かみさま、特別をください

 幼いころ、そんな事を祈っていたような記憶が、うっすらとある。
 それはたぶん、とても他愛もない願いだったのだろう。
 たとえば、ともに育った姉に対するささやかな妬み。同じ日に生まれたわけでもないのだから、当然別々の誕生日があり、それぞれがその日に祝いのプレゼントをもらえる。姉の誕生日に姉だけがプレゼントをもらえるのは当然なのに、姉だけに与えられるそれが妬ましかったのを覚えている。思い返せばひどくわがままで、理不尽な感情だ。
 口にする祝いの言葉は本心からなのに、けれどあの時の自分にとって、姉だけが特別扱いされるその日が、とても嫌だった。
 どうして姉だけがと、人々に囲まれ笑う姉を見ながら思っていた。
 別の日、自分の誕生日に、同じように囲まれるのだと、分かっていても。

 遠い記憶を揺り動かしたのは、その日が誕生日だということを、不意に思い出したからだ。
「ああ、そういえばそうだね」
 相変わらず全く興味がないらしい反応に、冷たいな、と漏らす。
「冷たい? 何が?」
 広げている単行本から視線をずらした本人が、心底不思議そうな顔をしてこちらを見た。
 そりゃ、今日が誕生日なのはそちらで、忘れていたのは本人で、つまり冷たいという言葉を自分が言うのは的外れだろう。けれど、やはり感想は、冷たい、だ。
「人が折角思い出して祝ってやろうっていうのに、ああそうだねはねぇだろ」
「…祝う気があったの?」
「あったさ、つい一分前までな」
「三十秒前に思い出した人間のセリフじゃないと思うけれどね」
 呆れたように言い放ち、再び本を広げて視線を向ける。
「第一、今までそんなこと言ったこともないだろう」
「…まぁ」
 誕生日を覚えるような、微妙な関係になって数年。数えるくらいの回数ではあるが、それなりに迎えていた誕生日を、お互い気持ちがいいほど無関心に過ごしていた。こうして同じ空間にいることもあれば、それぞれが好きなように時間を過ごしたこともある。誕生日だからと言って、子供の時のように何かを送りあうようなことも、向かい合ってケーキのろうそくを吹き消して恋人同士のように笑い合うようなことも、祝いの言葉をかけることすら、一度もしたことがない。
 正直、そんなものにはほとんど興味がなかった。子供時分に嫌というほどにしつくしていたのも原因の一つだろうが、何より一番、こいつとそんな誕生日を迎えよう、と思ったことがない。今日はたまたま一緒にいるが、それも連休の間に時間ができてしまい、半分暇つぶしのために学校を訪れただけだ。本来なら閉鎖されるべき連休だというのに、学校どころか街内ほとんどを支配下に置く恐怖の風紀委員長様は、当然のように自分のために学校を解放させていた。だから、ここまでもなんの不都合もなく来れた。
 開いた風紀委員室の扉の奥には、やはり当然のように委員長様が鎮座していて、突然現れたにもかかわらず、やあ、と一言だけで終わらせてくれた。おかげで、こうしてソファに転がっていられるわけなのだが。
「たまにはいいかなって思っただけだ」
 子供心に、あの特別扱いが心地よかったのを覚えている。
 ただ、あまり誕生日にいい思い出もない。姉に幼い嫉妬を覚えたあの頃は、何一つ事実を知らずに、日々をのうのうと過ごしていただけだ。そこそこの大きさで地元を支配していた父の元、裕福で、何一つ不自由のない生活だった。
 急転したのは、五歳だか七歳だかの誕生日だ。実の母はすでになく、それも父の配下の仕業ではないかと噂が流れたとあっては、当時、その配下が主な遊び相手であり身近な存在でもあった自分は、周りなど何一つ信じられなくなった。城を飛び出し、荒れた生活を繰り返し、ボンゴレに拾われるまでの間には悪いことも多くしてきた。
 誕生日は、思い出したくない記憶の一つだ。特別扱いの記憶が蘇れば蘇るだけ、そのあとの転落が暗くのしかかってくる。
 でもそれは、夏の終わりに訪れる、自分の誕生日のことだ。
 幼いころの我が儘も、今はもう自分の中にはない。今日は、特別扱いされるべき人間が自分以外だと、ちゃんと分かっている。
「なぁ、なんか欲しいもんとかねぇの?」
「今は何も」
「じゃあ、してほしいこととか」
「そうだね」
 ちらり、と本の端から視線が落とされる。
「静かにしてほしいかな」
 読書の邪魔、と軽く切り捨てられる。
 ほら、だから冷たいと言ったじゃないか。
「つまんねぇ奴」
 ふん、と息を吐いて横たえた体を動かした。
 そんな反応が返ってくるのは承知の上だったが、もう少し考えるそぶりだとか、間をとるとか、してくれればいいのに。どこまでも他人を気遣えないやつだ。
「してほしいことを言えというから言っただけなのに」
「静かにしろってのは違うだろ」
「今はほかにない」
 ぱたん、と音がする。視線を上げれば、今の今まで開かれていた本が、ぴったりと閉じられていた。
 紙面に向けられていたはずの視線は、まっすぐにこちらに落とされている。
「部屋は静かで、僕らしかいない。君はここにいるし、今僕がほかに望むものは何もない。それだけだ」
 真上から降ろされる視線を、じっと見返した。下を向くことで垂れる髪が、頬と額に影を作っている。窓から差し込む日光を影に背負うことで、それらは白い肌に強く陰影を刻んでいた。
「第一」
 向けられる黒い瞳が、ふと閉じられる。眉根が寄せられているように見えるが、なぜだろうか。
「人の膝の上でごろごろしている君の方が、よほどいい待遇だと思うけれど」
「あ、嫌だったか?」
 ソファに横になった時に、丁度頭の位置に膝があったから、まくら代わりに借りていたのだけれど。
 何も言わないから、いいのだと思っていた。
「嫌とは言ってない。ただ、どちらの誕生日かわからないと言っただけだ」
「……なら、代わるか」
「遠慮する。君の膝は硬そうだ」
「お前だって硬いっての。俺は高さが欲しかっただけだ」
「なら、そのままでいいから」
 閉じられた本が、軽く頭に触れた。
「静かにしてて」

 擦れて、消えてしまいそうなほど遠い記憶の中。景色が霞むほどの豪勢な食事と、向けられる祝いの言葉の数々、贈られるプレゼントの山。幼いプライドと自分勝手な気持ちは、そんな風に与えられるものばかりを求めていて。
 年を経て、まだ大人と言えるような年ではないけれど、ようやく分かってきた気がする。
 贈るべきは、食事でも玩具でも菓子でも言葉でもなく、思いだ。
 特別扱いの数日後に訪れる実母との再会で、彼女は確かにプレゼントをくれたが、そのどれもが決して高価なものではなかった。年に数度、誕生日と関係がない日に会うときだって、小さなカットケーキを二人分だとか、時には新しく作った曲だとか、ものですらなかったこともある。けれどそれも、夢を断たれ、陰に暮らしていた彼女が用意できる、精一杯のものだったはず。誕生日パーティの席で貰ったどのプレゼントよりも安っぽいのに、どれよりも一番うれしかった。それは、彼女がその小さな箱に思いのたけを詰めてくれていたからだ。
 本当の、本当に特別だという気持ちをもって扱われるというのは、ああいうことのはずだ。
 もしも幼いころの自分に伝える手段があるのなら、教えてやりたい。
 特別に扱われたければ、まず相手を特別に扱うべきだと。
 居るのかどうかもわからない神に祈るくらいなら、歩き、声を出し、特別だと告げた方がよほどいい。そうすれば、望むものは手に入る。
 物や形ではなく、目には見えないけれど確かなものが、必ず。

 静かな休日の学校。
 遠くに聞こえるはずのざわめきもなく、ただしんとしているだけの部屋の中で横になり見上げる景色は、こんなにも失い難いと、そんなことを思う連休最終日だった。

委員長おめでとうございます。お題使用「群青三メートル手前」