないように。
 だから、早く。
 神だろうが悪魔だろうが構うものか。連れ去ったそれは、僕のものだ。
 早く、一分でも一秒でも早く。
「…返せ、僕の隼人を」

 誰に告げるでもなくつぶやく言葉を苦しげに吐くその姿を、正門影から窓越しに見る緑色の瞳に、けれど雲雀は気づかぬまま、静かに目を閉じた。

委員長再登場に、熱が赴くまま。