その声で

 借りだなんて知らない。
 なんの話だと問いかける前に、聞きなれた声が聞きなれない呼び方で名前を呼ぶ。
 名前なんて記号だ。誰がどう呼ぼうと、その中身は僕でしかありえない。この体につけられた名前が雲雀恭弥という記号なだけで、中身は僕という個人だ。
 それでも、それが特別なものになるときがある。

 その肩に担がれたのは傷だらけの体で、見える肌に傷がない場所なんてない。挙句服までぼろぼろで、先ほどオルゴールかと思った小さな匣を大量にぶら下げたベルトが随分重そうだった。そのいくつかが、口を開いている。
 辺りには、散らばる黒い輪。本人の言を信じるならば、見えない武器であったはずのそれを弾いたものが、今は力を失い転がっている。
 何が起こっていたのか。
 判っていることは、ここは今の今まで居た並盛中の風紀委員室ではなく、どこか全く別の場所ということだけだ。二週間も行方不明になっていた人間が、ばらばらと顔を見せている。その中には、先ほどまで制服を着て自分の下に従っていたはずの副委員長の姿まで見える。早着替えでもしたのか、スーツ姿の背に子供を二人、両肩に一人ずつ、その隣に少女と梟を引き連れていた。とてつもない大所帯だ、見ているだけで気分が悪くなる。
 その左肩で、ぐったりしている細身。白かった肌に余すことなくつけられた傷。口元から零れ落ちる赤い血。埃と血で汚れくすんだ銀髪。歩くことすら覚束ないのだろうその姿に、余計に苛立ちが募る。
 姿を晦ますことは目を瞑ろう。時折なんの連絡もなく姿を消すことがあるから、その程度はいつものことと処理できる。
 それが長期にわたることも、目を瞑れなくはない。最終的にこの手の中に戻りさえすればそれでいいのだから。
 けれど、傷だけは我慢できない。
 それが出来るのは、僕だけの特権なのだから。
「リングの炎…」
 何度も繰り返される言葉に、ふう、とため息をつく。
 今は正直それどころじゃない。そんなことよりも、二週間ぶりに見た顔に一撃を食らわせなければ気がすまない。
 どれだけやきもきさせられたか。
 何も出来ない日々が二週間も続くことが、想像できるかと。
 持ち上げた右手に通した指輪。その向こうには、もうあの銀髪の姿は見えない。つかめない虚像など、傷だらけだろうと死にかけだろうと、本物以上の価値などないのだ。
「覚悟が炎になる。判るか、恭弥」
 代わりに思い起こされるのは、相変わらず家庭教師面した鳶色の瞳で。
 覚悟だ炎だボックスだと、馬鹿馬鹿しい。
 僕はただ、あれを取り戻せればそれでいいだけだ。それを邪魔するあの眉毛を叩きのめせるというのなら、覚悟などいくらでも見せてやろう。
 見つめたリングに、ぼう、と紫色の光が灯る。
「……よ、かった…」
 遠く、遠くでつぶやくような声がした。
 聞き覚えのある声。聞きたかった、声だ。届くはずもない距離なのに確かに聞こえて、一瞬だけ、炎が揺らめいた。
 早く、早くと願い続けた日々。
 返せ、戻せと、誰にともなく訴え続けた日々が今、終わりを告げる。

 その声で、早く、呼んで欲しい。
 それだけで、ただの記号となっていた名前は意味を持ち、君の口から出て、初めて、特別となるのだから。

本誌委員長再登場に際して。実はそれだけ四本目。