初代と守護者によるファミリー創設話

 初めて支配地を任されたのは、まだ十代の頃だった。
「お前は見所がある。一つ、試しにやってみろ」
 ボスにとってみれば、ちょっとした余興だったのかもしれない。巨大ファミリーと言われたその男の背景は、いつでも血と硝煙で埋め尽くされていて、黒く濁った空気が立ち込めていた。
 そんな空気が嫌いだった。なのになぜこのファミリーにいたのかと、そう問われれば、答えはいつも同じで。
「生き延びるために」
 それしかなかった。

「へぇ、意外と苦労してきたんだな」
「意外とは酷いなぁ」
 食事時にしては楽しくない話に酷評を下した部下は、だってそうだろ、とワイングラスを傾ける。
「アンタはいっつもでもニコニコしてっから、苦労なんて知らないんじゃないかって」
「そうかな」
「そうさ、少なくとも」
 ぐ、とグラスを傾ける。口の中に流れ込んでいくワインの量は、正しい酒の楽しみ方とは思えないほど大量だ。ワインは少し口に含む程度が一番おいしいのに。
「敵対するファミリーはそう思ってる」
 テーブルに空のグラスが戻された。うっすらと紫色の膜が張られたグラスの壁面に、面白くなさそうな、渋い顔が映っている。自分ではなく、部下の、だ。
「なら、そう思わせておけばいいさ」
「それじゃ示しがつかねぇってんだ! いいか、俺たちは今日を持ってこのファミリーを脱するんだ。新しく俺たちの家族を作るんだ。なのに」
「こらこら、そんな大声で話すんじゃないよ」
 張り上げられた大声に、つい苦い笑いが口をつく。若いというのはいいことだけれど、状況判断が出来ていないようではまだまだだ。
「まだ知らない幹部も居るんだから」
「いいじゃねぇか、どうせ夜が明けたら全員に知らされる。アンタがそんな生温いことばっかり言ってるからっ!」
「落ち着きなさい」
 片手を上げて、いきり立つ部下を黙らせる。ぐ、と息の詰まった男は、まだ何か納得できないようにぶつぶつと口の中でつぶやきながら、ワインボトルを手にした。
「アンタがどれだけ苦労したって、いろんなこと我慢したって、それを知るやつが少ないんじゃどうしようもねぇだろ」
「そうかな。いいんだよ、俺の苦労なんて、俺だけが知っていれば」
 十代の頃、任された土地は最悪だった。暴力が振るわれない時間はなく、女は家から一歩も出られない日々が続き、子供の声など家の中からしか聞こえなかった。
 誰が悪かったのかと聞けば、それはこの土地を自分に任せたボスだと、誰でも口を揃えて言うだろう。実際、これほど悪化するまでの間、あの男はただ黙っていただけなのだから。そして手が付けられなくなったと見るや、見たくない部分を切り捨てるようにこちらによこした。
 最悪だ。どうして。俺たちがする必要はない。
 自分を慕って集まってくれた部下たちは、一様にそういった。確かに、打ち捨てられた暗部を、誰が好き好んで掃除をしたがるのか。そういいたくなる気持ちはわかった。
 が、それでは何にもならない。この土地を捨てれば、ファミリーはここから腐り、やがて大きな病巣となる。それが判ったからこそ、復興に全力を注いだ。
 町を徘徊する悪餓鬼を、排斥するだけでなく確実に沈めた。もう二度と悪いことが出来ないように、刃向う気すら起きないようにと、かなり手ひどいことをした。命があるだけマシ、というのはああいうことを言うのだろう。
 そして少しずつ日の光が差し込み始めた町には、女の軽やかな声が響き、子供たちの笑い声が、日向に落ちる年寄りの影が、力強く働く男たちの姿が戻ってきた。
 彼らは、惜しみない感謝を捧げてくれた。
 でがそれはファミリーにではなく、町を救った個人に対してのもので、ファミリーにしては面白くはなかったのだろう。すぐにその町から引き上げさせられ、別のものの配下となった。
 そうして、次から次へと、最悪な状況下にある町にばかり行かされ、そこが活気付く頃に引き上げさせられ、また同じような場所へ。その繰り返しを、何度続けただろう。気づけば既に十代の少年ではなくなっていた。
 感情は次第に麻痺し始めて、最初は命を奪うことをしなかったはずなのに、気づけば足元は血溜りと息のない体で埋め尽くされてしまう。
 どうしてこんなことに。俺たちは、正しいことをしたのではないか。
 絶望に落とされ、暗闇に沈みこんだ心を救ったのは、一番最初に光を取り戻したあの町の住人だった。
 支配者が変わり、以前ほどの暗さではないものの安心の出来ない街に変わってしまったこと。そんな町がいくつもあること。そしてその町の住民同士が手に手を取り合い、自分たちを探していたこと。戻ってきて欲しい、あなたたちが居れば、きっと。
 そう言われ、涙が出た。
 無駄ではなかった。自分たちのしてきたことが、たとえ命を奪うような非道の道だったのだとしても、足元に敷き詰められたものが動かぬ体と赤黒い命の元だとしても、彼らのために、間違ってなどいなかったと。
 そう感じられたとき、全ての決意がついた。
 このファミリーを抜けよう。巨大ファミリーと言われるこの組織の中にも、反乱分子は数多く潜んでいる。彼らに声をかけ、新しい家族を作るんだ。
「苦労は当たり前だ、新しい物を作るというのは、そういうことだよ。俺たちは、このファミリーとは違うものを作る。決して弱いものを虐げない、金のための殺戮などしない」
 注ぎ足されたワインの表面に、己の顔が映る。
 あの地獄のような日々でやせ細っていた体は、いまだに元に戻らない。年相応の成長すらできなかった体は貧相で、いまだに青年なのか少年なのか分からない、中途半端な体だ。多少の筋肉や肌色は戻ってきたが、目の色だけが変わらない。色合いは生まれたときのままなのに、暗い影の残る、いやな目だ。
「俺たちはそうやって生きていく。そのための家族だ。だから、いいんだよ、苦労なんてものは」
 指先でグラスを持ち上げれば、部下はやっぱりまだ何かが気に入らない顔で。思わず、小さく笑った。
「新しいものを作るんだ。苦労は当たり前だよ。だから、お前がちゃんと覚えていてくれ」
「え?」
「これから作る新しい家族たちは、今まで俺たちが味わってきた何倍もの苦労を背負い込むことになる。俺たちが道半ばで倒れても、お前がきちんと受け継いで、家族を支えていってくれ」
「何、アンタ、何言って… んなことになんねぇように、俺たちがついていくんだろうがっ」
「ふふ」
 激怒する部下を横目に、グラスのふちに口をつけて、軽く呷った。口に含んだアルコールは鼻に抜け、嚥下すれば微かに喉を焼いた。
「そうだな、俺を守ってくれる頼もしい護衛だ。守護者というべきか」
「そーだよっ。だから、んな縁起のわりぃこと言うなっ」
 照れ隠しなのか、男は勢いよくフォークを更に突き刺し、ぐるぐると盛大にパスタを巻き取っていく。
「ああ、そんなにしちゃ勿体無いじゃないか」
「食えば一緒だ!」
「ああぁああぁぁ… 俺の好きなボンゴレパスタなのに…」
 パスタの間から見える小さな貝が、大口に飲み込まれていく。皿にはもう、ほとんど残っていない。
「酷い… 最後の楽しみだったのに」
「パスタを楽しみにすんな、伸びるだろ」
「それもそうだけど… 酷いよ」
「…これが明日からボスだと思うと頭痛ぇぜ…」
 はあ、と盛大に、同時にため息をつく。それと同じくして、部屋の隅で時計が十二時を告げた。
「時間だ。日付が変わったね」
 顔をあげ、グラスを置く。
 日付が変わった。今日からもう、巨大ファミリーの傘下、一幹部に過ぎなかった人間ではない。数少ないとはいえ部下を抱え、守らなくてはならない土地を持った、一ファミリーのボスだ。
「あ、そういや」
 アルコールを感じさせない仕草で立ち上がった部下は、ふとこちらに視線を向けてくる。
「何かな」
「ファミリーの名前、決めたのか? なんかすげぇ言われてたと思うけど」
「あ、そういえばまだだね」
 確かに、早く決めろ、と随分言われていた気がする。
「そんなだから苦労知らずとかいわれんだぜ、ボス… 早く決めてくれよ」
 黒いスーツに袖を通しながら、部下が呆れたようにため息をつく。彼の手がコートに伸び、それを肩にかけてくれるまで散々考え、漸く浮かんだ言葉は。
「ボンゴレ、はどうかな」
「はぁ?」
 コートのかかった肩越しに振り返れば、ぽかん、と口を開いた男が身近に居る。
「うん。いいね。ボンゴレファミリー。いいと思わない?」
「そりゃ単なるアンタの好物だろ!!」
「いいじゃないか。ね、決まりだ」
「マジか!?」
「マジです」
 こくりと頷く。
「あ… アンタにだけは、ほんともう、呆れるっつーか…」
「嫌いなものの名をとるよりいいだう。ほら行くよ」
 絨毯張りの床を踏みしめ、出口に向かう。重苦しい扉に手をかけ、ぎぃ、と僅かな軋みを立てて押し開いた。
「ボンゴレファミリーの始まりだ」

 わずか数十名で名乗り上げられたその一家は、歴代最強と謳われる事となる男の下、急成長を遂げていくことになる。
 後の世、本国において最強名高いファミリーとなる一家の、幕開けの日。

初代を大幅に捏造。いつでも伏せ目なのが気になっていたので。