五月五日
世は輝く黄金週間。
とはいえ、学校は当番制で教師が必ず待機していて、完全閉鎖されているわけではない。部活によっては連休の間でも練習があり、無人になるのは夜くらいのものだ。
大型連休という一番気持ちの緩みやすい間の規律を制するのも、風紀の仕事だと思う。学生は校舎から出た途端学生であることを忘れるが、たとえ校舎から一歩出ようと自室の中だろうと、籍を置いている限り並盛の生徒だ。連休の間に問題を起こされる可能性があるから、風紀は空には出来ない。部活をしている生徒もいるのに、休日だからといって出てこないのは委員の性質上出来ない。
そう説明すれば、当番の教師は二つ返事で校舎に立ち入ることを許可し、堂々と廊下を歩いていつもの席に収まりよく座った。
別に自宅にいてもいいのだけれど、ここにいたほうが落ち着くことがわかっていた。世の中は連休で、近所にはいつも以上に子供があふれている。子供が二人そろえば騒がしいものだ、出来れば近くにいたくない。
そんなわけで、色々理由をつけて連休中も校舎に居座ることに成功した。
祝日が続く黄金週間。当然、校舎内はしんとしていて。
幸いにも連休中の天気は穏やかな好天。寒くもなく暑くもない、過ごし易い空気は応接室を満たし、当たり前のようにこの身を眠りへといざなった。
その眠りが破られたのは、それから数時間後。
かたん、という遠くで立てられたほんの少しの音に体を起こせば、程なくして誰かが階段を上がってくる音がした。一定のリズムで刻まれるそれに、ソファから立ち上がって肩を回す。
ここ数日居座っている所為で、教師は自分たちが帰る時間になると一度声をかけてくるようになった。一応はそれで帰ることにしているけれど、時間まではまだ早いし、それ以外なら特別な用事でもない限りこんな場所には近づきもしない。
風紀の人間は、何かあれば電話で用件を言うように伝えてある。ここに直接顔を見せるとなると余程のことだと思うが、それでも事前に携帯に連絡がないのはおかしい。
こんな場所を訪れる人間なんて数が知れてる。おまけに今日は休日で、校舎は空。
教師でもなく、風紀委員でも生徒でもない。そうなれば、あとは消去法で一人しか。
「げ、お前マジでいたの?」
扉を開けると同時の、無作法な言葉。ノックなんて礼儀は、イタリアには存在しないのか。
「やっぱり君か」
「やっぱりってなんだよ」
「そのままの意味」
わざとため息をつけば、相手はむっとしたように顔をしかめて、室内に足を踏み入れる。
「つーかてめぇなんで休みの日にまで学校にいんだよ」
「別に、おかしくないでしょう。授業はなくても問題は起こる。それに対応するために僕がいるだけの話」
「…それってフツー教師がすんじゃねぇの…?」
しかめっ面のまますぐ側を通り抜けて、獄寺がソファに腰を下ろした。その様子は、やっと落ち着いた、という風そのもので。
「君こそどうしたの。まだ休みだよ」
「知ってる。けど、他に行き場がなくてな」
背もたれに深く体を預けた獄寺は、目を開けている事すら億劫なのか、瞼を閉じてぼそぼそと話し出す。
沢田の家に行ったのにタイミング悪く留守で、玄関先で待っていたが帰ってこなくて、顔も見ずに帰ることになったこと。
仕方なく向かった山本の店では、店先に本日貸し切りのプレートが下がっていて店内の様子すら伺えなかったこと。
どこに行くアテもなくふらふらとしていたら数人に絡まれ、気分転換のために相手をし、綺麗に畳んだこと。
そのときにちょっとした切り傷を負い、時間つぶしのついでに絆創膏の一つでも保険医から取り上げようと学校に向かったこと。
けれど女生徒のいない学校に女好きの保険医が来るはずもなく、仕方なく自分で治療をしたこと。
帰り際、見上げた応接室の窓が開いていたこと。
「で、お前が居るんなら顔見て帰ろうかと思って」
「…へぇ」
見れば確かに、半袖から伸びた腕に小さな絆創膏を貼っている。中央に置かれた消毒薬の染み込んだ脱脂綿に血の一滴も付いていないところをみると、怪我に分類することのほうが難しいほどの、軽症らしい。貼る必要もない絆創膏一つのために学校に来たのかと、少し呆れる。
おまけに、そのついでにここに顔を出したのだというのだから。
「随分なついでだね。ここまで階段を上がることのほうが面倒そうだけど」
「あー、途中で思ったんだけどな。ここまで来たらいいかって…」
ふ、と息を吐く。
その様子が、どうにも気にかかって。
「ねぇ」
「あぁ?」
「もしかして君…」
手を伸ばす。不審そうに上がる視線を無視して頬に触れれば、微かに熱い。
「風邪?」
「は? …いや、んなことはねぇ。と思うけど」
「さっき、沢田のところで待ってたっていってたね。どれくらい」
「えー、一時間くらいだと思うけど…」
「一時間も帰るかどうか判らない人間待ってたの? とんだ忠犬だ」
「んだとてめぇ…っ」
「ほら、力が入ってない」
ぐぐ、と持ち上げられる体を、肩を押して戻した。普段の獄寺ならその程度のことで揺らいだりしないのに、今日に限って、ころん、とソファに逆戻りだ。
自分の様子に驚いたのか、ぽかんと目を見開いた獄寺は、途端にばつの悪そうな顔をしてそっぽを向く。
「今朝までこんなじゃなかったのに」
「じゃあ朝ひきこんだんだろうね。今君に必要なのは絆創膏じゃなくて、風邪薬だ」
まだ肌寒いときもあるのに、半袖など着ているからだ。
止めに言い捨てれば、何も言い返せない獄寺がふて腐れたようにソファに横になる。顔を隠して、単なるいじけた子供だ。
「帰って寝たら? ここで寝られたら迷惑なんだけど」
何を言っても顔を上げる気がないのか、獄寺はぴくりともしない。こんな場所で眠れば風邪は悪化するだろうに、そんなことも考えないのか。
「…仕様のない」
はあ、と息を吐いて、肩にかけたままの学生服を適当にその体に掛けた。こんな制服じゃ肌掛けの代わりにもならないが、ないよりましだろう。
「五時には僕は帰る。それ以降は知らない」
もう何を言っても無駄だろう。元々熱で意識が曖昧になってる上、いじけてしまった。手の施しようがないし、施すつもりもない。一応は気遣ってやったのだ、それで駄目ならもう知ったことじゃない。
踵を返し、机に向かう。ソファは奪われてしまった。
「…ほんとは」
三歩進んだところで、篭ったような声が聞こえ足を止める。
振り返れば、学生服からわずかに銀髪が覗いていた。
「何」
「…本当は、お前が居てくれてよかった。なんか、誰にも会えなくて、ちょっとだけ」
さみしかったんだ、と漏れる言葉。
銀髪の影から見える緑の瞳が、様子を伺うようにこちらを見ている。
「……全く、馬鹿につける薬はないね」
最初にここに来れば、無駄に風邪を引くことも、そんな気持ちを味わうこともなかったのに。
まだ判らないんだろうか。
その身が、誰のものなのか。
「な、に」
三歩の距離を戻って、制服を剥ぎ取る。あっけに取られた顔の獄寺に軽く笑って、間抜けに開いた唇に押し付けた。
「っ、馬鹿、移るっ」
「うん。だから」
慌てて引き剥がした獄寺の顔が赤い。手が熱い。
それは熱の所為なのか、それとも。
「もらってあげるよ」
君と違って僕はちゃんと風邪薬がわかるから、と一言付け加えれば、今度こそ真っ赤になった獄寺が学生服の中に隠れてしまい。
結局五時になるまで、応接室は静かなままだった。
祝ってないですが雲雀誕生日。雰囲気話で申し訳ない。 ▲