跪くということ

 ぐっと左手を握る。
 違和感が気持ち悪い。
 そう素直に出した感想に、獄寺は、わがままだなお前、と苦笑して見せた。

「君がどうしてこんなものを好き好んでしているのか、まったく理解できない」
 あれはまだ中学生の時。
 午後の授業もすべて終わり、秋の、高くなっていく空を見ながらこぼした。
「ああ?」
「これ」
 のっそり、といった風にソファから体を起こした獄寺は、持ち上げた左手の指に嵌められたそれを見て、わざとらしくため息をついた。まだ言っているのか、とでも言いたげに。
「慣れたら、無いことに違和感が出てくるさ」
「慣れるつもりも無いんだけど」
「じゃあどうすんだよ。失くすわけにもいかねぇだろ」
 僕は別に構わないんだけど、と言いかけて、やめた。どうせまた十代目が沢田がという話になるんだ。そういう、どうでもいい口論は極力避けたい。時間の無駄だ。口で言うより力のほうが絶対的に早いし。
「…仕舞ってたりしても、駄目なものなの」
「盗まれない自信があんのか?」
 そういわれてしまったのでは、反論は無い。生徒たちは、雲雀恭弥の私物、と言えば手は出さないだろうが、あいにくとこの指輪を狙っているのは一般人ではない。銃でもって人も殺せば、権力でもって街ごと買い取ることすらしてみせるだろう。そんな相手に、手元に無いものに責任を持てるほど、無責任ではないつもりだ。
「…雲雀」
 ぎい、とスプリングのきしむ音がして、すぐ側に獄寺が歩いてくる。真横から覗き込む顔の表情が、どこか柔らかい気がして、一瞬首を引いた。
「受け取った以上、十代目が認められた以上、お前もファミリーだ」
「家族?」
「そうだ。だから、これはその証だから、できるだけ持ってろよ」
 左手を持ち上げた獄寺の指が、そのリングにかかる。指先だけで愛しげに撫でて、離れていく。
「でも、トンファー握りにくいんだよね」
 片手だけで扱う武器なら、まだ良かった。利き手を避ければいいだけの話だから。でも自分の扱う武器は両手で握り、力を込めて打撃する。力の入れ具合がおかしいような気がして、指輪をして以来、全力で誰かを叩きのめした気がしない。確かに何度も、咬み殺しているはずなのに。
「…めんどくせぇヤツだな、お前は…」
 そう言いながら、獄寺が手を持ち上げた。殴りかかってくるか、と身構えるが、その腕は雲雀ではなく獄寺本人に伸びた。やがて、かちり、とほんのわずかな音がして、獄寺が腕を下ろす。
「指輪、借りるぞ」
 左手をとられて、嵌めていた指輪がするりと抜かれる。そういえば、これにはサイズがあったんじゃなかったか、とどうでもいいことを考えている間にも、獄寺は手元を動かしていた。
 それが再び広げられ、今度こそ雲雀の首筋にくるりと回される。
「こーしてりゃ、邪魔じゃないし失くしもしねぇだろ。これくらい我慢しろ」
 しゃらり、という音が、胸元でした。
 見下ろせばそこには、今の今まで獄寺の首に掛けられていたチェーンと、揺れる指輪がある。指に通すほどには違和感もなく、重さもそう無い鎖の所為か、首にも負担を感じない。
「……断然、いいね」
「だろうよ」
「これ、いいの?」
「やる、から」
 くわ、と獄寺があくびを漏らす。
「まだもーちょっと寝かせてくれ…」
 眠気に襲われる体を引きずりながら、獄寺がのろのろとソファに戻っていく。投げ出すように体を横にすると、すぐに寝息を立て始めた。
「…家族、ね」
 首に掛けられたチェーンを指先で救い上げて、揺らす。ちゃらり、という聞きなれた音が、獄寺の寝息に重なって、静かに雲雀の耳元をくすぐった。

 あれから十年。
 いまだに首にはあの頃と同じチェーンがかかっている。何度か、そろそろ変えろよ、と言われたが、あいにくと切れない限り変えるつもりは無い。
 指輪は相変わらずチェーンに通されたままで、正装と同じ意味だから、と公式の場では指にも嵌めるが、それ以外は存在も覚えていないことが多い。最初の頃は色々言ってきていた獄寺もディーノも何も言わなくなったし、沢田も、雲雀さんらしくていいんじゃないですか、と一言で片付けてしまったものだから、今やもう、誰も文句も忠告もしなくなってしまってた。
「わがままだなぁ、お前」
 苦笑する獄寺だけが、たまに、思い出したように言うくらいで。
 午後の日差し、秋の空。
 過ごした応接室での、時間。
 微かに聞こえる寝息と、家族だという獄寺の声。
 戻りはしないあの時間が、すべてこの銀色の冷たい鎖に込められているような気がしているんだ。


 今はもう、違う国の秋の空を見上げながら、思った。

この二人には、秋、というイメージがあるらしい。