隠れ家

 匣兵器は生きている。
 それは過去の偉大な科学者が、自然を利用できないだろうか、とそう思ったことが起源であるからだ。自然にあるもので兵器を作り出すという恐ろしい考えの果てに、動物という生き物が選ばれた。犬や猫に代表される動物から、昆虫、果ては未確認生命体さえモデルにつくりだすというのだから、その発想力には恐れ入る。偉大なる科学者亡き後、その研究を引き継ぐことになった三人の科学者たちによる研究も相まって、やがて世界には、そこに当たり前にある自然を利用しながらも決して謎の解けない不思議な力が蔓延することになる。
 そうして、少しずつ少しずつ成長し続けてきた匣の研究は、故に解き明かすのは難を極める。一進一退の研究を続ける機関は少なくないが、その中でも一番研究が進められ、一番の権威であるといわれている財団のトップに座る人間は今、そんな空気など全く発しないままお気に入りの動物たちにまみれてお休みタイムだ。
「…なんだ、こりゃあ…」
 一人になりたいときに使う、架空名義のアパートメント。本部でもあるボンゴレの城にも一部屋与えられているが、そちらを自宅として使い、こちらは気を抜きたいときに別荘として使っている部屋だ。ただ、忙しくて年に数度しか戻ってこれないこともあって、普段はメンテナンスだけを入れている。
 今回も、たまたま出来た休暇を、いい加減ここに寄らなければと出向いてきたというのに、ちゃっかりと先客が居たりして。
 質素ともいえるだろう、味気ない室内。事前にメンテナンス業者を入れていたおかげで埃っぽさは薄く、ベッドにかかるシーツも糊が利いた真っ白なものに代えられている。お気に入りのワインクーラーの中には有名な銘柄のワインが数本眠っているし、冷蔵庫の中身も二日程度の滞在にしては大げさなほどに満たされていた。シャワーもきちんとお湯が出るし、用意されているリネンの類も真新しいにおいがしている。
 ただ、そのどれもこれもに既に使用された跡があったのが、問題なのだが。
「あのな… 別に使っていいとは言ったがよ…」
 確かに、言った。
 このアパートメントを借りて一年ほど経ったときに偶然会って、ふと話のついでに思い出し、好きに使えばいいと鍵を渡した。お互いに根無し草のような生活だ、ここで顔を合わせることは滅多にないだろうからと、業者の連絡先も教えていたし、だから好きなようにメンテして好きなように使えばいいと、確かに告げた。
 けれど、昨日業者に連絡した際、業者は何も言っていなかった。お久しぶりです、と馴染みの挨拶をし、ではお掃除と飲食物の買い置きをしておきます、といつもどおりの返答をしていた。別の方向から連絡が入ったなどと、一言も言っていなかった。
「オマケに、こんな動物ばかりはべらして」
 リラックスする気満々で来ていたらしい相手は、既に着物に着替えてぐっすりとお休み中だ。その周りに、二つの開口済み匣と二匹の針鼠が転がっている。見覚えのないそれらは、主人と共に就寝中で、これだけ近くに寄っているというのに起きた様子もない。枕元でもあるベッドの頭上には、こちらは見慣れた黄色い鳥が止まっていた。よく見ればわかるくらいの小さな目が閉じられているところを見ると、やはりこの鳥も夢の中だ。
 呆れたやら馬鹿馬鹿しいやらで、力が抜けてしまう。ベッドの脇に置いたままのソファに上着を投げ捨て、どさりと腰を下ろした。
 久しぶりの休日だが、普段の休みは本部で過ごすことがほとんどだ。いつ何時、何が起こるかわからない。だからこそ、出来るだけ離れないようにしていた。
 だが、本当に時々、こうして一人になりたいときがある。それは、ファミリーをないがしろにしているのではなく、単なる息抜きという意味でだ。だから、こんな年に数度しか使わないアパートを、それなりの金額を出して維持している。
 のに、だ。
 実際訪れてみれば、既に風呂には使った後があるし、冷蔵庫からも数種類食材が消えている。口に合わないのかワインにあけられた様子はなかったが、ゴミ箱には持ち込んできたらしい日本酒のビンが投げ込まれていた。挙句、真新しいシーツのかかったベッドに横になった相手は、午後の暖かい光の中ですやすやと眠っているというのだから、本当に、全身の力が抜けてしまう。
 はあ、とため息をついて、重い腰を上げる。
 いつだって行動を読めた試しのない相手だが、今度もしてやられた。全く、どうやったら出し抜けるのか、一度でいいからやってみたいものだ。
 近づいたベッドでは、相変わらずの寝息が響いている。仮の止まり木を手に入れた鳥も、ころころと転がった針鼠たちも、主人になついて実に心地よさそうだ。
 小さな動物たちを潰さないように、ベッドに腰を下ろす。僅かに沈むスプリングが音を立てるが、気にせずに体を傾け閉じられた瞼に唇で触れた。ぴくりともしないのを見て、額に、頬にと移動する。最後に唇に触れる前に、そのいつもどおりの寝顔が可笑しくて、つい笑ってしまった。
「へたくそー」
 ちゅ、とわざと音を立てて触れれば、ゆっくりと黒い瞳が開かれる。
「…それ、屈辱的だからやめてくれない?」
「なら、バレバレな嘘つくな」
 子供の頃から葉音一つで目を覚ますといわれている男が、これだけ盛大に独り言を呟いて、心配りなどせずに室内を改め、おまけにベッドに座り込んでいるのに目を覚まさないなんて、絶対におかしい。狸寝入り以外の何者でもないだろう。
「眠かったんだ」
 着物に包まれた腕が伸びてくる。息がかかるほどに近い場所で繰り返される会話に、腰に絡む腕が追加された。
「こんなもんまで用意して、リラックスする気満々じゃねぇか」
「着物? これは前から用意してあったんだ、君が知らないだけ」
「前って、いつ」
「二ヶ月くらいかな。知らないってことは、随分ここには来なかったみたいだね」
「あー… 四ヶ月くらい前が最後、か? 忙しくてな。お前こそ、よくそんなに使ってたな」
「イタリアに寄ればその都度。この国はどこも煩いから」
 腰に絡んだ腕で、更に強く引き寄せられる。首筋に埋まった顔が、寝起きらしい高い体温で触れてくる。
「ここが一番静かでいい」
 小さな、それでいて実感の篭った声だった。
 アパートの周辺は、静かな住宅街だ。昼日中ならば笑い声くらいしかしない。それも遠くに聞こえることがほとんどで、夕方近くになれば子供の声も響くが、中心街に比べればささやき程度のものだ。絵に描いたような、静かで、穏やかな町並み。
 そこを選んだのは間違いなく自分で、理由も、今この男が口にした通りのものだ。普段がにぎやか過ぎるくらいの場所で暮らしている自分には、これくらい静かな場所が恋しくなるときがある。だから、ここを選んだ。
 思い返せば、騒がしく人が群れることを嫌っていた男だ、こういう場所のほうが合っているのかもしれない。
「…相変わらずで何よりだよ」
「お互いにね」
 体を包む腕に、緩く引かれる。くるりと入れ替わった体勢に、手際が良すぎると呟けば、色気のない、と返された。
「ところで、その鼠は何だよ」
「ああ、これ。前に話さなかった? 新しい匣」
 確かに聞いている。幾らか前に会ったときに、新しい匣を手に入れて、それが針鼠だったということも。だから、ベッドに針鼠が転がっているなんていう非常識な状況も、あっさりと受け入れられた。だが、今言っているのはそういうことじゃない。
「そりゃいいが、なんで出てるんだ」
 確かに匣兵器は生きている。炎の力を原動力とし、最初にチャージされた分のみ行動できる彼らに対して、生きているという言い方が正しいのかどうかはわからないが、それそのものに意思がある以上、生きているという単語が一番ふさわしいのだと思う。
 動物を模したものが多いのは周知の事実だが、こんなにも堂々と出しているのはあまり聞かない。まして、主人と共に昼寝だなんて、どんな兵器だ。
「穏やかな性格をしているものだから、出していてもそう不便はないし」
「針鼠なのに大人しいのか…」
「刺激さえしなければ元々おとなしい動物だよ。そうだね」
 小さく笑う雲雀が、上から見下ろす。
「誰かさんみたいに、突付けば反発、てところかな」
「てっめぇ… 人の上に乗り上げておいて…」
 オマケに、さっさとシャツは脱がされかかっているわ、ベルトのバックルも外されているわで、致す気満々のやつが洩らすセリフじゃない。
「君だなんて言ってないよ」
「うるせぇっ! 言ってるようなも」
 のじゃないか、と続けるセリフが、塞がれて飲み込まれる。胸に触れてくる暖かい指先が、からかうように、試すように肌を掻いた。
「っ! ば、何」
「久しぶりに会うのに、憎まれ口ばかりだから」
「そう思うんならくだらねぇことばっか言ってんじゃねぇよ! あとっ」
 無理やりはがした唇を、ぐ、と手の甲で拭う。その仕草に不満そうな表情をした雲雀の手をとり、その向こう側でつぶらな瞳を向けてくる針鼠たちを指差した。眠っていたはずの主人が置きだした所為で、彼らも目が覚めてしまったらしい。ずりずりと、シーツの上を近づいてこようとすらしている。
「さっさとそいつら仕舞え! 見られてて落ち着かねぇっ」
 ほら、とリングの嵌められた手に、枕元に散っていた匣を押し付ける。口の開いたそれは雲の形をした装飾が施され、一目で針鼠たちの住処だと判った。
「…喋ったりしないんだけど」
「冗談。喋らなくても見てることに変わりねぇだろ」
 おまけに、あんな小さな純粋そうな瞳で、だ。冗談じゃない、いまさら罪悪感だの背徳だのと言うわけじゃないが、見られていて気分がいいわけがない。
「君のそういうところが、よくわからない」
 まだなにか不満そうな顔をしながらも、手にした匣を二匹に向ける。おとなしいといった性格は確かだったらしく、何の抵抗もなく針鼠たちは住処へと戻った。なんだろう、同じ匣兵器のはずなのに、本部の自室においてきた匣兵器の猫とは全然違う。戻すだけで精一杯だ。
「作り手が違うからだろう」
「へぇ… ちょっと、見せて」
「出さないでよ」
「今日はリングもってきてないから、無理」
 元の性質である嵐に限らず、自分の体には雲の波動も流れている。確かにこの匣を開ける程度のことは出来るだろうし、雲雀ほどではないが多少は使いこなせるだろう。だが生憎と、今日はリングの類を持ってきていない。
 そういえば、漸く納得してくれたのか、差し出した手のひらに二つの匣が落とされた。
「はりねずみ… 長いな。名前とかは?」
「ない」
「…お前の執着の仕方ってわっかんねぇ… でも、何で二個あんだ?」
「片方はレプリカだから」
 特別広くもないダブルベッドの上、人の上に陣取っていた雲雀は、気が殺がれたのか隣に転がった。中途半端に脱がされたままなのは間抜けだが、こんなに日の高いうちからなだれ込むつもりなどなかったし、ちょうどいいと話題を逸らすことにする。
「そういや、鳥にも名前はつけないままだったな」
「誰かが勝手につけたらしいけど」
「ああ、ハルな。つーことは、こいつらも勝手に誰かがつけてるかも」
 手のひらに載る、小さな匣。この中に二匹の針鼠が眠っているというのは、やはりちょっと不思議だ。仕組みを理解し、その謎を究明する研究が進められても尚、不思議なものは不思議だ。
「僕にはどうでもいいな」
 くあ、とお決まりの欠伸を洩らすと、本当に眠る気になったのか、うとうとと船を漕ぎ出した。相変わらず、寝つきのいい。
「寝んの?」
「誰かさんが殺いでくれたおかげで。一眠りするから、夜には起こして」
「いやだ、お前の寝起きの責任なんて取れねぇ」
 今も昔も、それだけは御免だ。だから。
「俺も寝る」
 手にしていた二つの匣を、上着を置いたままのソファに投げ出す。ころころと転がった匣は止まり、それきり当然動くことはない。
 ベッドから飛び起きて、脱がされかけていたシャツを最後まで脱ぐ。上着の上に重ねて放り、クローゼットから適当に引っ張り出したシャツとスウェットという簡単な格好に着替えて、抜け出たばかりのベッドに戻った。
「早いな」
「俺だって久しぶりの休暇なんだって。寝倒すつもりで来たらお前が居たんだ」
「それは、好都合」
「なんで」
「僕も久しぶりなんだ。寝るつもりで業者に連絡したら、君から先に話は聞いてると言われた」
「ああ、だからか」
 道理で、業者も何も言わないはずだ。雲雀の連絡が後だったのなら、こちらに改めて連絡などないだろう。シェアしている人間が居ることは伝えてあるし、だから二人の人間から連絡が行くことがあることも向こうは承知している。今回は共に滞在すると思われたのだろう、過剰とも思える冷蔵庫の中身はサービスか。
「とりあえず、続きは起きてからでいい?」
 既に睡眠体勢に入っているらしい雲雀は、どんどん眉間に皺がよっている。眠くて不機嫌になり始めているのだ、これ以上長引かせれば、容赦なく叩き出されるだろう。この場合、どちらが契約主だ、なんていう主張は一切通じない。
「ああ」
 慌てて、シーツの中を移動する。真横に体を着け、枕に乗せられた黒髪に口付ける。
「また後でな」
 親が子供にするようなキスに、少しだけ眉間の皺が解かれた。体を横にすれば、シーツ越しに腕が緩く抱きとめてくる。引き寄せるような力も、抱き込むような力もないそれは、ただそこにあるだけ。でも、だからこそ心地いいのだと、そう思う。
 丸まるように体を寄せて、目を閉じた。
 まだ高い日のおかげで瞼の裏は闇には染まらず、穏やかな灰色を映し出していて。
 起きたらシャワーを浴びて、食事をして、暫くぶりに会う相手と喋り明かそう。針鼠たちも混じるならそれでいいし、もしまたなだれ込むような雰囲気になれば、それもまた受け入れるだろう。針鼠たちには、戻ってもらうが。
 それでいい。小難しい匣の話も、血の臭いがする話も今日はナシだ。
 そう決め込んで、今度こそ眠ろうと、獄寺は小さく息を吐いた。

 二人して起きたら真夜中で。
 食事を用意する雲雀の足元には針鼠が居て、セッティングをする獄寺の頭には黄色い鳥が体を休めていて。
 向かい合う二人の話題が、針鼠たちに名前をつけるかつけないかに終始したことには色気は足りなかったし、結局明け方近くまで話し合って朝日が昇る頃にベッドに潜り込むという本末転倒な結末になったのだが、それはまた別の話になる。

捏造万歳。久しぶりといいながら結構会っているうちの十年後雲獄。