全てのプライドと、命を賭けて。
体を蝕む熱のような痛みが、徐々に引いていく。こういう、よく分からない装置に金をかけ時間をかけ労力をかける人間の考えることはわからないが、効果ばかりは覿面だ。事実、最強の不良と恐れられたわが身が毒に侵され、立ち上がることすら難しくなっていたのだから。
「ふう…」
すっかり痛みの引いた体を、ゆっくりと持ち上げる。腕を振り上げておろせば、馴染みのある音が響いて、愛用の武器が飛び出した。確かめるために仕込みを引き出せば、なんの違和感もなく飛び出る。
遠くから響いてくる音は、おそらくあの長身の男と沢田の戦いだろう。手を出せるものではないことは承知していたし、元々そのつもりも一切ない。沢田ともあの男とも、個人的に手合わせしたいから。
それとは別に、すぐ近くで音がする。何かが壊れ、倒れる音。
見上げれば、愛着を持つというよりは既に私物と思っている校舎が、半壊どころか全壊一歩手前の状態だ。いたるところから煙が上がり、コンクリートがはがれ落ちていく。
「あれは…」
煙とコンクリートの間から、何かが飛び降りてきた。短い金髪に、奇妙な飾り、片腕に持った松葉杖。見覚えの薄い、けれどよく知った容姿に、考えるよりも先に体が動いた。
体は快調だ、解毒剤が不調の全てを拭い去ったように、軽く動く。一歩を踏み出し、その手を狙って一撃を振るった。
確信する。
今の僕は、いつもの僕以上に強い。
「随分みすぼらしい姿になったね」
既に習慣になっているディーノとの修行を終わらせて応接室に戻れば、そこには、ソファの影に隠れている獄寺がいた。
その姿ときたら、見える部分には惜しげもなく包帯が巻かれ、顔は傷だらけ、指は絆創膏だらけで、見ているこちらが苛々するほどの満身創痍だ。
「う、うるせぇな…」
「元々まともな格好はしていないけどね、君。ところで、なんの用」
「見てわかんねぇか、隠れてんだよ」
こそこそと、まさしく泥棒のようにして身を隠している獄寺は、本来なら不名誉なことをさらりと言いのけて、あたりを見渡した。
「ここって、あんまり人こねぇだろ。一番いいんだよ」
「僕の部屋を君の秘密基地みたいに言わないでくれない? 誰もいないから、いい加減出てくれば」
ため息混じりに言って、ソファに腰を下ろした。あたりを警戒するようにして影から出てきた獄寺も、その隣に座り込む。わずかに沈むスプリングが音を立てて、それきり、応接室は静寂に包まれた。
ディーノとの修行は日を重ねるごとに過酷になり、いまやもう何が目的なのかわからなくなりつつある。最初の頃こそ、沢田がどうだ、リングがああだ、と言っていた相手も、最近ではそんなことは一言も漏らさない。ただ、真剣に武器を構えている。
最初の頃にディーノが言っていたことは、案外当たっているのかもしれない。
世界は広く、井の中の蛙と言われても仕方ないのかもしれないと思うほどに、相手は強かったから。
「…何してるの、君」
知らず考え込んでいた頭に、び、という音が飛び込んできた。
見れば獄寺は、自分の頬に張られている絆創膏の一つを剥ぎ取っている。血は止まっているようだったけれど、傷痕としては新しく生々しい。
「古くなって気持ち悪い」
そう言って、また一つ剥ぎ取る。
獄寺は、つい先日嵐の守護者として戦っている。校舎内に吹き荒れる爆風は彼の優勢を伝えていたが、結局は負けてしまったらしい。体中に負った切り傷と爆風による火傷は、今も癒えていない。というのに、その傷を覆っている絆創膏を、気持ち悪いという理由で剥ぎ取り捨てている。
「この前の?」
「ああ… つーか、なんでお前いたんだよ、あの時」
「僕が僕の学校に帰ってくるのは別におかしいことじゃない」
ディーノは、自分の家庭教師なのだ、と言った。
普通家庭教師といえば勉強を教えるものだろうと思うが、彼は戦闘においての家庭教師で、勉強どころか、教えることはただ戦うことと、リングやそれにまつわる勝負の勝敗など、そんなことばかりだった。おまけに家庭なんてものじゃない、人の入り込めないような奥地につれて行かれもした。
既に三戦が終了したと、その勝敗を逐一教えに来たのもディーノだった。
「よくやったとおもうぜ、悪童は」
ぴしり、と鞭の撓る音に、ディーノの声が重なる。
「相手は天才と言われるほどの、生粋の殺人者だ。ボンゴレが上手く隠して始末していたようだが、日本でも既に何人か殺られている。そんな相手に、どれだけ粋がったところで人の一人も殺したことのない坊やが、よくやったと思う」
悪童だの坊やだの、聞き覚えのない獄寺の俗称は酷く不愉快で。我が事のように獄寺を語り、親しげに呼ぶ姿は、いっそ嫌悪すら覚える。
イタリアという地と、その国で彼が過ごしたこれまでの時間。肝心の本人は、その今まで過ごしてきた時間を語ることを極端に嫌がり、未だにほとんど聞いたことがない。大して興味もないからとそのままにしていた事で、知りたいとも思っていなかったけれど、だからといって全くの第三者から聞かされては面白くない。
全く知らない時間を共有している、ディーノと獄寺。
彼らの故郷は、あまりに遠い。
「…跳ね馬、か」
呟くような声は、三度剥がされる絆創膏の音に紛れて聞こえなかった。
「何?」
「別に。それより、お前の調子はどうなんだよ。次は山本で、その後はお前だろ」
「愚問だね。試してみる?」
「望むところだ… って言いてーけど、やめとく。騒がしくして見つけられても面倒だ」
そう言ったきり獄寺は、絆創膏三枚を握った手をポケットに突っ込んで、窓の外を見たまま黙り込んでしまう。蛍光灯に照らされた横顔は白く、無表情だ。
放課後の夕暮れすら遠く、既に夜の色に染まり始めた空には、鳥ですら飛んでいない。遠くに聞こえる電車の音と、時計の音だけが部屋を占めていた。
手を伸ばして、銀糸に指を絡める。するりと解いて耳に触れれば、くすぐってぇ、と笑いながら肩をすくめた。反動で震える頬に走る傷口に、顔を寄せて舌を這わせる。途端に、こら、という咎めの声。
「血生ぐせぇだろ、やめとけよ」
「別に、気にならない」
「俺が気になるっつの… 雲雀」
髪に絡めた手を取られる。血生ぐさい、というくせに、同じように傷だらけの指に唇を落として、祈るように目を閉じた。
「勝てよ」
「僕が負けるとでも?」
「思ってねぇよ。けど、俺がそう思ってるって事は、忘れんな」
「十代目のために、だっけ?」
意地悪く呟けば、指先を噛まれた。閉じられていた緑色の瞳が、睨み付けている。
「本気で噛むぞ」
「……冗談。咬むのは僕の専門だ」
これ以上突付いては、本気で機嫌を損ねそうだ。それはそれで楽しいけれど、今ばかりはそんな気分でもない。代わりに、指先を口内に滑らせ、やわらかい舌を爪で掻く。
「っ…」
途端、息を詰めるのを、目を細めて見ていた。
世界が壊れようと、遠い国の組織が一つ潰れようと、どうでもいい。
けれど、それが目の前の相手を永遠にこの場から連れ去ってしまうというのなら、全力で戦おう。それが、戦うことの全てだ。
この腕と、プライドと、武器に賭けて。
きいん、と金属をはじく音が響いて、小さなリングが立ち上る煙の中に消えていく。ギリギリの攻撃をかわした相手は、呆然と此方を向いていた。
「お前は…」
「ふうん、よくかわしたね」
見上げてくる金髪に、見覚えはない。
けれど、聞いていたその外見には、嫌というほど覚えがある。
「君、天才なんだって?」
その異名をとる、嵐の守護者。獄寺の、対戦相手。
松葉杖を突いて立ち上がることを諦めたのか、相手は視線を逸らさないまま間合いを取り、わずかに見える口元だけで笑った。
「アンタもすごいじゃん。まさかリングだけ弾かれると思わなかったよ。でも、いいの? あれどこに行ったかわかんないよ? おたくの嵐の爆弾少年、死んじゃうんじゃない?」
「だから?」
腕を振るうと、風切りの音がした。
「僕は、君を咬み殺せればそれでいい。あの子が死のうと生きようと、今から死ぬ君には関係がない。それに」
優勢に立ったと余裕を持ち饒舌に動いていた、わずかに見える口角が、ぴくりと震える。
それが面白くて、つい笑った。
「あの子が死んだら、この場の誰も生かして帰さない」
毒であろうと、誰かの手にかかるのであろうと、崩れる建物の下敷きになるのだろうと同じだ。あの命が失われるというのなら、こんな戦いには意味がない。
「誰の命をもってしても償えない。だから、あの子が死んだのなら、僕は誰も許さないし、生かさない」
世界が終わろうと、遠い国の組織が潰れようと、この場にいる全ての人間の命が失われようと、どうでもいい。そんなものとは比べ物にならないくらい、あの命は、獄寺隼人という存在は、失ってはいけないものだ。
ただ、一人だけ。
「何… げ、なにアレ」
言いかけた少年の言葉を遮るように、どん、という爆音が響く。次の瞬間、背後から爆風が吹き付けてきた。その中に覚えのある火薬のにおいがして、彼の無事を知る。
姿など見なくても、声を聞かなくても判る。近くに感じる。いつかの日、肩に触れたときのように。
背中にも視線は感じない。彼も今こちらを見てはいない。けれど、きっと感じているはずだ。同じように、近くに。
振り返ることはせずに背中を向けたままで、武器を構えた。
「始めようか、天才君」
全てのプライドと、命を賭けて。
雲雀さんは一つのために十の犠牲を出せる人だと思う。ツナは逆かな。 ▲