こたつにみかんと君と僕

「ここってコタツとかねぇの?」

 飛び出してきた言葉は、あまりにも異様で。
 こいつは何を言っているのだろうと、本気で思ってしまった。

「……必要がない」
「そうか? あれ、いいと思うんだけどな」
「いい文化だとは思うけれど。君、ここがどこだか知ってる?」
「学校だろう?」
 首をかしげて答える様子は、こちらが可笑しいと言わんばかりのもので。
「どうして学校にコタツが必要なのか、全くわからないんだけど」
 冬も深まり始めたことだし、確かに寒い。もう少し時期が進めば、雪だって降ってくるだろう。けれど今のところはまだ耐えられない寒さではないし、年が明けて本格的に寒くなってきたころには、学校側が暖房の用意を始める。コタツの必要性は全くない。
 なにより、机を並べて勉強をすることが目的の学校に、最大に入れたとしても十人程度だろうコタツを、なぜ設置しなければいけないのか。
「いや、教室じゃなくて。ここに」
 指輪の飾られた指が、床を指す。
「余計にいらない。ここは風紀委員室であって、君の休憩室じゃないよ」
 出入りを咎めたことはない。いつでも来ればいいと思ったし、実際自由に出入りしている。だが本来の目的は風紀委員の庶務のためであり、ソファはベッド代わりではないし、常備用意されている茶は休憩用ではない。さらにコタツを入れるなんてことは、考えたこともないのに。
 いったい、何を考えてそんなことを言い出したのか。
「この前、山本の家に行ったらコタツ出してたんだよな」
 どさりと、二人掛けの広さをもつソファの隣に腰を下ろした獄寺は、あたりを見渡す。どこに設置したらいいかを探っているような目つきだ。置かないと言っているのに。
「前に十代目の御宅でも見たんだけど、あの時は入れなくてさ。この前初めて入れたんだけど、あれいいなーって」
「へぇ」
「上着着てれば背中も寒くないしな。足元寒いのは致命的だし… だから入れようぜ」
「入れない」
 なにをどうしたら、だから、に繋がるのか全く理解できない。
「なんだよ、けち」
「そんなに欲しいのなら、自分の部屋にいれたらどう? 少しは生活感も出るだろう」
 唇を尖らせる様子に呆れながら言えば、一度目を見開いた獄寺は、何か考えるように黙り込んでしまった。
 少しの間の沈黙の果てに、出てきた答えは。
「それ、いいな」
 だった。


 それから数日後。
「まさか本当に買うとはね…」
 買ったから見に来い、と行間から嬉々とした様子が読み取れるメールを受け、しぶしぶ訪れた獄寺の自室には、見事なコタツが設置されていた。真四角の、一番小さい形の物だが、かけられた渋い色のコタツ布団と天板に置かれた湯のみが非常に日本らしい。
 つい先日まで殺風景としか言いようがなかった、最低限生活に必要なものだけを集められた室内に、どんと置かれた暖房器具は存在感もさることながら、ここだけ妙に生活感がある。
「いいだろー」
 おまけに、その一辺には半纏を着こんで、この上なく嬉しそうな家主がセットされている。出迎えるために立ち上がるのも嫌らしい。適当な時間に行くかもしれない、といういい加減なメールに、勝手に入ってこい、とだけ返ってきた時から嫌な予感はしていたが。
「ま、よかったんじゃない」
 今まで、生活感など全くない室内だった。ベッドと棚とテーブルという、おおよそ生活していく上で本当に必要なものだけが置かれていた寂しいほどの室内に、多少違和感はあっても、熱のあるものが置かれている。それだけでも、よかったのかもしれない。
「じゃあ、これ」
「? なんだ」
「ここに来る途中で、顔見知りに会ってね。渡されたんだけれど、持って帰っても仕方ないから」
 テーブルまでの短い距離を歩いて、天板に持ったままのビニール袋を置いた。途端に、ごろごろと中からオレンジ色の物体が転がり出てくる。
「おお、みかん!」
 そのうちの一つを取り上げた、銀色の飾り物が輝く指が、早速とばかりに皮をむき始めた。どことなくシュールな風景に見えしまうのだが、気にしすぎなのか。
「…なんだか本当に満喫してる感じがするね…」
 向かい合った面に腰をおろせば、完全に皮が剥かれたみかん片手に、獄寺はにこにこしていて。こんなに機嫌がいい様子を見ることも、そうないだろう。
「あっちの冬って意外と寒いんだぜー。それなのに、暖房か暖炉しかないだろ? こんな形のものは珍しくてな」
「こたつだって、昔は火鉢に布団を掛けただけのものだったんだ。向こうでもしようと思えばできるんじゃない?」
「え、それって火事になんねぇの?」
「よくなってたらしいよ、詳しくは知らないけど。それより、客に茶の一つも入らないの、この家は」
「誰が客だよ、てめぇでいれろ」
 理不尽な扱いだ。
「あ、すげぇ甘い。これうまいぞ」
「それはどうも」
 仕方なく茶を入れるために改めて立ち上がれば、背後では変わらず冬を満喫する声がする。
 コタツ程度でどこまで喜んでいるのか、と思うが、そういえば獄寺は日本文化に強い関心があった。母親が日本とのハーフだとかなんだとか、うっすらと聞いた覚えがあるが、それだけでも随分と心惹かれるものらしい。来日して二度目の冬でも、目新しいものがあり楽しめるのはいいことなのだろうけど。
 ちらりと振り返れば、一つめのみかんを食べ終わり、次に手を伸ばしているのが見えた。普段は深く寄せられている眉間の皺もなく、見覚えのある紫色の半纏を着こんだ姿は、なんだか気が抜けるほどに幸せそうだ。
「はい」
「あ、ああ。サンキュー」
 まとめて沸かされたのか、小さなポットの中に入っていた湯を急須に入れ、今度は向かいではなく真横の位置を取り、既に空になっていた湯のみを取り上げ足す。ついでに自分のために持ってきた湯のみに茶を入れれば、何ともありがちな風景になった。
「いいよなー、こういうの」
 薄皮だけになったみかんが一つ、口に消えていく。
「そう?」
「ああ。なんていうんだろうな、雰囲気がいい。こたつは正解だったな」
 だからさ、とこちらを向く獄寺の顔は、今までに見たこともないほどに緩み切っている。
「やっぱ風紀委員室にも入れようぜ」
「却下」
「けちー」
「何度も言うけどね、君の休憩室じゃないんだ。第一」
 溜息交じりに言葉を続けようとして、止めた。
 今、自分は何を言おうとしたのだろう。
「なんだよ」
「…なんでもないよ」
 当然不審そうに首を傾げるが、変な奴、とだけ呟きまたみかんを向く作業に戻っていった。いつもならもっと突っ込んで聞いてくるだろうに、今はそれよりコタツとみかんに集中したいらしい。
 助かった。もし突っ込んで聞かれていたら、どう返していいのかわからないところだった。
 間違っても、正直になど言えやしない。
 こんな緩み切って気が抜けた表情、他の誰かに見られる可能性がある場所でするつもりなのか、なんて。
 口が裂けようとも、絶対に言えない。
「ひばりー」
 一人身の内に動揺を抱えながらぐるぐるしている頭に、のんきな声が聞こえる。なんだ、と顔を向ければ、言葉を発するために開いていた口に何かが放り込まれた。
「っ、何… みかん?」
「そう」
 反射的に吐き出そうとして逆に噛んでしまうと、口の中に甘酸っぱい何かが広がる。馴染みのある味だ。
「美味いだろう?」
 すぐ近くで笑うと、自分も新しく粒を口にする。いったい何個目なのか、すでに指先は薄くオレンジ色に染まり始めていた。
 ああ、もう、本当に仕方ない。
「…そうだね」
 そんな表情を他の誰かに見られるのが嫌だ、と。
 思ってしまったのだから、これはもう、認めるしかない。


 とりあえず風紀委員室にコタツを入れることは絶対にやめよう、と。
 それだけは決意して、何も知らず冬を満喫している獄寺を横目に、委員長はみかんを茶で流し込んだ。

クリアファイルが可愛かったんです。