君のいない世界4

 半日だけの自由時間。
 すべてではなくとも半分以上の真実が明るみに出た今、逃げ隠れしていても仕方なく、また意味がないということが分かり、たったそれだけの時間ではあるが、街に出てみようということになった。
 それは、十年後の自分たちが共にあるべき家族がどうしているのかが気になるという、女子たちたっての希望だったわけだが、日本に移住する気のない自分をはじめ、すでに父親が敵の手にかかっていることが分かっている山本、沢田家に居候しているちびたち、そして両親ともに行方不明になっている沢田は、行くべき場所が見当たらない。
 ハルに同行するという沢田と別れ、ちびたちと遊んで時間を潰すという山本たちとも別れた後、一人向かったのは、この世界から見て十年前の自分が暮らしているアパートだった。一応、どんな形になっているかと思っただけだが、案の定そこにはもう、現在の自分が暮らしている建物は跡形もなく、代わりに大きなマンションが建っていた。そういえば、駅前に地下モールができたと聞いた。ボンゴレの地下基地はその地下モールの間を縫うようにして作り上げられている場所で、アパートはそのモールまで遠くない。これ幸いと家主が売り払い、つぶしてしまったのだろう。元から用など無かったが、跡形もなくなっているのならば、ここはもう全く知らない場所に値する。居ても意味はないだろう。
 それならば、どこに行こう。集合時間までにはまだかなりの時間がある。
 この街もそう多くは知らないし、すでにここにたどり着くまでに知らない店や路地をいくつも見てきた。むやみにうろうろしてしまうのは、迷うことはないと思っているがやめた方が賢明だろう。
 アパートと沢田家の往復、学校との往復。あと少しの買い物。その程度しか、出歩いたことはない。
「…しかたねぇか…」
 行く場所はない。変に未来の情報を得るのも気が引ける。店に入ろうにも金はないし、こうなれば時間がつぶせる場所は一つしかない。
 気は進まないが仕方ないと諦め、獄寺は踵を返した。

「あーあ。やっぱ何にもかわんねぇーな」
 人気のない廊下を歩きながら、ひとりごとを口にする。
 真正面から入るのは気が引けて、なんとなく裏門から込んだ校内は、ずいぶんとしんとしていた。夏休みも終わって久しいはずだが、ここまで人気がないとなると、今日は休日なのかもしれない。
 ロッカーの立ち並ぶ昇降口、大きな窓がある階段と踊り場、片側に窓と反対側に教室を並べた、典型的な作りの校舎は、恐ろしいほどに十年前と何も変わっていない。ここに同級生や見慣れた人たちがいても、なんの違和感もないだろう。
 街中はずいぶんと変わっている。駅前にショッピングモールなんてものはなかったし、幾度か立ち寄ったことのある店もなくなり、違う店舗になっていた。どれだけ同じ並盛なんだと言われても、やはり違うものだった。
 なのにここだけは、何一つ変わらないで、この土地に立っている。
「何か違う力を感じるような気もするがな…」
 改築も増築もされていない。十年の間に建物が傷まない保証はないし、何より、ヴァリアーとの指輪争奪戦で校舎はかなり荒れたはずだ。当事者である自分が言うのだから間違いない。なのに、記憶と寸分変わらないというのは、もう何者かが力を加えてわざとこの形を保っているのだとしか思えなかった。
「…ま、そんな奴は一人だけだろうけど」
 きゅ、と廊下を踏みしめて足を止める。
 見上げた扉の上には、応接室、と書かれた札がかかっていた。十年前にはこの土地を支配する男の根城だった部屋だが、元の仕様に戻されたのだろう。
 いつだってここにいたし、そうじゃなければ校舎か街中をパトロールという名目でうろついていた。いつだったか、ずいぶん暇なんだな、と言ったら、僕が暇になるほど問題がなければどれだけいいだろうね、と嫌味くさい口調で返されたことがある。休日も平日も、昼も夜も関係なく見回っていれば暇などできるはずがないだろうと言いたがったが、結局口に出すことはしなかった。言ったところで相手が巡回をやめるはずがないし、やめるような相手なら最初からそんな面倒なことはしない。なにより、自分でしたくてしているのだから、忙しくてよかったな、と嫌味を返すだけにした。
 この街が好きで、何よりこの学校を大切にしていた。その理由は知らないし興味もないが、ひとつだけ、確信をもっていることがある。
 どこに行こうと、どこへ住もうと。あいつが帰ってくるのは、この街しかない。
 それはもう、愛着というよりは執着だ。この学校を何一つ変えるな、と裏から手をまわしているに違いないと確信を持って言えるほどに、それは深くて。
「…だろうと思ったぜ」
 だから扉を開けて、真正面にある机に備え付けられた革張りの椅子に当人が座っているだろうということも、その姿がこの時代にあるべきの姿ではなく、自分と同じ、この時間から見て十年前の雲雀だということにも、確信を持っていた。
「何が?」
 扉を開けるなり口にした主語のない言葉に、なのにそれすら分かっていたことのように、雲雀はごく普通に言葉を返してくる。
「お前のことだから、絶対ここにいるだろうなって」
 応接室でなければ屋上だろうし、学校でないのなら町中のどこかで、それで見つからなければお隣さんでもある地下アジトだろう。どれだけ群れるのが嫌だと主張して、この時代の彼が作った財団支部に行きたくないと言い張ったとしても、ほかに行く場所などあるはずがない。
「それでわざわざここまで?」
 ご苦労なことだ、と呟いて、ふいっとそっぽを向く。
 なんだろうか。機嫌が悪いような態度だ。
「…外見は変わんねぇけど、中身はずいぶん違うんだな」
 応接室というのは、文字通り来客を通して応対するための部屋だ。元から大きめに作られているし、設備も万全で、学校内でも冷蔵庫と冷暖房が完備されているのはここだけだろう。そんな場所を勝手に風紀委員の部屋だと決めたのは委員長でもある雲雀で、それが決まった時からこの部屋は応接室ではなく風紀委員室だった。
 なのにこの部屋は今、応接室という本来の看板を掲げていて、室内もかなり落ち着いた様相に変わっている。妙な団旗もないし、備え付けの机には書類の類は一切なく、本棚の中にも風紀の名のつく書類は一つもない。学校の歴史書だとか、歴代理事長の名簿だとか、体面を保つばかりで全く興味の持てないものばかり。
 おそらくは、雲雀が並盛を卒業した後に、元に戻されたのだろう。支配する人間がいなくなってしまったのだから、元の鞘にさっさと戻してしまおうという教師陣の考えはわからなくはない。情けないが。
「校内を一通り見てみたかい?」
「え、いや?」
「こことは別に、風紀の特別室ができている」
「マジで!?」
「特別顧問だとか、名誉委員長だとか、妙な敬称で僕の名前が書かれていたから、どうやら十年後でもここは僕のものらしいね」
「……十年たっても何一つ変わんねぇのか、てめぇは…」
 全く、このまま図体がでかくなっただけじゃないか。
「知らないな、十年後のことまで」
 後ろにある、開かれた窓の向こうに視線を向けたまま、相変わらずの無愛想な返事。
 中学生である雲雀がこの世界に来て、おそらくはまだ数日しかたっていない。すでに数週間もの時間を過ごしている自分たち先発組に比べて、雲雀と笹川の後発組は、ここが十年後の世界であるということですら聞いたばかりのはずだ。混乱と、意味のわからないことを言われて癇癪でも起こしているのだろうか。
「お前、誰に聞いたんだよ。こっちのこと」
「副委員長に」
「ああ… つか、どう見ても子供じゃねぇのに副委員長呼びのお前がすげぇ」
 あんな、どうみても年上の男を、同級生と見間違える方がどうかしている。
「じゃあ、こちらの僕はどう呼んでいたっていうの」
「そりゃあ」
 哲、と。
 ずいぶん親しげに呼んでいた。こちらの世界の二人にしてみれば、十年の月日をともに歩んできた上司と部下だ。ファーストネームで呼び合うくらいのことはしていてもおかしくはない。
 可笑しくは、ないんだけれども。
「…いや、俺は、聞いてないな」
 つい、そんな嘘が口から洩れた。
 確かに、十年後の雲雀は部下を名前で呼び、名前で呼ぶことを許していた。親しげであると同時に、それはとても信頼に満ちていて、中学生時代からの付き合いである二人の間に、言葉では言い尽くせないほどの絆があるのだと、だからこそ名前で呼び合うなんてことができるんだと、自然と思えた。一匹狼で、常に一人でいることが多い雲雀がそこまで変わったこともすごいと思ったし、そこまでの信用を勝ち取ることができた草壁もすごいと思う。
 同時に、ひどく情けない気持ちになった。
 十年も一緒にいない。たった一年程度の付き合いだ。信用信頼なんて言葉も薄っぺらく見えるだろう自分たちの間には、そんなものは存在してないんじゃないだろうか。
「君は数週間合わない間にずいぶん変わったようだね」
「へ… っ、何すんだ!」
 言葉が頭に届くより先に、見覚えのある武器が頬をかすめる。避けていなければ、こめかみにクリーンヒットしていた。
「僕にウソをつくようにしつけた覚えはないよ」
「…てめぇにしつけられた覚えがねぇよ」
 いつの間に移動していたのか。今までいたはずの窓際にはカーテンが翻っているだけで、椅子に座っていたはずの男は一メートルも離れていない場所で武器を構えている。
 全然気づかなかった。ギリギリで反応はできたけれど、いつ移動したのかは全くわからなかった。十日間の修行で、ずいぶん強くなったつもりだったのに、まだ十五の雲雀にすら追いつけていないのか。
「じゃあ、もう少ししつけが必要だね」
 ちゃり、と空を切った武器が翻る音がする。やばいと思うが、間合いがあまりに詰まりすぎていて、避けることも受け止めることもできない。
「っ、てえ!!」
 頭から思いっきり叩き込まれ、足が崩れる。派手な音をたてて床に尻もちをついてしまった。痛い。
「なんだ、たいして強くなってないじゃない」
「うるせぇな!! なんにも持ってきてねぇんだよっ」
 今日に限って指輪も匣も持ってきていない。最低限のボムだけは持ってきているが、よく考えなくてもこの時代に来てから煙草を追加した覚えがない。もう何週間も吸っていないし、十年後の自分がもっていた銘柄は口に合わなくてトランクに戻してしまった。使いようがない。
 それに、どれだけ必死になったところで、雲雀相手にボムだけで敵うとは到底思えなかった。そのくらいは学習している。悔しいのは、体術ですらまともにかなわないという事実だ。かなり修行を積んだと思っていたのに、本当にまだ全然届いていない。
「言い訳だね」
 武器が翻る。風を切る音が、近くで聞こえた。
 殴られる。
「……?」
 思わず目を閉じて覚悟をしたのに、いつまでたっても衝撃は訪れない。代わりに、ふわりと、何かが肩に落ちてきた。
 恐る恐る目を開けてみれば、座りこんだ自分の真向かいに、同じように座り込んでしまった雲雀の、学生服がかけられた肩がある。視界の端に黒髪がかすめて、落ちてきたのは頭なんだとわかった。その肩が、どこか力なく落とされているように見えるのは、気のせいだろうか。
「…雲雀?」
 腕を回すわけではなく、ただ肩だけが額と触れている状態で、雲雀はぴくりとも動かない。こちらの言葉に反応した様子もなく、今の今まで暴れ回っていたくせに、人形みたいにじっとしている。投げ出した足の間に座り込んで、同じように足を投げ出してるせいで、交差するように乗り上げた足と触れた額からじんわりと熱が伝わり、ああ人形じゃないか、となんとなく思った。
 季節は秋のはじめで、そんな風に触れていたら、まだ少し暑い。薄手ではあるけれどパーカーなんて着て出てきているから余計だ。
でもそれが、不快じゃないから困る。
 こちらの世界に飛ばされて二週間近く。その間顔を合わせていたのは十一も年上の男で、同じ名前と同じ性格をしている、全くの別人のように感じていた。口にする言葉も行動も、どれを取ってみても全く同じ人間のはずなのに、たとえばちょっとした仕草とか、視線とか、そういうものが自分の知っている雲雀恭弥という人間と違いすぎていて。
 例えるなら、つかめない夢のような、幻のような存在だった。確かに同じ人間のはずなのに、そうだと分かっているのに、心のどこかが拒否している。最後まで慣れることはなかった十一歳年上の男と代わり、とても見慣れた相手が触れるほど近くにいて、その感覚は余計に強くなった。崩れ去る建物から逃走する時、朦朧とした意識の中で掴まれた腕から伝わるその熱だけが、確かな現実だったから。
 こんな風に触れているのは、くすぐったいし、暑いんだけれど、そばにいるのが感じられて、全然不快じゃない。
「…そういや」
 あの時、何かを言っていた。
 考える暇もなく未来に飛ばされ、過去に戻る手段を得ることに奔走していた数日間。それは、同じだけの時間、自分たちがあの時代からきれいに消えているということだ。そんな世界を味わってみろ、という雲雀の言葉で、ようやくそのことに思い至った。
 雲雀からしてみれば、突如生徒が校区内から消えてしまったのだ。支配地として納める土地から行方不明者が出るというのは、彼にしてみれば屈辱以外の何物でもないだろう。さすがに笹川のように日本列島を何周もするような心配の仕方はしていなかったと思うが、それでも、気には掛っていたはずで。
 突然、目の前から人が消えるというのは、確かに、気持ちのいいことではないと思う。不機嫌になるのも仕方ないくらいには。
「…悪かったよ」
 強制的なものだった。望んだタイムトラベルではなかった。それは、本当のことだ。
 でも、それで不安な思いをさせたのなら、同じことだと思う。
 もう思い出すのも苦しい思い出の中で、明るく笑うきれいな女が、突如目の前から消えた。あの時はなにもわからなくて、見捨てられたんじゃないかとか、急用ができたんじゃないかとか、絶望と希望がないまぜになった数年間を過ごした。結果として、彼女も望まない死を強制的に与えられ、すでにこの世の人ではなかった。でもあの数年間、自分が感じた絶望は確かなものだったから。
「急にいなくなって、悪かった」
 同じように謝ってくれると思う。彼女の過失ではない。それでも、きっと。
 だから、同じような不安を与えたのなら、悪いのはこちらだ。
 頭の乗せられた肩を揺らさないよう、逆の手を持ち上げる。黒髪に触れれば、一瞬だけ動いて、すぐに静かになった。
「ちゃんと生きてるから、勘弁してくれ」
 突然誰かがいなくなる。それが、少しでも思いを寄せる人間であったのなら、とても怖いものだと知っている。
 雲雀の言うように、色もなく味もなく、ただ淡々と時間が過ぎていくだけで、生きていることに価値を見いだせなくなる。
 でも、生きていれば、生きてさえいれば、謝ることもできるし、話をし、名前を呼ぶことだって出来る。温かさを心地いいと感じられる。
「……雲雀」
 だから、それで許してほしい。
 肩に寄せたまま、決して顔を見せようとはしない雲雀を抱え込む。両腕をまわして寄せた体はやっぱり温かくて、その近さが嬉しかった。
 隼人、と。
 小さくこぼされる名前が耳をくすぐる。その、少し高い聞きなれた声に、目を閉じた。
 十年の月日なんて、まだまだ自分たちには遠い話で。その間に雲雀が誰かと信用を築きあげるのも、自分が誰かと信頼しあうのも、決してないことではないと思う。二人の間が、それ以上の何かで結ばれることも、逆に思いを寄せ合う関係ではなくなることも、あるだろう。でもそれはまだ雲をつかむような、見果てない先の話だ。夢のような幻のような、あの姿をした雲雀に会うのは、まだまだ先のこと。
 今目の前にいる雲雀が、聞きなれた声で名前を呼ぶ。もう、それだけでいい。
 それだけで、世界は色で満ち溢れていくのだから。

たまにはごっくんをかっこうよく。