上手な動物のしつけ方

「瓜っ!!」
 ぽん、と飛び出してきた小さな猫の首根っこを掴む。途端に不満そうな声を上げた猫が、届きもしない爪を必死に伸ばして抵抗する。
「っメェはなんだってそう言うこときかねぇんだ!!」
 最近になって手に入れた、十六個の匣。数度使うことで仕組みは理解出来たし、順序を一度でも間違うと決して発動しない融通の利かなさが気に入っていた。頭で考えるのは昔から得意だ。もしかしたら違う順序で開いていくことも可能なのかもしれないと、そう考えるといい年してワクワクしてくる。
 が、問題はそのうちの一つだ。
「ふぎゃー!!」
 必死になって抵抗する、一匹の子猫。今でこそ子猫の姿だが、一度炎を追加すれば途端に成長し、それに合わせて脳内も成長するのか、従順ではないにしてもこの仕組みの中に組み込まれたパーツとして動いてくれる。一度開口したら匣へ戻すのに時間がかかることを考えなければ、とても信頼できる相棒だ。
 ただし、成長していれば、の話だ。
「ふぎゃーじゃねぇ!! ったく、毎度毎度抵抗しやがって… そもそもテメェの住処だろうが! 大人しく戻りやがれ!!」
 逆の手に持った匣を開く。小さな体を振るわせた猫は、必死の抵抗を見せて暴れ始めた。
「いてっ! だーもう、も、ど、り、や、が、れー!!」
 ぐり、とそのひげの生えた頬に匣を押し付ける。そうしたところで早く戻せるわけでもないが、気分の問題だ。
「シャー!!」
「うるせぇぇえぇぇっ!!」
 更に押し付ける。ぐにぐにと押された頬が険しい口元をゆがませる。
「君のほうが煩い」
「どわあぁぁぁっ!」
 右手に捕まえた猫が、ひょい、と取り上げられた。全力で押し付けていた場所が消え、力の向かいどころを失った左手が、体ごとその方向に向けて転びそうになる。
「て、メェなにしやがる雲雀!」
 と、と、と何度か踏鞴を踏んでバランスを取り戻した体を、今度はくるりと回した。今まで自分が居た位置で猫を片手に抱えている男を指差せば、失礼だよ、とその眉が寄せられた。
「人を指差すものじゃない」
「テメェに失礼だの礼儀だの教わる謂れはねぇんだよ。瓜返せ」
 突きつけた指を開く。
 けれどその上に猫が戻されることは無く、それどころか雲雀は両手で猫を持ち上げ、抱き込んでしまった。おまけに猫も、ゴロゴロと喉を鳴らしてなついている。なぜだ。
「こ、こいつ…」
「動物というのは本能が強い」
 細長い指が、猫の喉元を撫でる。その指のどこにあんな武器を握りこむ力があるのかというほどに細く、綺麗に爪の切りそろえられたそれが触れるたびに、猫の喉は高く鳴り響く。
「この猫が君に従わないというのなら、それは君がこの猫よりも下だと意識されているということだ」
「はぁ!?」
 下に。というと、それは当然、見下されているということで。
「現に、こうして僕には爪一つ立てない」
 ねえ、と雲雀が猫を覗き込む。にょおん、なんてかわいらしい声を上げて背伸びをした猫は、そのまま肩によじ登り身を納めてしまった。
「こ、のやろ…っ」
 本気で頭にくる。
 そもそも、この匣は自分のものだ。多少手に入れるのに梃子摺りはしたが、特性上自分以外では使うことすら難しいだろう。人間に流れる波動は一種類ではない。けれど、この匣を使いこなすためには五つの波動が必要で、さらにそれを戦闘中に使いこなす、というレベルまで引き上げなければいけない。
 そんなことは、自意識過剰ではなく、自分以外には無理だ。
 だからこの猫も、そのシステムの一環である以上、自分の下にあるはずのものなのに。
「匣は確かに道具だ。けれど、意識もきちんとある。彼が君を主人として認めないのは、君にも問題があるということだ」
 すり、とその体を頬に擦り付けられて、くすぐったそうにしながら垂れ流す雲雀の講釈は、けれどほとんど耳に入ってこない。入ってくるのは、すりすりと擦れる瓜の毛と、時折頬を舐める、濡れた音だけ。
 だから、どうして。
「ふぎゃぁあっ!」
 腕を伸ばし、寛いでいる猫を引き剥がす。みっともない声を上げた猫は、不満そうにじたばたと動き回っていた。
「何…」
「うるせぇ黙れ。さっさと戻らねぇと」
 首根っこを掴まれた猫が、ぴくん、と震える。耳から僅かに覗く嵐の炎が揺らぐのが見えた。
「二度と出さない。いいな、瓜」
 片手に持ったままにしていた匣の蓋が開く。何も無い中身を見つめた猫の目が、そのままこちらに向けられた。いつもなら同情してしまうその潤んだ瞳に、きつい視線を返すことで拒絶を伝える。
「戻れ」
 最終宣告に、耳を下げた猫は大人しく従った。ぱたん、と音を立ててしまる匣は、今の今まで煩くしていた猫が入っているとは思えないほど、しんとしている。
「手間のかかる」
 口の閉じた匣をベルトに戻す。このためだけに作った特別製のベルトには既に他の匣が取り付けられており、その並びは全て正しく開口するために自分だけが判る工夫がされている。空いていた箇所に戻せば、あたりは一気に静かになった。
「意地の悪い主人だ」
「俺の匣兵器だ」
 呆れた声に、視線は向けずにくるりと踵を返した。
「俺がどう躾ようと勝手だろ」
 この十六個の匣を手に入れたからというもの、日々は試行錯誤の繰り返しだった。仕組みを理解できれば使いこなすことはそう難しくは無かったが、戦闘中にはその判断を瞬時にしなければいけない。出来るだけ、肌身離さず持っていることを心がけていた。
 そんなある日に訪れたのが、この敵なんだか味方なんだか、既に十年近くその立場が確定しない相手だ。よくわからないくせに、邪魔するよ、という言葉一つで乗り込んでくるのだから、その図太い神経には憧れすら抱いてしまいそうになる。許すこちらのボスもボスだが、心の広い方だ、純粋に尊敬する。
 その黒い瞳が、常に身に着けている複数の匣に、興味を示さないはずが無い。匣と指輪、その二つの謎を解き明かすことが目下の楽しみになっているようだから、多分口を出してくるだろうと思った。だから、一番開けて支障の無い匣を開けたのだ。他の匣は順序や使用目的がはっきりしすぎている、うっかり出してしまって、相手をしろ、なんていわれてはたまらない。相手をすること自体に異論はないが、さすがにファミリー幹部の私室でやりあえるほど、お互いの力を甘く見てもいなかった。
 そうして飛び出した子猫は、自由になったことを喜び駆けずり回り、主人を主人とも思わぬ態度でふんぞり返り、あまつさえ全く違う相手になついて見せたりする。
 これは実用まで時間がかかる。
 くつくつと腹の底から湧き上がるような不快感を子猫の所為と決め付けて、乱れた髪に指を入れ整えた。あの子猫を表に出すといつもこうだ。早くに、いい躾け方を見つけなければ。
「君の躾が下手なだけさ」
「っ、だと…」
 かちん、と頭に金槌が落ちたような音がした、気がした。
 思わず振り返った先には、ほんの数センチの違いしかない身長の所為で、真正面から顔を見てしまう。その近さに、思わず口をつぐんだ。
「そうやってがなるだけじゃ、動物どころか人間すら相手にしない」
 いいかい、と存外に優しそうな声を出した雲雀の指が、視界の端から伸びてくる。
 なんだと思う間もなく、それは頬を撫で、顎を擽り、耳元を掠めて項に伸びていく。
「こうして、やさしく触れないからさ。君は昔から乱暴なところがある」
「だ、誰に言われてもお前にだけは言われたくねぇセリフだ…」
 自分の気に入らない相手は誰彼構わず叩き潰していた、最強の元不良が洩らす言葉じゃない。
「そうかい? 割りに、動物には嫌われないな」
 項に伸びた指が後れ毛に絡まり、くい、と引かれる。反射で持ち上げた顎が、音を立てて舐められる。
「っ、あ、のなっ」
「ほら、また声を荒げる」
 顎から頬に移動した舌先が、わざとらしく音を立てている。そこは、先ほど子猫が舐めた頬と、ほぼ同じ所だ。再現するように舌を走らせ、雲雀が離れる。
「静かにしていなよ」
 間近の顔が、にこりと笑う。
 けれどそれは、先ほど聞いた柔らかい声には全く不似合いの、艶めいた微笑で。
「躾の仕方を教えてあげる。人間だって動物だ、大した差は無いだろう」

 子猫と同列に扱われている。
 そのことに気づいたのは数時間も後のことで、組み敷かれた体にだけ痕跡を残して消えた男にその文句を告げられたのは、さらに数週間後のことだった。

委員長による動物愛護精神。