君のいない世界・2

 あの日から、指輪を指に通していることが多くなった。
 別に、それで何が変わるわけでもない。小説でもあるまいし、これで通信が出来るなんて思っちゃいない。
 それでも、どうしても外せなかった。
 今思えば、僕らの間にはこれしか共通したものが無い。
 もっと何か作っておけばよかった、なんて、本当に今更だ。

 並盛中学から男女四人の生徒が忽然と姿を消して、約二週間。
 町は何事も無かったかのように日々を繰り返し、教師によって全面的に押さえ込まれた情報が生徒に行き亘っていないこともあり、学校も表面的には穏やかだった。
 しかしその内実は非常に危険な状態に陥っていて、どうしたことか連絡のほとんど無い男子生徒に比べ、ただ一人の女生徒である笹川家の混乱は日々悪化していた。
 あれから調べを進めた結果、街から消えているのは四人だけではなかった。
 ニヒルな笑いを浮かべる赤ん坊に、見かけたことのある辮髪の少女、牛柄の服を好む少年。それに、何度か学内に忍び込もうとしたことのある他校の女子生徒。さらには隣町である黒曜中学からも女子生徒が一人消えていた。こちらは元々家族との繋がりが希薄らしく特に問題になっていなかったが、もう一人の女子生徒の家族は笹川家と変わらぬ混乱だった。
 相変わらず、病院にも町境にも異変は無い。警察もお手上げらしい。
 けれど、並べられた九人の名前には、たった一つだけ共通点があった。
 この指輪を賭した戦いで知った、沢田綱吉の確定された未来。遠い地で、マフィアのボスとしての椅子が待っている彼に、全員がなにかしらの理由で関わっていることだ。今この指に填まる銀の指輪を、そのうちの四人が持っていることは偶然なのか。
 結局、またあの男がらみなのだろう。騒動の中心にはいつでも沢田が居る。
 はあ、ともうこの二週間でどれだけ吐き出したか判らないため息を吐いて、窓から外を見つめた。風で舞い上がるカーテンを押さえ、開ける。
 二週間。もうそれだけ経ったのか。
 見上げる空の色も、風のにおいも何も変わらないが、確実に時間は流れている。
 知らなかった。時間なんて、決められた速度で刻まれていくものなんだと思っていた。
 君が居ないだけで、時間の経過すら、遅く感じるなんて。
「委員長、いらっしゃいますか」
 こん、と短く扉が叩かれる。
「ああ」
「失礼します… 本日の遅刻、欠席者リストです。ご覧に?」
「…いや、いいよ」
 もう見る気すらしない。どうせ今日も変わらず四人の名前は書かれているのだし、それ以外はどうでもいい。
「そうですか… それと、先程別の生徒が口にしているのを聞いたのですが」
 律儀にリストを机の上に置いた草壁は、どこか迷うようにしながら口を開いた。
「獄寺隼人の自宅に、何者かが出入りしていると」
「…何?」
 ぴたり、と。
 風も音も、時間さえ、止まった気がした。
「近所に住む女生徒の話では、一週間か二週間ほど前から、自宅であるマンションに出入りする人間が目撃されています。勿論、大人数が入居するマンションですから別の住人や来客ということも考えられるのですが…」
「何かある、ってこと?」
「はい、その人物というのが」
 うろたえるように、草壁の口元を下がる草が揺れる。
「銀髪緑眼、なんだそうです」
「……どういうこと」
 それは、間違いなく獄寺隼人の特徴だ。この特別広くも無い町で同じ天然の銀髪を探そうと思ったら、砂漠で金を見つける以上に不可能だ。
「女生徒は、そもそも獄寺に良く似たその容姿に興味を引かれたとかで。気になり調べてきたのですが、どうにも本人ではないようです。年齢が二十歳は越しているだろうということですし、本人より背も高く、言葉に外国訛りがあると。これは管理人の話ですが、兄だということです」
「兄? そんな話、聞いたことも無い」
 義姉の話しならば幾度か聞いたことがある。腹違いで、あまり兄弟仲はよくないのだと聞いていた。ほかに兄弟が居るなんて話は、一度も聞いていない。
「管理人がこれ以上は喋りませんでしたので、情報はここまでですが」
「そう… 判った」
 誰であれ、それが獄寺の兄と偽った人間であることは間違いない。
 獄寺は極端に昔のことを話したがらないし、どうやら正規の手段ではない方法で入学してきたらしい彼について、学校側にも満足のいく資料は残されていなかった。イタリアに居た頃に通っていたはずの学校の名も、まして家族構成など、どこにも書かれてはいなくて。
 思い返せば、不審な点の多い男だ。
 入学は裏黒く、けれど成績だけは学校一。運動神経も悪くないが酷く排他的で、沢田以外になつこうとはしない。過去は曖昧で、本人も話したがらず、全ては闇の中だ。
 おそらく、金髪の元家庭教師や怪しい養護教員に聞けば答えるだろう。無理やり聞きだすという手もある。
 けれどそれをする気は無かったし、あまり興味もなかった。彼の過去を知ったところでどうにかなるものではないし、興味があるのは現在の獄寺隼人であって、過去などと、そう思っていた。おそらく獄寺もそう思っていただろう。家族や兄弟など、そんな話題を一度も振られたことが無い。
 けれど、今になって思う。
 兄が居たのか、なんて、そんな単純なことすら、知らなかった。
 こんなことでは、急に姿が消えたからといって、心当たりなどあるはずもない。
 二度目のため息をついて、机を振り返った。いつの間にか草壁は退出していて、残されたファイルだけが風を受けてはためいている。それも止んで、やがて静かにファイルが戻った。
 欠席者リスト。見慣れた四人。
 ああ、本当に、どうにかなってまいそうだ。
 少し離れた場所においてあるソファに横になって、天井を見上げる。開け放たれたままの窓から羽ばたきが聞こえて、すい、とその視界に黄色い鳥が入った。くるくると踊るように、歌うように頭上を旋回する。この鳥も、それなりに気に入っていたらしい銀の巣を無くして、どこか心もとなげだったというのに、今日に限って妙に元気だ。
 その様子に薄く笑って、目を閉じた。なんとなく、眠れそうな気がしたのだ。
 この二週間、深く眠ったためしなど無い。寝ていても、いつも以上に敏感に起きてしまう。さすがにその無理がたたったのかと、体の欲求に逆らわずに緩い眠りに落ちていく。
 五分もそうしていたのか。
 突然、ぼん、というどこか間の抜けた音がして、柔らかいソファが一瞬で消えうせた。なんだ、と思う間もなく、あたり一面が煙に囲まれている。がらがらと今までなかったはずの、何かが崩れ落ちる音。誰かの息遣い。一瞬にして世界が変わったように、いろんなものが耳につく。
 まだ夢うつつなのか。珍しい、こんなにもすっきりと目が覚めないなんて、早々無いのに。
 くあ、と目を覚ますためのあくびを漏らして、先程まで頭上を旋回していた鳥の声に手を上げる。間をおかず、覚えのあるそれよりもいくらか思い重量が指にかかった。
「さわがしいなぁ」
 体を起こせば、手を突いた場所はソファではなく瓦礫で。あたりは、風紀委員室よりもかなり広い間取りの、崩れかけた建物だった。その室内、いくらか離れた場所に、見覚えの無いおかしな格好をしている男が立っている。
 そしてその少し向こうには、見覚えのある、二週間無断欠席者の一人の伏せた姿。
「……」
 消えた生徒。既に二週間が経過していた。病院も警察もあてに出来ず、並盛全域を傘下に置く風紀委員ですら辿れなかった足取りが、今目の前にある。
「山本武」
 小さく名前をつぶやく。
 消えた一人。あの子と共に消えたうちの、一人。
 寝ぼけているんじゃない。今目の前に広がる出来事は、現実だ。
 そして現実である以上、必ずどこかに、居る。
「ああ… そう」
 ここに、居たのか。
 探しても探しても見つけられなかった存在が、遠くない場所に居る。それは希望ではなく確信だ。消えた山本が居て、倒れ、そしてここは学校ではない。何一つとして意味は判っていないが、ただ、ここに失踪した人間全てが居るのだという確信が、理屈を抜きに降りてくる。
 指輪を通した右手がうずく気がして、小さく笑った。そうすることで、あせる気持ちを静めようとするが、なかなかうまくいかない。
 こんな変な眉毛はどうでもいい。どこかにいるのなら、早くに見つけ出さないと、いい加減禁断症状が起きてしまいそうだ。
 さあ早く片付けよう。そして探しに行かなければ。


 今度こそ、君と確かな繋がりを作るために。

眉毛発言はツボだ。