冬の贈り物

「は…」
 くしゅん、と間の抜けた音がして、読んでいた本から顔を上げた。
 決まりの悪そうな顔で鼻を押さえた獄寺が、視線に気づいたのか、わざとらしく持っている携帯を持ち上げる。顔を隠しているつもりらしい。
「寒いの?」
 問えば、首が振られる。
「風邪?」
「や、違う、と思う」
 今度は言葉を返し、ごそりと体を動かした。
「もう時期的にここは厳しいかもね」
 自分たち二人以外誰もいない、コンクリートだけの広い空間に目を向けて、小さく呟いた。
 季節は秋の終わり。夏の暑さも遠く、すぐそばにきた冬の冷たい空気は、長袖の上からでも寒く感じられるほどだ。ともすれば風邪を引きそうなこんな時期に、わざわざ屋上に陣取るような人間は居らず、だからこそよく出入りしていたのだが、もう限界なのかもしれない。
「部屋に入る?」
「…いい」
 また首を振って、ブレザーの下に着こんでいるパーカーに顎を埋めてしまう。
 並盛の屋上は出入りが自由で、いつでも誰でも出入りできるようになっている。閉校時刻になって初めて鍵がかけられるため、昼休みには人があふれるくらいだ。けれどそれも、冬や夏には見られない光景で、そういう時期に頻繁に見かけられるのは、獄寺のように違反をするためにくる生徒だけになる。
 今日も授業を抜け出し煙草をふかそうと思って来たのだろうが、あいにくと取り締まる風紀委員が先に来ていた。目が合った瞬間、他生徒のように見つかってしまったという顔をするのではなく、面倒くさいという顔をするあたりが、実に獄寺らしい。
 一度は授業中であることを理由に追い返そうとしたが、素直に教室に戻るくらいなら問題児と呼ばれることはない。仕方ないからここで時間を過ごして行けと言えば、それに渋い顔をした獄寺だが、結局教室に戻ることはせず、不貞腐れたように座り込んできて。
 それからは、二人で黙ったまま過ごしていた。
「お前も暇だよな」
「どうして」
「別にここに居なくてもいいじゃんか。お前だけでも委員室に帰りゃいいだろ」
 パーカー越しの聞きづらい声が、真横からする。肩に凭れかかる銀髪を見て、すっかり人に寄り掛かってくつろいでいるくせによく言う、と言いかけて、やめた。
 日々騒動に悩まされる並盛中にあっても、なにもない日、というのが時折ある。今日はそんな日だったらしく、朝からこれと言った騒ぎもなかった。委員室でこなさなければならない仕事も早々に片がついて、それならばと屋上に上がり、読みかけの本を開くことにした。五分もしないで扉が開かれたのは、予想外だったが。
 追い返すつもりはなく、ここに居ろと言ったのは自分だ。それに頷いたのが獄寺で、だからこうして二人でここにいる。そもそもは獄寺の監視なのだから、彼が動かないのならば動くことはない。
「委員室に戻ってもすることはないし、いいよ」
「けど、寒いんじゃねぇのか」
「そんなには」
 確かに寒い気はするが、日が当たる場所を選んでいるおかげで震えるほどではないし、隣から伝わる体温もある。委員室に行かなければいけない理由はなく、ここを退かなければいけない理由もない。
 言えば、ふうん、と気のないような返事をした獄寺が、さらに深く寄りかかってくる。肩から脇腹にかけて伝わる熱が強くなり、さらにわずかな秋風まで防いで、かなり暖かい。
 これは、もしかして。
「…心配してくれてるの」
「はぁ!?」
 ぽつりとこぼした言葉に、過剰反応した獄寺は、体を離してこちらを睨んでくる。ただその顔が、触ったら火傷するんじゃないだろうかと思えるほどに赤くて、あまり効果がないのだが。
「んなわけねぇだろ! 単に俺が寒いだけだ!! なんで俺がテメェの心配なんかしてやんなきゃいけねぇんだ!!」
「なんだ、やっぱり寒いんじゃないか」
 寒くないといったくせに。
「うっ… うるせぇな! 大体こんな時期に屋上とかおかしいんだよっ! もういい加減限界だろ限界っ」
「それ、さっき僕が言ったよ」
「がっ…」
 意味不明な言葉を最後に、黙り込む。その顔は蒸気でも吹きだしそうなほどに赤いが、体はわなわなと震えていて、なんとなく面白い。
「ま、なんでもいいんだけどね。離れてると寒いから、座ってくれない?」
「うわっ!」
 いまだ震える手を取り、引き寄せる。膝で立っていた体はあっけなくバランスを崩し、腕の中におさまった。
「な、にすんだっ! つかテメェもさっき寒くないって」
「君がいたから寒くないって言ったはずだけど。退いたら寒い。それに、さっきから気になってたんだけど」
「はぁ?」
 後ろから抱きとめる形で収まる獄寺が、不満そうな声を上げる。それを無視して、パーカーの裾に手をかけた。
「君、どうしてこんな薄着なの?」
「っ、ぎゃあぁあぁ!!」
 間の抜けた叫び声をあげる獄寺を無視し、暴れだしそうな上半身を後ろから腕を回すことで押さえる。
 まくり上げたパーカーの下は、シャツも何もなく、ただの素肌だけ。よくこんなにも薄着でいられるものだ。
「な、にしてんだテメェはぁ!」
「どう見ても下にシャツを着てる風じゃなかったから。これで寒くないなんてよく言うよ」
「着膨れすんだよ、動きにくくて嫌なんだよ! つか離せ下ろせ寒い!!」
「それなら最初から制服を着てくればいいだけの話だ。パーカーの代わりにベストがある」
「堅苦しくて嫌だっ」
 案の定暴れだした上半身が、どうにかして腕を抜け出そうとするのを、裾を取っていた手を離してさらに抑え込む。
「あれも嫌だこれも嫌だと、わがままな子供みたいだ」
「っせぇよ! テメェにだけは言われたくねぇっ」
「ああうるさい。そろそろ黙らないと咬み殺すよ」
「ぐっ…」
 ばたばたと手足を動かし大声で叫ぶ白い首元に、武器を突き付ける。体の自由を半ば奪われた上武器を急所に突きつけられて、獄寺はようやくおとなしくなった。
「とにかく、もう少し暖かい格好をすることだね。でなければ本当に風邪をひく」
 かしゃん、と音をたてて武器をしまいこめば、腕の中にある体から力が抜けるのがわかった。そのまま深く凭れこんでくると当然のように暖かく、まわした腕でさらに抱きこんだ。暖かい。
「…んなに軟じゃねぇ」
「よく言う。少なくとも僕よりは風邪をひくじゃないか… ああ、そうだ」
「あぁ?」
 すっかり大人しくなった獄寺が、下から見上げてくる。頬にはまだ赤みが残っていて、それはなんとなく可愛いなと思える表情だったが、また暴れだされてもうっとうしいので黙っておくことにした。
「今度、動きにくくなくて暖かいものをあげよう」
「なんだそりゃ」
「案外気に入ると思うよ」
 何、とは言わないことに多少焦れた様子はあるが、訳わかんねぇ、とだけ呟いた獄寺は、再びパーカーに首を埋めてしまう。その背はぴったりとこちらにくっついたまま、離れる様子はない。
 さて、どこに行けば目的のものはあるだろうか。
 そんなことを考えながら、フードの影から見える首筋に顔を埋めた。


 後日、登校してきた獄寺の机の上に、一つの紙袋が置き去りにされていて。
「…なんだこれ」
 中に入っていた物体に顔をしかめる獄寺の横で、山本が懐かしいと笑っているのを、微妙な表情で見ていた沢田が口を開く。
「獄寺君… 腹巻なんてどうするの…?」
 その声が悲愴に満ちていて、用途の分からない獄寺は、さらに首を傾げることになった。

ジャパニーズマフィアの必需品。