君とこの夏を

 ここ数年、地球の気象はおかしい。
 冬だというのにいつまで経っても雪が降らなかったり、降ったら降ったで大量すぎて人を死に至らしめたり。夏には異常な温度の真夏日が続き、水が干上がり人間は簡単にその命を奪われる。
 そしてまた、ここに一人、その異常気象に我慢の限界が近づいている男が一人。

「あっつい!!」
 じりじりとアスファルトが焼かれる音がする、ような気がして、獄寺は項にかかる髪を掻き上げて下敷きで仰いだ。
「つーかまだ五月だろ!? なんなんだよこの暑さ! ありえねぇっ」
「うるさいな、少し静かにしなよ」
 隣から不機嫌な声がして、あぁ、と横目で睨んだ。隣で涼しい顔をして、いつもの日誌じゃない、文庫本のようなものを開く雲雀が、こちらを見ずに淡々と言葉を紡ぐ。
「暑い暑い言ってるから暑くなるんだ。そういうの、自己暗示って言うんだよ」
 知らないの、とあからさまに馬鹿にした言い方。
「なんだと!?」
「うるさい、って何度言わす気?」
「てっめ…!!」
 五月の上旬。黄金週間という名の大型連休が明けて、世間は再び日常を取り戻した。
 連休の間、空が機嫌を損ねることはなく、それは社会が正常に戻っても続き、現在降水確率ゼロパーセント、向こう一週間は雨に見舞われないという週間天気予報まで出ている。つまり、天気がいい。よすぎるほどに。
 おかげで日当たりのいい教室は地獄と、風通しの悪い廊下は蒸し風呂と化し、屋上に至ってはなにかの処刑場のようだ。扉に手をかけることもできない。
 そんな中で、唯一中庭に面して、風通しのいい授業に使われない応接室を思い出せたのは、まさしく天の恵みだ。
 これで部屋の主さえいなかったら完璧だったのだけれど。
「文句があるなら出て行ってもいいよ」
「……ねぇよっ」
 扉を開けた第一声が、何で居るんだよ、だった自分も悪い。
 悪いが、それからどれだけ時間が経過しても、同じテンションで不機嫌な相手もどうだよ、と思ってしまう。
「つーか、お前暑くねぇのかよ」
 雲雀は、いつもの学生服こそ着ていないが、長袖のシャツにネクタイをきっちり首元まで締めた、見ているこちらが暑くなりそうな格好で平然としている。汗の一つでもかけばかわいいものを、そんな素振りすらない。
「騒ぐほどは」
「げー…」
 信じられない、こんなに湿気がまとわりついているのに。
 もう一度風を送ろうと項に触れれば、べとり、と汗が指に触れた。イタリアの気候に慣れ切っている体に、日本の気候はどうしても合わない。
「あー、だめだ。声出すのも面倒…」
「全く、情けない」
 再びため息が聞こえるが、言い返すだけの気力もない。
 イタリアの気候は日本と似通っていて、春から秋にかけてが一番過ごしやすく、秋の終わりから春の始まりまでの冬の期間は過ごしやすいとはとてもいえない。北部なら余計だ。
 ただ日本と確実に違うのは、夏の気候だ。
 とにかく日本は湿気ばかりでじめじめしている。汗をかけばじっとりしているし、あれの所為で気力と体力を殺がれるのだ。イタリアの、からりとした夏が懐かしい。いっそ夏の間だけでもイタリアに帰ってしまおうか。
「…雲雀?」
 今まで身動きすらせず本に視線を向けていた雲雀が、唐突に立ち上がる。そのまま視界の外に消え、再び戻ってきたときには片手に何かを持っていた。
「……アイス」
 その手にあるのは、どこのコンビニでもスーパーでも買えるだろう、見覚えのある銘柄のお徳用アイスクリームが一つ。それが、目の前に差し出される。
「ここに冷蔵庫が備え付けなのをいいことに、誰かが持ち込んだみたいでね。処分に困ってたんだ」
「いいのか?」
「どうぞ。ずっと隣でわめかれてるよりマシだ」
 冷たい個別包装の袋を受け取ると、雲雀はまた元の位置に戻って本を広げる。それを確認して、ばり、と袋を裂いた。中からもれてくる冷たい空気が気持ちいい。
「あー、うまーい…」
 口に含めば、冷気と甘味が同時に広がる。安物のミルクの味が、こんなに美味しいなんて。どんな有名店のジェラートだって、きっと敵わない。
「八本三百円の箱入りと本場イタリアのジェラートの価値が一緒?」
「あ、馬鹿にしたな」
「してはないけど。僕がジェラート屋なら、店を閉めるだろうね」
 一緒にされてはたまらない、とほんの少し、雲雀が笑った。
「いいんだよ、食ったときに美味ければ」
「大味なことだ」
「んなことねーって」
 しゃくん、と最後の一口を口にして、本から視線をはずさない雲雀の肩に手をかけた。何、と振り返るのをまって、顔を寄せる。
「な、美味いだろ」
 舌先で転がし出したかけらを、軽く租借して、飲み込む。
 その行動を待って笑いかければ、雲雀が音を立てて本を閉じた。
「悪くはないね」
 そう言って笑う口元に、不機嫌さは残っていない。

 天気の良すぎる午後。
 異常気象を乗り切る術を、一つ見つけた。

ヒバ獄の日。アイスの日でもあるとかで、アイスネタです。いちゃいてるだけともいう。