贈る心

 かつん、と無機質な音が通りに響く。
 石造りの簡素な街並みには昼の陽が降り注ぎ、時折すれ違う子供たちは元気に追いかけあっている。戸口で話し込む婦人たちと目が合うと、挨拶ついでに笑顔を向けられた。どうも、と口元だけで返す笑いは仕事柄身についたものだが、それを訝るでもなく、婦人たちはまた話に戻っていく。横を通りすぎた瞬間聞こえた話題は、どうやら亭主たちの収入についてらしい。笑顔で酷なことを言う当たり、単なる口先だけの会話なのだろう。幸せなことだ。
 寂しい造りの割に賑やかな通りを抜けてしまうと、あたりは一気に人気がなくなる。ぽつぽつと見える農家と倉庫、放し飼いにされている家畜たちの姿以外には、遠くに働いている人間の姿しかない。
 そんな光景を横目に見ながら、農家の一つに足を踏み入れた。
 扉を開ければ、ただ静かな室内だけがそこにある。カーテンも引かれない室内には人の気配はなく、窓枠の形に降り注ぐ光が、立ちすくむ椅子を照らしていた。
 どうやら人はみな出払っているらしい。
 特に用事があるわけでなく、ただ気が向いたから立ち寄っただけに過ぎないが、まさかこうまで人のいない時間に当たるとは思わなかった。
 どうしたものかと、小脇に抱えた小さな包みを見る。この建屋に人が帰ってくるのは、どんなに遅くても夜中だろう。それまでの間なら、腐るものでもないし置いていくのに支障はないが、この建屋の住人たちが、誰から送られたかわからないものを簡単に手にするとは考えにくい。書き置きを残すにしても、それすら疑われてしまってはどうしようもない。直筆で判断くらいはするだろうが、用心深い人間が多いことも重々承知している。
 さてどうしたものか、と日の光を一身に受け取る椅子に近づく。そうゆっくりもしていられない。たまたまできた時間に寄っただけで、長居をするつもりはなかった。この日光に当てなければ大丈夫だろうか。
「困ったな… 君はどう思う?」
 ふむ、と指を口元に上げると同時に、後頭部に硬いものが突きつけられる。
 振り返りもせずに問えば、ち、という舌打ちが聞こえた。
「何がだ」
「これ、一応土産なんだけれどね。腐りはしないし置いていこうかと思ったんだけど… 君は、土産だからといって簡単に受け取ってはくれないだろうから」
 迷ってたんだ、とため息をつけば、かちり、と金属製の音がする。聞き慣れた、撃鉄を上げる音。
「テメェは本当にふざけた野郎だ」
「そう?」
「気が向いたときにしかここには顔を出しもしない癖に、よくそんなことが言えたもんだ。あいつが呼び出しかけてたの知ってんだろう」
「ああ」
 なんとなく心当たりはある。
 少し前に、極秘のルートを使って連絡を寄こした奴がいた。簡単に話は聞いたが、自分の仕事を後回しにしてまで受ける依頼ではなかったことと、興味も何もひかれなかったことが重なって、辞退した。相手はそれを了承したと思っていたが。
「それは本人に伝えたんだけれどね」
「ああ聞いたさ。あいつは元から人のいいところがある。だから仕方ないと諦めたが、テメェがいたらもう少しは楽をさせてやれた」
 ぎり、と後頭部に押し付けられる。
「俺はそれが気に食わねぇ」
「相変わらずの忠誠心に感服するよ」
 ふ、と息を吐く。真後ろで引き金に指をかけるわずかな音を耳にして、片足を軸に一気に振り返った。
「っ」
「とりあえず、これは物騒だから」
 突きつけられた形のまま真正面にきたリボルバー式の拳銃を、軽く横に薙ぎ払う。衝撃で引き金を引いたらしく、パン、という乾いた音がした。火薬のにおいもなく、薬莢が飛ぶこともない、静かな発射音が。
「いくら空砲でもね」
「…分かってたんなら大人しく撃たれろ」
「嫌だよ、空気だけでも痛いから」
 言えば、心底呆れたとばかりにため息をついた。
「ほんっとふざけやがって…」
「真面目に言ってるつもりだけど。それより、久しぶりだね。元気にしてた?」
 にこりと笑えば、面白くなさそうにしていた顔をさらに歪めた相手が、腹立たしげに手にしていた拳銃を脇のホルダーに戻す。なんだか、不機嫌をすべて集めて凝縮したような態度だ。
「あいにくと忙しくてな」
「そうみたいだね。ここに人が一人もいないとは思わなかったよ」
 あたりには、相変わらず人気がない。一人か二人くらいならいつも連絡役に残しているのに、全員出払っているのは珍しい。
 迷った末、唯一置かれている椅子に抱えたままの包みを置けば、ちらりと一瞥しただけで、男はふいと目をそらした。
「今日は俺が当番だ」
「ああ、そう… それで気配消してたの? 意地が悪いな」
「テメェにだけは言われる筋合いがねぇよ… つか」
 今まで拳銃を握っていた指が伸び、ぱし、と鼻っ柱を弾かれた。
「その胡散臭い顔止めろ。気分悪い」
「……失礼だな、商売道具なのに」
 弾かれた鼻先を撫でる。知るか、とそっぽを向いてしまった男は、口にしている火の消えた煙草を吐き出した。
 諜報機関なんてものに属していると、情報収集の手段を選んではいられない。些末の仕事は全て部下がこなすことだが、あまりに仕事が大きいとトップである自分が出向くこともある。情報収集に必要なのは、広い知識と教養、記憶力や忍耐はもちろんのこと、何より必須なのは人の印象に残らないように表情や空気、存在を作ることだ。いつでも渋いふくれっ面をしていては、誰かの印象に強く残ってしまう。おだやかに笑い、空気のように立ち去ることは、何より一番必要な能力だ。街で立ち話をしている女性の印象に残らなければ、まず合格だろう。
 ただ、この男はことさらその商売用の仮面を嫌がるが。
「商売しにきたんならさっさと帰れ。生憎と俺しかいない」
「君しか? 本当に?」
「ああ」
「そう、それは…」
 新しい煙草を取り出し、口に銜える。マッチを擦り、火を近づけようとするのを、指先でひっかけるようにして止めた。
「好都合だ」
「は? っ、てめ、何…!」
 引っかけた手をそのまま後ろに回し、腰に差していた手錠の輪を掛けた。もう片手も後ろに回させ同じように繋げば、あっさりと身動きが取れなくなってしまう。
 自分の体勢に気付いたのか、ぎろりと睨む視線が向けられる。右頬に入れられた刺青も相まって、それはかなりの威嚇になるのだろうけれど、あいにくと全く効かない。
「おい、どういうつもりだ!!」
 大声で怒鳴る声を聞きながら、落とされてしまった火のついたマッチを、つま先で踏み消す。焦げ付いた木屑となったマッチのそばには、叫ぶことで落とされてしまったタバコが転がっている。一時として煙草を離さない相手だが、いったい何がうまいのかさっぱり分からない。
「どういうもなにも… 君のその警戒心の薄さってすごいよ」
 何くれにつけこうして訪うのも、柄にもなく土産だのを持ってくるのも、純粋な下心からだ。
 どれだけ言っても聞かず、挙句あっさりと腕を取られるくらいには油断しているなんて、むしろ受け入れられているんじゃないかと期待してしまうくらいだ。
「テメェの都合のいいように受け取ってんじゃねぇ!! 離せっ」
「嫌だよ。言っただろう? 純粋な下心で来てるんだ、って」
「下心に純粋もクソもあるか!」
「あるさ」
 するりと顎を撫でる。
 どうして分からないのだろうか。こんなにもこんなにも、鬱陶しいくらいに言っているのに。
「君さえすっかり落ちてくれればいい。望みはそれだけだ」
「だから…っ こら、待て、ちょっ…!」
 両腕に掛けられた輪を繋ぐ鎖を引き、腕を強制的に下ろさせれば、筋力だけで上げることはかなわなくなり、自然と体の重心が下がる。わずかに降りた顔に寄せて、うるさく騒ぐ唇に重ねた。
「っ、ぅ…」
 抵抗するように閉じられる唇を割り、頑固に縛られた歯に触れる。擽るように触れれば、頑なな柵はやがてなくなり、ようやく姿を現した煙草臭い舌に絡めた。そのころには、負けてたまるものかとでも思ったのか、抵抗していたはずの相手が積極的になっている。
 おかしな男だ。
「はっ… どこまで、ふざけて…」
「どこまでも真面目だよ」
 一度としてふざけていたことなど無い。この男と話すときは、冗談以外でそんなことは口にしていない。
 忠誠心の塊とでも言うべき男は、幼馴染でもあるボスの片腕として、今まで数々のことをこなしてきている。あくまで一自警団でしかなかった者たちを一括してまとめるのは、訓練された者たちをまとめること以上に厄介なことだろう。それをこなし、なおかつ言いつけを忠実に守り、友人でもあるはずの幼馴染に尽くしている姿は、滑稽なほどにきれいで。
 初めて見た時から、ほしいな、と思った。
 奪おうとは思っていない。彼の主は嫌いではないし、共感できることもある。
 ただ、落ちてほしいだけだ。
「…俺は、絶対に落ちないぞ」
「それはどうかな」
 息を切らせて睨みつけてくる目を見る。かすかにうるんだ眼には迫力はないが、確固たる決意が覗けて、薄く笑った。見せかけの笑顔ではなく、本心で。
「どれだけ時間をかけても、絶対に落としてみせる。十年二十年かけてでも、必ず」
 潤んだ色は、落ち始めている証拠。睨みつける目は、そんな自分を戒めるために。
 言うほどの時間はかからないだろう。
 彼は既に、半分落ちているのだから。
「さて、そろそろ行くよ」
 複雑な形に彫り込まれた文様に唇で触れれば、あぁ、と語尾上がりの声がした。
「あまり時間もないんだ。名残惜しいけど、今日はここまで」
「は? 十分もいねぇじゃねぇか」
「寂しがってくれるの? 嬉しいね」
「黙れ馬鹿。本当、何しに来たんだよ」
「だから、下心の詰まった土産を届けに」
「あ… あほか…」
「馬鹿だあほだと失礼だな」
 別の意味でぐったりと力の抜けてしまったらしい腕から、静かに手錠を外す。それを素早く腰に戻して、もう一度、軽く口づけた。
「次に会う時には、君からしてほしいね」
「絶対にしない」
 至近距離で睨んでくる瞳と頑固な様子に笑って、くるりと踵を返した。そのまま扉を抜ければ、遠くには変わらず農作業にいそしむ人々が見える。視界の端には質素な街並みが、その向こうには山々が連なっている、どこまでも平和な風景だ。
「アラウディ」
 倉庫の戸口から呼ばれて振り返る。
 木枠に体を預けるようにしてこちらを見ている男は、どこか気まずそうに視線をそらしながら、次は、と呟いた。
「次に来るときは、普通に来い。それまで、開けないでいてやる」
 そう言って掲げられるのは、土産として持ってきたはずのフルボトル。下心がたっぷりと詰まったはずのそれが、穏やかな日に当てられてきれいな緑色を反射し、わずかに赤い頬を照らしていて。
 ああやっぱり今すぐ落としてしまいたい、と。
 表情を取り繕うこともできず笑うのを見て何を思うのか、男は小さく舌を打つのだった。

初代雲嵐登場記念。贈る下心、の間違いですアラウディさん。