幸せの温度・2
黒曜との抗争が終わって、三週間。
戦いが終わってから一週間以上寝たきりだった身体の傷はすっかり癒えて、今ではもうリハビリですらほとんど終わっている。数日すれば、学校にも復帰できるだろう。そう判断を下した元主治医は、じゃあ俺の仕事は終わりだな、と颯爽と去ってしまった。一足先に学校に保険医として復帰したのだろうけれど、いい気なものだと思う。
「あーあ…」
病院の敷地内。設置されたベンチはペンキも落ちて色あせていたけれど、日当たりが良くて全然気にならない。
見上げた空は心地よく晴れ渡り、絶好の日光浴日和だ。
こんな日に病室に閉じこもっているのは逆に身体に良くない、と病室を抜け出してきたのだけれど、やはりまだ完治までは至っていない所為で、時折身体がふらつく。表面上の傷は癒えたが、内面はもう少しかかるらしい。
「こんなに天気がいいのになぁ」
沢田は一足先に病院を去った。彼自身はそう外傷も酷くなく、あるのは無茶をした反動である筋肉痛だけで、そんなものは動いて治せ、というシャマルの言葉により強制的に退院させられてしまった。
山本も同じように去っている。鍛えていた身体では回復も早かったのだそうだけれど、ちょっと早すぎるような気もしなくもない。
そうして各々が傷を癒し、特別に用意された病院から去っていく。二人は数日に一回、病院を見舞いと称して訪れてくれるが、それは逆に、去ったときの寂しさを増長させるものでしかなくて。
一人でいることには慣れているけれど、独りにされることにはどれだけ経っても慣れそうにない。
天気とは裏腹な、どんよりと重たい気持ちが、口からため息になって出て行く。
こんなに天気がいいのに。
「うわっ!!」
突然、ばさ、と音がして、頭に何かが落ちてきた。
何だ、と上を見上げても当然そこには何もなくて、代わりに、ばささ、と羽ばたく音がして、肩に何かが止まった。
「…あれ、オマエ」
見ればそれは、一匹の小さな鳥で。黄色い羽が身震いでふるえている。
「確か、雲雀の」
三週間前。
ダイナマイトで爆破した扉の向こうから現れた相手は、確かにこの鳥を、肩にとめていたはず。今自分がそうしているのと同じように。
「なんでこんなところに。あ、そうか、雲雀もまだいたんだよな」
誰よりも一番怪我の酷かった風紀委員長は、今現在リハビリの真っ最中のはずだ。とは言っても誰かが付き添い指示を出すリハビリではなく、勝手にしているだけの、リハビリというよりは医師の指示に従わない単なる運動だ。
でもそれが幸いしてか、雲雀の回復もまた山本と同じように目覚ましものらしい。退院はもう少しかかるという話だけど、怪我の程度は誰よりも一番酷かったくせに、その次に酷いという話の自分と回復ペースが変わらないというのは、なんというか、どこまでも雲雀らしい。
「ホント化け物じみてるな、オマエのご主人は」
くく、と笑うと、肩に止まった鳥が羽ばたく。そしてまた同じように頭に止まると、バーズ、とかつても主人の名前を口にした。
「…なんだよ、あいつ自分のペットに名前を教えてもいねぇのか… ま、そんな暇もなかっただろうけど」
校歌を教える暇があったのなら、名前くらい教え込めばよかったのに。
繰り返し頭の上でぴーちくぱーちくと鳴く鳥に手を差し伸べる。人に慣れた鳥は、疑いもせずにその指に移動してきた。
「違うだろ。お前のゴシュジンサマは雲雀だ」
「バーズ」
「違うって。雲雀だ」
目の前まで下ろした鳥は、新しい主人の名前に首を傾げる。
「雲雀だよ、言ってみな」
「ヒ、バ」
「そうそう」
「ーズ」
「あ、惜しいっ」
まん丸の身体で首をかしげながら、鳥は不思議そうに言われた言葉を繰り返す。
それが面白くて、結局その場で何時間も時間を過ごしてしまい、気づいたときには日も傾き、面会時間ですら終わってしまっていた。
数日後。
某爆弾小僧いわく好き勝手なリハビリを終えた風紀委員長が病室に戻ると、室内はしんとし、時折わずかに開けられた窓から風が吹き込むだけで、出たときと何も変わりがなかった。見舞いが来るわけでも、付き添いがいるわけでもないから当たり前のことだけれど。
数多くの骨折があった身体も、随分癒えてきた。このままならそう遠くないうちにこの病院から出て行くことも出来るだろうし、学校にも復帰できる。週に何度か副委員長が学校の状況を知らせるためだけにここを訪れるが、ものの五分もしないで去っていくので、学校の状況は簡潔にしか知らない。それはとても歯がゆいことで、それが余計にリハビリに拍車をかけた。
ベッドに腰を下ろすと、使い古されたスプリングが嫌な音を立てる。コレの所為で、夜も安眠できない。イライラは余計にたまるし、何のために入院しているんだか。
「…なんだ、いたの」
枕に背を預け目を閉じると同時に、ばさり、と羽ばたきの音がする。
目を開ければ、目の前に一羽の小鳥がいた。数週間前、気を失いそうになる自我を保つために口ずさんだ校歌に寄って来た、黄色い鳥。以来、なんだかんだで側にいて、元の飼い主のところに戻ろうともしないから、そのままにしている。
「そういえば最近、よくどこかに行っているみたいだね。姿を見ない」
手を差し出せば、鳥は指先に乗ってくる。
「どうでもいいけど、猫に食べられても知らないよ」
「ヒバリ」
「…?」
唐突に鳥が口にしたのは、己の名前。
けれど、果たしていつ。
「僕の名前なんて教えたかな? 覚えがないんだけど」
この病院に出入りして、自分の名前を口にする人間に心当たりはない。医者も看護士も早々のことでは口も出さなくなったし、入院したばかりの頃にちらちらと顔を見せていた、今はもう見なくなってきた外国の医師達も、口にはしていなかった。風紀の関係者も、名前で呼ぶことなどほとんどない。
一体、どこで覚えてきたのやら。
「まさか文字まで読めるなんて事はないだろうね」
思わず、ちらりと後ろを見る。枕元には、フルネームが記されたプレートが下がっていた。これが読めるのなら、この鳥は鳥と思えない。
「ヒバリ、ヒバリ」
繰り返し呼ぶ鳥に、すこしうんざりする。
ため息をつけば、鳥は何を思ったのか羽ばたき、また窓の外へと出て行ってしまった。これは確かに教えた覚えのある、校歌を歌いながら。
「全く…」
次第に遠くなっていく校歌を聴きながら、目を閉じた。
教えたはずのない言葉を、あの鳥が口にするとは思えない。誰か別の人間が教えたにしても、あの鳥と雲雀恭弥が結びつくと判っている人間は多くないはずだ。
あの時、あの場にいたのは。
「……ああ、そうか」
全ての条件に唯一当てはまる人間を思い出して、笑う。
崩れ去る壁の向こうで、無様に倒れこんでいた。貸すといった肩に、礼など言わないと言いながらも体を預けてきた。夜更けのベッドの傍らで、必死になって手を握り、静かに泣いていた、我侭な子を。
「本当に、わがままで自分勝手だな」
飼う気なんてなかったのに。手元に残す気なんてなかったのに。
君が勝手にそんな風にしてしまうから、手放すわけにいかなくなったじゃないか。
その日偶々病室を訪れた風紀副委員長は、珍しいことに扉を叩く音にも開く音にも目を覚まさなかった委員長の寝顔があまりに穏やかで、いいことなのか悪いことなのか判断に困ってしまうのだけれど、それはまた、少し時間が経ってからの話。
アニメネタ+ゲームネタ。鳥が呼んでた、雲雀を。 ▲