心理テスト

 窓から吹き込む風に冷たさを感じるようになるこの時期、並盛中学では二学期中間テストの真っ最中だ。部活動の類は全て禁止になり、校内は一部を除いて勉学に励む学生ばかりになる。
 テスト中でも全く関係のない、除かれる一部である風紀委員は、昼下がりの一番心地いい時間帯だというのに、ほぼすべての人間が期間内に遊びまわる生徒がいないかどうかの監視に出向いている。中には数人、成績の芳しくない生徒がいるようで、そういう委員に関しては副委員長がローテーションを組んだらしいが、細部までは知らない。とにかく、委員が委員として回れば何も問題はない。
 朝の校門チェックに、放課後の巡回。テスト期間だろうとなんだろうと関係なく行われるそれで、テストどころか学校に関係のない物まで持参してくる生徒から没収した不要物は、委員室の一角で段ボール箱にまとめられる。希望があれば返却もされるが、二度は許されない。大抵は持ち主のもとへ帰っていくが、二度と返却されないものたちは、ここで処分されるのを待っているのだ。
 その中を面白そうに覗き込む獄寺は、ふと何かに目を留め、持ち上げた。
「これ。借りてもいいか?」
「構わないけれど、処分品だよ」
 ぱらぱらと、雑誌らしいものを立ったまま読み始めた獄寺は、ああ、とそのままの姿勢でこちらに視線を向けるでもなく、生返事をする。何か面白い記事でもあったのかと思うが、その表紙はよくある女性向けの雑誌で、少なくとも中学生男子が興味をひかれるような記事は書かれていないと思うのだが。
「…座って読めば?」
 本屋やコンビニの立ち読みでもあるまいに。
 そう言えば、今度は返事をすることもなくソファに座りこむ。その緑色の瞳は、じっと雑誌に向けられたままだ。
 成績優秀で有名な獄寺が、テスト期間中だからと勉強をしている姿は一度も見たことがないし、普段から授業にもまともに出ていない。本人いわく、教師の話が面白くない、らしいが、日本の中学としては平均的な成績と授業内容である並盛の環境がお気に召さないのならば、よほどの進学校に行かなければ満足することはないだろう。
 そんな相手を、テスト期間中だから、と追い返すのは何とも説得力のない話で。
 結局、こうして放課後になったら転がり込んでくるのだけれど。
「君の成績がいいのは知っているけれど、沢田は違うだろう。ついていなくていいの?」
 いつだったか、そう聞いたことがある。獄寺とは雲泥の差とも言える沢田の成績は、平均であるはずの並盛の中でも、かなり下位に位置している。
 疑問に返ってきたのは、あの人には家庭教師がいる、という言葉だった。
「リボーンさんが教えてらっしゃる。俺がいても、なにもできないからな」
「ああ… なるほどね」
 それで、行き場がないのか。
 そう思うが、口にはせず、それ以降テスト期間中ここにいることを黙認した。理解しているのか、獄寺も何も言わずここに居ることが多くなって。
 今日もこうして、ここで時間潰しをしているわけなのだけれど。
 よほど面白い記事でもあったのか、紙面を見たまま獄寺の顔はぴくりともしない。雑誌に限らず本を読むのは好きなようで、何度か本を貸したことも、借りたこともあるくらいだ。ただ一度夢中になると周りが見えにくくなるらしく、こういうときは何を言っても聞かないし反応しない。
 仕方無い、とひとり心中で呟き、放置を決めた。一度読み始めたら止まらないのだから、放っておくしか手はない。
 しばらくそうして放っておいたが、獄寺の手は五分経っても十分経っても、同じ場所を開いたままで。
 いい加減、何にそんなに興味をひかれているのかに興味をひかれ、椅子から立ち上がった。ソファの後ろに回り手元をのぞきこめば、そこは女性の写真や、ファッションの手本が載っているわけでもない、何かしらの文字ばかりが並んでいるページで。
 ページの一番上。タイトル部分に書かれた文字は、なんとも不可解な羅列だった。
「…心理テスト?」
「っ!! お、おま、いつの間に…!!」
 ばたん、と派手な音をたてて閉じられる雑誌が、そのままの勢いで抱きこまれる。これでは読めない。
 振り返る獄寺の、見開かれた目に自分が映りこむ。よほど驚いたのか、髪がぴんと逆立っていた。
「真剣に読んでいたから、何だろうと思って。何、心理テストって」
 随分とあいまいなものに興味を持つものだ。
「べ、別に。開いたら目について、やってみてただけで」
「そういうの、興味あったの?」
 あれだけ本を読みこむし、読んでいる内容が科学かと思えば未確認生物に関してのものだったりと多岐にわたる割に、占いや心理テスト関係だったことがないために、少しだけ意外だった。まして、決して専門誌でも何でもない、女性雑誌の一角に載るような、お遊びのような心理テストに興味を抱くなんて。
「興味っつーか、ただ時間潰してただけだ」
「へぇ」
 どう聞いても嘘だった。そうでなければあんなにも焦ることはないだろうし、急いで隠す必要もない。
 よほど読まれたくない内容だったのか。ちらちらとあらぬ方向に視線を向けて、あからさまに意識しないようにしているらしいが、隠しきれていないことなどバレバレだというのに。
 背もたれに肘をついて、ふん、と息をつけば、すぐそばにある肩が跳ねる。
 最後に見た、雑誌の片隅。
 書かれた文字は。

「あれって結局、君はどうしたの?」
「……今この状況で聞くことか? それ」
 呆れたといわんばかりの口調に、後ろから爆撃される音が重なる。
 十年後だというこの世界に飛ばされて、数日。指輪だ匣だと真新しいことばかりが目につく世界で始まった戦いは、なぜか自分の出場が回ってくる前に唐突に終わりを迎えた。チーム戦だとうすら寒いことを言われた時には、それでよかったと思ったが、まさか一戦だけで終わりだとは思わず。再戦を前にして始まった追撃に、思わず手を出した。
 そこには、沢田たちが逃げる間を稼ぐためと足止めを買って出た獄寺と、少し離れた場所にスクアーロがともに残っていて。
 何もできずに終わるだけなのが気に入らなかったのに、横から余計な手を出されたことは余計に腹立たしい。おまけに、上空から降り注ぐさまざまな攻撃を防ぐためにと獄寺が広げた円状の防護壁は小さく、結局背中合わせになって近づくことでしか役割を果たさない。スクアーロのように攻防可能な匣があれば話は別だが、こちらときたら防御に徹することができる匣がなく、否が応にも獄寺の持つ一連の匣に身を寄せることになった。
 後ろから振り返った時に見た、覚えのある細い肩を目にして、ふと少し前の情景が思い起こされた。
 少し冷たい秋風と、賑やかな紙面に、静かな室内。何一つ共通点はなかったが、何かに掘り起こされるように鮮やかに思い出されて。
 つい、疑問を口にした。
「あの記事、ずいぶんと必死に読んでいたから」
 肩越しに見た紙面では、心理テストと銘打って、さまざまな問題が出題されていた。最終的にそれで何がわかるのかまでは読めなかったが、第一問が印象的な設問で、よく覚えている。
「崖から落ちそうなあなたを彼は助けてくれますか」
 確か、そんな内容だったように思う。
「別に必死じゃなかった」
「そう? なかなか一問目から先に進まなかったみたいだったけど」
「……うるせぇな」
 ち、という舌打ちが聞こえた。
 考えていたことはわかる。助けるか助けないかでいえば、彼の中の自分は、決して助けないだろう。そしてそれは間違いではないし、きっと、助けない。
 崖から落ちるくらいでどうにかなるような相手ならば、こんな襲撃をされている場面で生き延びていないだろう。今までもいろんなことがあって、ここまで来ている。すべてをかいくぐり生き抜いているのに、今更崖から落ちるくらいなんでもない。
 なにより、素直に助けられるような性格もしていないはずだ。
「一応、言っておくけど」
 それでも、獄寺の予想と、おそらくは違うだろうことが、一つだけある。
「…んだよ」
「僕は、助けはしないけれど、それは君を見捨てるわけじゃないよ。君なら自分の力でどうにかすると思っているから、手を出さないだけだ」
 馬鹿正直に、真正面から突っ込んでくることしか知らなかった。
 根本的なところは変わっていないけれど、少しずついろんなことを経験していく中で、獄寺も変わり始めている。今ならもう、真正面から突っ込んでいくことがあったとしても、それは馬鹿正直なのではなく、張り巡らされた戦略の末になっているはずだ。
 危機に陥っても、たとえば崖から落ちそうになっても。
 人に助けを請う前に、自分でどうにかしようとする。
 そんな男だと知っているから、助けはしないし、負けていられないと思える。
「…ノーだ」
 背中越しに、ぽつんと声が聞こえた。
「何?」
「あの一問目の答え、ノーにしたんだ」
 降り注ぐ炎をまとった攻撃が、水平に移動した丸い壁に阻まれる。
「お前ならたぶん、そう言うだろうなと思って」
 はじき返す音にまぎれるような、小さな声が、背中越しに響く。
「なんだ」
 分かっていたのか。
「そこまで馬鹿じゃねぇよ」
 ちらりと振り返る目が、睨んでくる。けれどそれは、場違いなほどに甘い色をしていて。
「そうだね」
 頭の回転は速い。それは知っていたけれど、肝心なところで鈍いし、何より素直じゃない。言葉で聞くことなど、きっとできないだろうと思っていた。
 きちんと伝わり、それを正しい形で受け止めていてくれていたことに、少しだけ驚いてしまう。
 なにより。
「恋人という認識でいてくれたことも知れて良かったよ」
「なっ!!」
 か、と一気に赤くなった顔が、体ごと振り返る。驚きで見開かれた瞳は、あの日と同じようにまん丸で大きく、はっきりとこちらの姿を映していた。
「テメ、何言って」
「なにごちゃごちゃ喋ってんだガキどもぉ!」
 言い返そうと口を開いた獄寺の向こう側から、お決まりの咆哮を轟かせながらスクアーロが現れる。その身は匣兵器でもある大型のサメの上にあり、早く乗れ、と急かしてきた。
「さっさと引き上げるぞ、キリがねぇ!!」
 叫ぶスクアーロの後ろからは、数人の敵が迫っている。撃退することは不可能ではないが、今の目的はあくまで一時的な退却のための足止めだ。多少の憂さ晴らしは含んでいたが、思いがけない言葉を聞けて、憂いは晴れた。別段、思い残すこともなにもない。
 急ブレーキをかけ隣に停まるサメの背は広く、ひらりと飛び乗れば、少し遅れて獄寺もそれに続く。
「どーすんだよ、このサメであいつら振り切れんのか!!」
「わからん!! が、これ以上の長居はできねぇ。おいて行かれればなぶり殺しにされるだけだ!!」
 ここはどことも知れない空間で、脱出のためにスタート地点に戻っている他のメンバーと合流できなければ、置いていかれてそれで終わりだ。確かに、集中砲火を浴びせられることは間違いないだろう。敵はずいぶんと腹の黒い様子で、最悪、人質という手段に利用されかねない。自分を含め残ったのは、むざむざそんな手に使われるくらいなら自分から命を絶つことを選びそうな人間ではあるが、あいにくとそう簡単に自決するつもりもない。
「…ついてこられなければいいんでしょう」
 指輪に炎を灯し、とりだした匣に炎を注入する。慣れてきた手順で開口した匣の中からは、一匹のハリネズミが転がり出てきた。いつぞや掌を突き刺したことで暴走してしまったハリネズミは、今はおとなしく意思をくみ取り、一鳴きする。
「う、わ…」
 声が響くと同時に、一匹のハリネズミは複数匹に倍増する。それはふわふわと宙を舞い、上空から追撃してくる敵の行く手を阻み始めた。
「てめぇ… んなことできるんなら最初からしろよ!!」
「できないとは言ってない」
 怒鳴る獄寺に背を向け、尾の近くに腰を下ろす。立ったままでは、振り落とされるかもしれない。
「まぁいい、あれで多少は足止めできるだろう。飛ばすぞ、座れ」
 さらに何事かを言おうとしたらしいが、後ろからスクアーロに咎められ、舌打ちとともにどさりという音が聞こえた。同時に猫の不満そうな声が聞こえたから、きっとふてくされたように座り込んだのだろう。
 視線を向けた先では、ハリネズミたちに進路を邪魔され進みにくくなっている敵が、あたふたと球体を叩いているのが見えた。遠くに見ればずいぶんと滑稽な仕草に、ふ、と肩の力を抜く。
 あの時の雑誌は、そのまま処分してしまった。一度だけ好奇心でページを開き、件の心理ゲームを目でたどってみたが、最終的には恋愛の内容になるようで、その時点で興味を失ってしまい、すでにリサイクル業者に引き取られている。
 ただ、やけにあの設問に食いついていた獄寺の表情と、その疑念が解けた今、ゲームがどんな結果を迎えていたのかは、少しだけ気になってしまって。
 過去に戻ってもあの雑誌はもう売っていないだろうか、と。
 背中合わせの向こう側で、いまだにぶつくさと文句を言っているらしい獄寺が聞けば全力で抵抗しそうなことを考えながら、鮫の背中に揺られていた。


 ゲームの結果は、あなたはとても思われている、というような内容だと聞かされたのは、それから随分と後のことで。
 あたりまえじゃないかと思う反面、崖から云々で固まっていたのではなく、なんとなく心当たりがあるその内容と、意外に当たるものだという的外れな関心で固まっていたと話す獄寺の顔が真っ赤で、くだらない心理ゲームもなかなか役に立つものだと認識を新たにすることになる。

初めて恋人とか言った気がする…