ある休日に

 雲雀は、プライベートの時間をたいてい着物で過ごす。以前聞いた話では、気持ちが落ち着くとか、日本から長く離れていると日本製品が欲しくなるとか、なんだか長期旅行で長く日本を離れていた旅行者のようなことを言っていた覚えがあるが、とにかく彼独自のこだわりで、着物を愛用していた。
 それも、着物を作るためだけに年に数回帰国するほどのこだわりようで。日本以外でも扱っていないことはないのだろうが、いわゆるオーダーメイドであることの多い着物を、質もわからない場所で適当に作るというのが嫌で、わざわざ時間を割くらしい。
「…まあ、気持ちはわかるけどな」
 確かに、着慣れたものは楽だ。盛装して出席するパーティがひどく窮屈なのも、それを考えたら当然のこと。
 だがしかし。
「お前の場合はちょっと病気入ってるぞ」
「失礼だな」
 ふん、と鼻を鳴らす雲雀が、袂を正しながら振り返る。
「四六時中着てるわけじゃないでしょう」
「そりゃな」
 プライベートだからといって、常に着物を着ているわけではない。買い物や散歩に出向くときはシャツにパンツも珍しくないし、指輪で慣れたせいか、最近はアクセサリーの類もつけなくはない。その姿は、日本人というだけで幼く見えがちな諸外国にあっても、年相応に見えるだろう。
 だが、風紀財団という名の研究所に必ず存在する、財団トップのプライベートエリア。決まった住所というものを一切持たない雲雀の、唯一自宅と名乗れるだろう日本式の内装が施されたその部屋では、まず間違いなく着物でいる。
「それくらいなら、病とまでいかないよ」
「いーや病気だね。じゃなきゃ、なんで俺まで着替えさせられるんだよ」
 それが、あくまで雲雀のこだわりであって、好きでそうしているのならば何の文句もない。が、プライベート空間に入る人間すべてに強制される決まりごとになれば、話は別だ。
「僕だけ着物だとバランスが悪い」
「お前の口からバランスが悪いだなんて言葉が出てくるとは思いもしなかったぜ…」
 諦めのため息をつけば、何が悪いんだ、といわんばかりに仁王立ちした雲雀が、不機嫌そうに眉を寄せた。
「この室内では、スーツの君がいることの方が奇妙だと思うよ」
「ここが本当に日本ならな。あいにくここはイタリアで、お前がいるのはスーツが正装の国なんだよ」
「着物で言われても説得力がないな」
「お前が決めたんだろうが!!」
 かっとなり怒鳴れば、うるさい、と眉間のしわも深く返される。
 部屋に入る前に渡された着物は深い黒地に赤の模様が入った、上品なものだ。素人目に見ても質がいいのは分かっているし、花弁が散るようにして織られた模様がさりげなくも綺麗で、肌触りもいい。この決まりごとを雲雀が作った直後は、布一枚という心もとなさに断固拒否したが、受け入れられたことはなく。終いには専用の着物まで用意され、今日もこうして袖を通しているわけだが。
 着物が嫌なわけじゃない。日本の文化には、日本に渡る以前から興味があったし、着物も半纏も好きな部類だ。これだけ上等なものを用意されれば、心ともなさも消えてなくなる。楽だが気が引き締まるという雲雀の意見も、わからなくはない。
 ただ、なんというか。
「お前のプライベートに完全に入り込んでる自分に驚くぜ…」
 こうして専用の着物を用意されることも、財団の限られた人間しか出入りを許されていないエリアへ自由に出入りできることも、正直、気分がいい。一匹狼である雲雀は、一番信頼している腹心の部下ですら、ここへの出入りを厳密には禁止している。緊急事態や、特別に許可を与えられているとき以外は出入り出来なくなっていて、ここで人に会うことはめったにない。
 立場としては全くの部外者。時として敵対することもある自分が、財団内の誰よりも優遇されているというのは悪くないものだと、優越感に浸っている自分自身に驚いてしまう。
「僕は今までもそれなりに扱ってきたつもりだけど?」
「分かってる」
 雲雀は、意外にも甘い。世間一般の恋人たちがするような態度を見せることはほとんどないが、ふとした時に見せる感情や言葉が、態度以上に甘く思える。恥ずかしくもあるが、嬉しくないはずもない。
「だからちゃんと着てんだろ」
 同じように袂を正して、やたらに広い座敷に置かれた座布団に腰を下ろした。
 着物一枚でも、自分のために日本まで行き選んだのだと思えば、それもまた、だ。
「そう」
 それだけの返答で満足したのか、小さく頷いた雲雀は、座卓をはさんだ向こう側に腰を下ろす。脇に用意されていた茶道具一式を取りだし茶を淹れる姿は、相変わらずきれいだ。
「それで、今日は何。休みだった?」
「あ? ああ、そう。少し前に、面倒なヤツが片付いてな。跳ね馬が、十代目とバジルとフゥ太と… いろいろ引き連れて、奴の別荘に出かけてる」
 同盟のトップに、長きに亘り座り続けているボンゴレには、常になにかしらの厄介事が持ち込まれる。大小さまざまな問題をすべてボスである沢田が片付けるのではなく、当然それなりに部下に割り振られるが、最終的には沢田の耳に入れなくてはならない。沢田の業務は、その作業が大半を占めるのだが、それがゆえに彼には休みというものがほとんどないのが現状だ。部下には均等に休みを割り振ってくれるが、肝心の彼が本部を空けられない。
 そこに一つの提案をディーノが持ち込んできたのは、ひと月ほど前の話だ。
「この騒ぎが収まったら、お前らまとめてうちの別荘に遊びに来ないか? なに、同盟内のキャバッローネが、ボスであるボンゴレを別荘に招待するだけのことだ。仕事の一つとして組み込めばいい。できるだろう?」
 挑発的な口調ではないが、できることを前提にした口ぶりに、まさかできないとは言えず。
 沢田には、無理をしなくていい、と言われたが、彼が休めていないのも本当のこと。ディーノはたびたびそういった提案をしてくるが、実行できることは五回に一回程度と少なく、機会があるのならぜひと、一ヶ月もの期間がかかったが、ようやく今朝、沢田以下数名を送りだすことができた。
 沢田不在の穴を埋めるため山本や笹川とともに本部に残ったが、三人が一日交替でやっていこうと話がまとまり、ボスが事前にほとんどの仕事を片付けて行ってくれたおかげで一番仕事の少ないだろう初日の休みを、一番デスクワークに慣れている自分がもらえることになった。最初は本でも読んで過ごそうかと思っていたが、なんとなく気が向いて連絡した相手が、そう遠くない場所に滞在しているということを知り、こうして尋ねてきた、というわけだ。
「今日だけだし、夜には帰らねぇと駄目だけどな。明日は一日本部だ」
「相変わらず、忙しないことだね」
「まぁな」
 座卓の上に出された湯呑を受け取り、口にする。立ち上る湯気が、まだ茶の温度が高いことを知らせていたが、構わず飲み込んだ。喉を焼く、とまではいかないものの、素直に飲み込むには熱い茶が喉に流れ込んでくる。
「あっち… けどまぁ、もらえた休みが今日でよかった。一人で過ごす気分でもなかったんだが、お前がいなきゃ一人だっただろうからな」
「それはタイミングがよかった」
「おぉ」
 茶を最後まで啜り、座卓に湯呑を戻す。次を注いでくれる様子を見ながら、座卓に頬杖をついた。
「ところでさ、なんか食うもんねぇの?」
「食べてないの?」
「いや、朝は食ったんだけど。茶ばっかりってのが、どうも味気なくて」
 先ほどから、雲雀は茶を淹れてくれるが茶菓子の類は一切出してくれない。さすがに茶ばかり飲んでいてはそれだけで腹が膨れてしまうし、何よりもう昼時だ。まさか何も食事が出ないことはないだろうと思っているが、成人男性の腹具合としては、すでにさみしい。
 なによりも、飲み物だけ、という状況が、どうにもさみしすぎる。口さみしい、というのか。
「ああ、なるほどね… 普段、食べないから気付かなくて。酒と肴みたいなものか」
「…似たようなもんか? よくわかんねぇけど、とりあえず食えれば何でもいいや」
 昼食までのつなぎがあればいい。
 そう言うと、しばらく考え込むように首をかしげた雲雀が、唐突に立ち上がった。
「悪いけど、僕が食べないから用意してないんだ。少し早いけど、昼食にしようか」
「え、そうなのか?」
「こっちの甘いものも口に合わないし、日本の菓子類は長期保存がきかなくてね。あまり取り置きしないようにしてる。茶にこちらの菓子が合うとも思えないから、それなら食事の方がいいだろう」
 言いながら袖に手を突っ込み、何かを取りだす。手にした、細長いひものような布の片端を軽く口に銜えると、くるりと肩と背中を通し、銜えた布を離し胸元で結んでしまう。本当に一瞬の出来事だったが、見れば長かったはずの袖が捲り上がり、留められていた。
「なんだそれ」
「え?」
 ぽかん、と見上げれば、何のことだ、と首を傾げられる。
「袖、持ち上げただろう?」
「ああ、これ。襷掛け… は、知らないか」
「たすきがけ? そういうのか」
「そう。袖が邪魔にならないようにしておくんだよ」
 袖を持ち上げたことで、肘までが出ている。あれなら、多少動いても袖が落ちてくることはないだろう。着付けに次ぐ、着物の二番目に面倒な所は袖が長いことだと思っていたが、対処法があるとは知らなかった。
「へー、そんなのあるんだな。けど、あげてどうするんだ?」
 茶を入れるためにも上げなかった袖を、なぜわざわざ今あげるのか。
「食事を用意する」
 疑問に何気なく答えると、雲雀はさっさと畳の上を横切っていく。先ほど二人で入ってきた襖に手をかけるのが見えて、あわてて立ち上がり後を追った。
「え、用意って今から? つか、お前が作んの?」
「何かおかしい?」
「おかしいっていうか」
 まさか、トップ自ら腕を振るうだろうなんて、誰が考えるだろうか。それが雲雀なら余計だ。
「誰かに用意させるんだと思ってた」
「君が食べるものを?」
 ようやく追いついた廊下で足を止めた雲雀が、ちらりと振り返る。ふざけているわけでもからかっているわけでもない、至極真面目な顔で。
 だから、そういう言葉が甘いというのに。
「…いや、もういい。俺もやる」
 赤くなっているだろう顔を、一度頭を振ることで隠す。どうせばれているのだろうけれど、気持ちを落ち着けるためにもと息を吐いた。
 こうなったら何を言っても無駄だし、言えば言うほど墓穴を掘るのはわかりきっている。自分の言うことを曲げることがない男だ。何が何でも食事を用意するか、文句があるならいいと放り出されるのが関の山。
 それなら、おいしくいただくことにしよう。昔からレパートリーは少ないものの、雲雀の作るものをまずいと思ったことはないのだし。
「君が?」
「休みらしくていいだろ」
 休日くらい、外食でもインスタントでもなく、きちんと一から自分が作った食事を口にするのも悪くない。あいにくと料理など年に一度もしないが、出来上がるのを座って待っているよりはいいだろうし、食事もうまく感じるに違いない。
「手伝えるとは思わないけどね」
 口元だけで笑う雲雀が、再び廊下を歩き始める。うるさい、と返しながらその背についていけば、先ほど掛けられた布が背で交差しているのが見えた。前からではわからなかったが、こうして袖をあげているらしい。器用なものだ。
「片付けくらいは出来るっての。いいから、これ俺にもやってくれ」
「たすき掛け? するの?」
「袖が濡れるだろ。気に入ってんだから汚したくない」
 早足で隣に並べば、少しだけ目を見開いた雲雀がこちらを向く。
「なんだよ」
「…君は僕が甘いというけど、君も同じだと思うよ」
 ふいと視線を逸らした雲雀は、小さくつぶやく。
 その様子は不貞腐れたようにも、照れ隠しのようにも見え。

 お互い様だと、笑ってしまった。

たすき掛けがさせたかった。