夜話

 いちいち律儀な男だな、とは前から思っていた。
 借りだ貸しだと煩いし、その割りに一方的に借りていくだけで貸しになんて一つもしないし、傍若無人なくせに実は矛盾したことは一つも言わない。あくまで、過去口にした言葉に対して矛盾がない、というだけで、恐らくは一般常識という目で見たら矛盾だらけなのだろうけれど、そこはあまり強く言えないので黙っておくところだ。
 とにかく、以前からそういうところはあった。もう、雲雀恭弥という人間はそういうものなのだろうと諦めるほどに。
 だが。
「…だからって別に、本当に毎朝毎朝電話してこなくてもいいっつーの…」
 ぴ、という可愛らしい音で会話が途切れて、獄寺は電話に出るために上げた頭を、再び枕に戻した。
 少し前に、ちょっとした間違い電話をしたことがある。
 たまたま忘れていたことを伝えようと、物凄く珍しく電話本来の機能である通話を使用した際に、同級生に繋がるはずの電話が、偶然にも登録の順番が前後していた一つ年上の先輩に繋がってしまい、よりにもよってそれが早朝だった所為で、間違い電話を受けた相手が憤慨してしまった、というだけのことだ。話は、本当ならばそこで終わるはずのものだった。
 が、何を思ったか相手は、なら毎朝電話で起こしてあげる、などと頼みもしないことを押し付けがましく宣言してきたのだ。
 以来、電話は毎朝鳴り響く。計ったように同じ時間に、一言一句変わりない文句を伝えるために。
「すげぇなこれ…」
 おかげで、電話の着信履歴は表示される限りずっと同じ名前だ。スクロールをし、画面を変えてもまだ続く。問題の日以降、間に沢田や山本やボンゴレ関係者などを時折挟みながらも、土日を抜かした月曜から金曜まで、毎日同じ時間に記録されている。
 延々と続く、雲雀恭弥の文字。
 いっそ可笑しくなるほどに律儀な男の名前。
 その端に表示された小さな時計を見て、仕方ない、と体を起こした。
 登校まではまだ時間がある。適当に食事をして、身支度を済ませてもまだ余裕はあるが、二度寝してしまっては意味がない。嫌々自分の体温で温まった布団から抜け出し、携帯を閉じた。

「携帯を見せろ?」
 いつも通りのモーニングコールをしたおかげで、最近めっきり遅刻の減ってきた獄寺が差し出す片手を、訝しく思いながら見上げる。
 お決まりの眉間の皺も健在で、早く、と急かす様子はなんだか不機嫌そうというより、そわそわしているように見えた。
「どうして」
「いいから」
「理由も言わずに? 別に心配しなくても浮気なんてしてな」
「うるせぇそういうことじゃねぇよ!!」
 差し出された手が、机を叩きつける。湯飲みが軽く跳ね上がったが、中身がなくなっていたおかげで、机に広げていた書類に被害はなかった。
 一日の予定が恙無く終了するだろうと思われた、五時間目の終業チャイムに続いて六時間目の始業チャイムが用意されているだろう僅かな時間に、唐突に応接室の扉が開かれた。今日は特に興味を引かれる授業もなかったからと一日そこに居て、そろそろ校内を見て回ろうか、と腰をあげる直前だった。
 何をして、だとか、授業は、だとかを言う前に、その張本人はつかつかと歩み寄り、いきなり手のひらを差し出したのだ。
 それなりの理由もいわずに、ただ携帯を見せろ、とだけ言って。
「君って時々本当に分からない」
 ふん、と息を吐いて、制服の内ポケットに仕舞っていた携帯を取り出し、投げる。
「お好きに」
 受け取った本人は、自分で言い出したことだというのに、ぽかんと口を開いていて。
「…いいのか?」
「自分で言ってきておいて何を。いいよ、やましいことなんて何もないから」
「だから別にそんなんじゃねぇって」
 どうだか、とぼやく言葉を聞いたのか聞かないのか、獄寺はさっさと応接セットに移動して、ソファの上で人の携帯を弄り始めてしまった。
 本当にやましいことなど何もない。携帯は単なる連絡ツールで、基本的に部下からかかってくる、着信のためだけに使っているものだ。登録自体は全委員分されているが、それは個人を特定するためのものであって、こちらからかけることは滅多にない。数度草壁に指示を出しただろうか、覚えが薄いからその程度のものだと思う。
 それなのに、どうしてわざわざそんなものを見たがるのか。他人の携帯電話など、そう興味を引かれるものでもないだろうに。
 応接室から出て行くタイミングを失った所為で、校内の見回りもできなくなってしまった。獄寺が出て行きさえすれば可能だが、まだ授業開始から十分しか経っていない。今追い出せば、獄寺は高確率で教室に戻らずどこかに隠れてしまうだろう。それをみすみす見逃してやるつもりはないし、とにかく騒ぎを引き寄せやすい獄寺のことだ、無用な騒動を起こされるよりもここで大人しくしてもらっていたほうがいい。
 そう決め込んで、跳ねて倒れた湯飲みを起こす。広げたままの書類を纏めて、未処理の分を引き出した。急ぎではないが、しておいても構わない分だ。
 部屋には、午後の静けさだけが満ちていく。時折、ああ、だとか、なんだよこれ、だとか獄寺の独り言が聞こえる以外は、穏やかで普通の時間だった。
「……何してるの」
 それが破られたのは、獄寺が携帯を弄り始めて五分後、机上に並べた書類を片付け終わってから、三十秒後のことだった。
 突然、今まで黙々と小さな機械に必死になっていたはずの獄寺が、ソファに突っ伏したのだ。ばふん、と派手な音がして、それきり、ぴくりとも動かない。
「気が済んだのなら返してくれない?」
「……お、まえ…」
「何、聞こえない」
 うつぶせたままの言葉は聞き取りにくい。のっそりと、まさしくそう言うのが正しいだろう、妙に緩慢な動きで体を起こした獄寺が、携帯を両手で握っている。
 その画面は薄く光っていて、まだ何かの操作中なのだと分かった。しかし、一体何を見たかったのか。
「メール? 僕、あんまりしないんだけど」
「違ぇよ」
「電話? そっちもそう使わないよ」
 主に受信だ。毎月、基本使用料からさらに割引された領収書が届くほどに、活用していない。
「それで、君何が見たかったの?」
 機体自体も最新機種ではないし、獄寺はそういうものに敏感というわけでもない。本当に、何がしたかったのか全く分からない。
 だが、携帯のバックライトが射す獄寺の顔は、驚くほどに、赤い。
「…隼人?」
「……あのよ、一応聞くけど、な?」
「うん」
「これって、電話だよな?」
「そうだけど」
 よりにもよって、何を聞くのか。
 それがテレビのリモコンにでも見えるのなら、一度眼科に行ったほうがいい。
「だよな。なのに、これ、なんでこんな、俺の名前ばっかなんだよ…」
「君の?」
 そうだっただろうか。
 不思議に思い、席を立った。ソファまでの距離を詰め、いまだ握られている手元の携帯を見ると、確かに獄寺の名前ばかりが羅列されている。最上段には、リダイアル、と表記されていて、この電話から発信された履歴らしいことが分かるが、そんなに何度も。
「ああ、朝かけるからね。毎日ともなれば、このくらいはなるんじゃないの?」
 ある日をきっかけに始めたモーニングコールだが、日を追うごとに獄寺の目覚めもはっきりし始めていた。最初の頃は不機嫌そのものの声で出ていたが、最近ではしっかりとした声で出ることもある。体に癖がつき始めたのだろう、いいことだ。
「おかげでリダイヤルしやすくて助かってる。それで、これが何?」
「……別にっ」
 ぱたん、と折りたたみ式の携帯が閉じられ、投げ渡される。
「そういう顔じゃないんだけど」
「るせぇ」
「で、結局、僕の浮気疑惑は晴れたわけ?」
「だから違うって言ってんだろがっ!」
 変わらない赤面で噛み付いてくる言葉に、肩をすくめた。全く威力も迫力もない、ということに果たして気づいているのか。
「そもそも、疑ってねぇ」
 ぽつりと返ってくる言葉に、おや、と目を見張る。
 いつもなら、うるせぇ馬鹿、だの、自惚れんな、だのと喚き散らして出て行くだろうに。
「疑惑がないのに、どうしてこんな確認をされたのか、僕には分からないんだけど?」
 顔は伏せたままだが、そこから動こうとはしない獄寺の横に腰を下ろす。スプリングが軋む音にも顔を上げないままで、何かを言いたげに口を開いては、閉じている。
「…疑って、ねぇってことだけは、言っとく」
「うん」
「そんだけだ」
 他に言うことはない、と。
 そう告げたまま、本当に獄寺は口を閉ざしてしまった。
 意味が分からない不可解な状況で、頭の上にハテナマークを飛ばすことしかできない雲雀に、獄寺は結局何も言わずに、終業までの時間をただそこに座ってすごしていくだけだった。

 その日の夜。
 一人暮らしをする部屋に戻り、そろそろ寝ようかという時間になっても、獄寺は一人布団の上で正座をしていた。目の前には一台の携帯電話。充電は満タンで、電波もきちんと入っている。
 準備はできている。が、さっきからどうしても決心がつかない。
「…別に、約束したわけでもなんでもねぇけどよ…」
 それどころか、かける、なんてことも告げていない。一方的に、勝手に決めたことだ。
 なのに、なかなか実行に移せなかった。
 昼過ぎに取り上げて見た雲雀の携帯は、見事に自分だらけの送信履歴だった。かけられる側である自分の携帯でも、もう少し違う着信履歴がある。雲雀の着信履歴は風紀関係ばかりだったが、送信は、まるで判を押したように獄寺隼人のみ。
 まさかここまでとは思わなかった。
 人付き合いが薄いほうだし、むしろ人付き合いなんてする気もないだろうし、そんな奴だから携帯なんて寂しいものだと思っていた。実際、薄っぺらい内容だった。
 そのほとんどが、たった一人で埋め尽くされているなんて、どんな人間だ。
「…うー… つーか、しなくても、よくねぇか? 別に…」
 貸し借りはしたくない。それは、二人に共通した考えだ。
 だから、一方的に起こされているだけなんて気に入らないから、じゃあ自分からもしてやろう、なんてその程度の思い付きで。
 暖かい布団から這い出て、再び戻りたい誘惑に打ち勝てるのは、雲雀のコールを思い出すから。毎日毎日欠かさずかかってくる電話を受けているうちに、なんとなくそう思うようになった。結果、遅刻することはなくなり、沢田の警護も日々完璧にできている。
 借りは作りたくない。少しでも返していく。
 そう思ったから、モーニングコールならぬイブニングコールをしてやろうと、そう思っただけなのに。
「一気に自分がわかんなくなるぜ」
 そもそもイブニングコールってなんだ、と布団の上で繰り広げる一人漫才は、もう既に一時間近く繰り返されていた。
 いい加減腹を括らねば、今度は明日の朝がつらくなる。
「…よしっ」
 置いていた携帯を取り上げ、二つに開く。
 と、同時に、ぴりりり、という無機質な呼び出し音が鳴った。
「な、なんだぁ!?」
 まるで見ていたかのようなタイミングに、思わず辺りを見渡してしまう。が、一人暮らしのワンルームには自分以外に誰が居るはずもなく、電話はただコールを繰り返している。
 液晶画面、示されるのは、毎朝と同じ名前で。
「……なんだよ」
「あれ、寝てた?」
 かけようと思っていた相手からの着信に、つい声が低くなる。なんだか出ばなを挫かれた気分だ。雲雀は悪くないのだけれど。
「起きてた」
「そう。特に用事があったわけじゃないんだけど、昼間のあれ、どうにも気になって」
「だから、別になんでもないって」
 単に、雲雀の送信履歴が自分と同じだったら少し面白い、と。ただそれだけだった。
 実際はそれ以上で、なんだか複雑な気持ちにさせられたのだが。
「浮気疑惑ならまだ分かるけど、全く理由なくそんなことするの?」
「疑ってねぇっつーのに… 悪かったよ」
 本当にそんなことは疑っていない。疑いようもないだろう、あんなにも律儀な男が、どうしてそんなことができるか。
「…素直に謝られると、責められない」
「ならもう諦めとけ」
「釈然としないんだけどな」
「いいから、もう忘れて寝ろ。それでも悪かったら、明日俺の携帯見せるからそれで勘弁しろ」
 こちらも別にやましいことはない。見られたところで、極端に偏った着信履歴があるだけだ。
「仕方ない」
 それで諦めるよ、と電話の向こうで雲雀がため息をついた。
「用事はそれだけ。そろそろ切るよ。明日、起きれなくなるから」
「おー」
「じゃあ、おやすみ」
 機械越しに、僅かに笑う。
 そんな気配がした。
「いい夢を」
 囁くような、直前までの会話から想像できないほど、静かな声だった。
 その余韻をかき消すように、通話はあっけなく切られる。残されたのは、呆然と座っている獄寺と、通話終了を繰り返す携帯電話唯一つだけで。

 先を越されたという感情と、雲雀らしからぬ静かな声が耳に残って、悶々としたまま夜は明ける。
 翌朝、恒例のごとく鳴り響く携帯を開いた獄寺は、一晩考え続けた言葉をぶつけるために、通話を押して口を開いた。

「全然眠れなかったじゃねぇか! 責任とって俺が寝れるまで電話に付き合え馬鹿雲雀!!」

それじゃ結局寝れないんじゃ、という突っ込み大歓迎。