炎よ灯れ、思いを糧に
「さて、久しぶりの運動も終わりでいいか?」
ぱしん、と鞭の撓る音が、相手の足元で響く。
傷一つ無い、整った顔立ちをした自称家庭教師のイタリア人は、そう言って手にした鞭を引き戻した。軽い音と共にそれらがまとまり、やがて彼の腰に付けられたベルトへと収められていく。
長く続いたように感じた、沢田綱吉に端を発する一連の指輪騒動は、何かよく分からないが一応は沢田側の勝利という形で決着がついた。実際の期間はさほど長くはなく、学校も破壊された校舎に気づかないまま、いつもどおりに稼動している。
結末を迎え、手に残されたのは指輪一つだけなのだが、それから間をおかず、今度は不可解な事件が連発することになる。
あの戦いで指輪を手にした者と、その近辺の人間が、悉く町から消えている。
最初は沢田が。次に獄寺、山本、他校の女生徒、笹川妹と、知っている限りでもこれだけの人間が姿を消した。聞けば、何度か校舎内で見たことの有る子供が二人、同じように姿を見せなくなったらしい。
それを見逃しているわけではない。騒動ばかりを起こす問題児の集団だとは言え、学校に在籍する人間がこれだけの短期間に、一気に行方不明になったのだ。学校側も警察も、勿論風紀委員も、全力で捜査している。が、全く手がかりがつかめていない。
じわり、じわりと腹の底から苛立ちがわいてくる。
生徒がいなくなったこと自体は、そう重視していない。元々騒動を起こしやすい集団だったから、今度も何かの騒動にかかわっているのだろうと、そう思うこともできる。が、一日二日ならばともかく、一週間近くも優等生であるという笹川が自宅にも連絡せずに行方をくらませたことには納得ができない。
何かが起こっている。
この、平和であれと治める、並盛の地に。
「…あなたが来るっていうことも、僕には全く面白くない出来事なんだけれどね」
手にした武器を構えなおす。睨みつけた相手は、やれやれ、と肩を竦めた。
「オレは戦いに来たわけじゃねーんだって」
「どうでもいい」
もとより、それ以外でディーノに用など無い。
「おいおい、先生に対してそりゃねーだろう」
金髪を掻くディーノの口からため息が落ち、分かった、と手を上げた。
「いいぜ、相手をしてやる。ただし」
上げられたディーノの手が、僅かなスナップで何かを投げた。何だ、と思いながら受け取れば、それは風紀委員室の机に置いてきたはずの指輪で。
「…入ったの?」
「持っておけって言ったのに、お前全然聞いてないじゃん。だからわざわざ持ってきてあげたんだろ」
「いらないから」
「それで城の一つも買えるくらいの価値があるんだが… ま、いいや」
恭弥、と名前を呼ばれる。
顔を上げれば、ディーノが同じように何かの指輪を手にしていた。それをするりと指に通すと、見せ付けるように拳を握る。
「っ…」
その、表面についた小さな宝石に、炎が灯る。
なんだ、それは。
「いくらでも相手、してやるぜ。お前にこれができたならな」
にやりと笑うディーノの口元が、炎で照らされ淡く浮かび上がる。火種も燃料もなく燃え続ける炎は、それでも燃え上がるために風を起こすのか、金髪の端がふわふわと翻っていた。
「…僕は手品をするつもりは無いけど」
そんな芸当は、生憎だが持っていない。
そう言えば、違うって、とディーノがまた笑った。いやになるほどよく笑う男だ。
「ちょっとしたコツがあるんだ。つかめれば、お前みたいな奴はすぐにできるようになる」
「コツ?」
「いいか、恭弥。気持ちの問題なんだ。これは、手品でもなんでもない。俺の気持ちが炎になっている。感情とも言っていいかな。それは…」
ゆらり、と炎が揺れた。
「愛だ」
ヒュ、と風が切れる音がする。
「うおっ!! お前、まだ説明の途中だって… どわっ」
続けざまに放つ二波に、ディーノが後ろに飛びのく。
「ふざけるつもりできたのなら今すぐイタリアでも地獄でも帰ったほうがいい」
「死んでねえよ。つか地獄限定かっ」
「あなたみたいなつまらないことを言う人にはお似合いだ」
それでなくても、事件続きでこちらの神経はいらいらしている。ディーノの悪ふざけに構うような余裕は無い。最初から構いたくも無いのだが。
「本当に人の言うこと何にもきかねぇじゃじゃ馬だよ…」
「聞く価値の有る話なら聞こう。けれど、あなたの話はほとんど価値が無い」
初めて手元に指輪が届いたとき、やはり説明に訪れたのはディーノだった。間違いなくそのときが初対面のはずなのだが、当たり前のように下の名前で呼び、あまつさえ今日から家庭教師だなどとのたまった。そう前の話でもないし、その日から延々と繰り返された特訓という名の戦闘はなかなかに面白かったし、よく覚えている。
だが、その説明と来たら、信じがたいというよりは、どうでもいいような内容で。
沢田がイタリアンマフィアの末裔で、今回の指輪はその周囲を守ることになる人間与えられたものだ、なんていうような話を、馬鹿正直に受け止める人間など少ないだろう。そんな人物に心当たりが無くは無いが、生憎と自分は彼のそういうところが気に入っていない。
不意に、ちり、と指先がしびれる。
何だと目を向ければ、投げ渡された指輪を握った指先が、熱を持ったように熱い。
「…?」
「お、できるんじゃん。指輪、してみろよ」
ディーノの言葉に従うのは勺だったが、このまま握っていてもどうしようもなく、仕方なく指輪を指に通した。ただのシルバーリングだったそれに、僅かながら、蜃気楼のような炎が灯る。
「さすがオレの生徒。鼻が高いぜ」
「あなたは全く関係が無い」
「…冷たい…」
今にも消えそうな、陽炎のような炎。よく見れば薄紫色をしたそれが、指輪の飾りを包むように灯っている。どういう原理なのだろうか。まさかこの飾りの中に油と火打石が仕込まれているわけでもないだろう。
「ま、でもオレの助言のおかげではあるよな。な、炎を灯すには愛が一番だっただろう? 誰を思ったんだ?」
楽しそうな、頭の上に音符を出しそうなほどに楽しそうなディーノの声に、イライラが募る。
炎が灯る直前、記憶の中から思い起こした相手。
そんなの、既に何日も姿を見せず、携帯にも出ない、メールの返事もよこさない、何かといえば十代目十代目と沢田を優先し突っ走っていく、銀色の馬鹿しかいない。
本当に腹が立つ。どれだけ大目に見れば、あの子は気づくんだろうか。
「お、おおっ!?」
苛々が募ると共に、ディーノの間の抜けた声が大きくなる。
見れば、右手の指に通した指輪から放たれた炎が、大きく膨れ上がっていた。濃く深い紫色が、こうこうと燃え盛っている。
「これは…」
確かに、何の仕掛けも無かったはずの指輪から、炎が噴出している。それは感情の高ぶりと共に巨大化し、はっきりと出現していた。
なるほど、確かに、ディーノが言うように、炎の原動力は感情なのだろう。
だがそれは、ディーノが言うような甘い感情じゃない。
「…あなたの言うこともあながち間違いではないようだけれど」
「恭弥?」
「僕には当てはまらないな。僕のこの感情は、純粋な不快感だ」
突然現れ、気色悪いことを語るディーノに対しての苛立ち。
何一つはっきりとしない一連の事件に対する腹立たしさ。
そして何より、もう何日も触れていない、声を聞いていない、姿すら現さないあの子に対する、ムカつき。
「つまり、この炎は僕のムカツキだ」
「はぁ!? え、いや恭弥、それは違…」
「さあ、あなたの希望通り、炎は灯ったよ。始めようか」
指輪をしたまま、武器を握りこむ。かちりと金属がぶつかる音がして、それがまた気持ち悪く、紫色の炎が増した。
「…マジかよ…」
はあ、とわざとらしいため息をついたディーノが、腰に手をかける。ぐ、と握りこまれた鞭の柄に、指輪から放出された炎がまとわりついていくさまは、まさしく導火線に灯された火種だ。
ああ、本当に腹が立つ。こんな光景ですら、全てがあの子に繋がるようで。
感情がこの炎を灯し大きくしているのならば、彼が戻るまでこの炎が消えることは無いだろう。
ただ、傍にいない。
それだけが、不快で、腹立たしく、果てしなくむかつくから。
手にした武器に、じわりと炎が移る。
その光景を横目に見ながら、鞭を構えるディーノに突進すべく、足元を踏みしめた。
携帯サイトクイズより。ムカツキだと教える前にこんな話があったら面白い。 ▲