君のいない世界5

 属性には七つある、と得意げに語り出した男が、手にした鞭を軽く振るう。
「まずはツナの大空。これは俺も同じだな。そしてお前の雲、霧、雷、雨、嵐、晴れとなる」
 振るわれることで撓った鞭が、コンクリートの床をはじいて音を立てた。ばしっ、という勢いのついた音は耳に慣れているし、その痛みもリアルに思い出せる。何を思ってこの男は鞭を武器としたのか。例え聞いたとしても理解はできないだろうから、生涯聞くことはないが。
「これらは初代ボンゴレの、全てを包みこむ鷹揚な性格から来ているものと言われている。そして彼を守る守護者たちの性格を天候に表したものが、この六つだ」
 コンクリートに延びる鞭に、じわりじわりとオレンジ色の炎が伝って行く。大空の属性だというディーノが灯すオレンジは、輝くようなオレンジではなく、どちらかというと光のない鈍い色というのが正しいのか、鞭の輪郭を鈍くさせるような色をしていた。透明感がない、というのか。
「天候というのは、天気だよな? つまりは、すべて自然に由来し、そして空にかかわるものである。だからこそ、それらは空がなくては存在すら出来ないもの… 聞いてるか?」
「聞いてない」
「あ、あのなぁ…」
 つつつ、と炎が鞭の先端にたどり着いたのを見て、顔をあげた。呆れ顔のディーノは、わざとらしく深いため息を落として、肩をすくめる。
「まぁいいさ、お前がまともに話を聞いてくれた試しはないからなぁ」
「分かってるなら、その無駄に長い話、やめてくれない?」
 全く要領を得ない。
 そう言うと、軽く首をかしげたディーノが、そうだな、と笑った。
「何が言いたかったのか、忘れちまった」
「ふん」
「だけどな、これだけは確かだぜ。お前はツナの守護者として選ばれて、そして雲にふさわしいと認められた。だからこそリングがお前の指にあって、炎がともる。それだけは忘れるなよ」
 右手に通した、紫色の炎をまとう指輪を持ち上げ、ちらりと視線を向けた。
 この小さな指輪が届けられてから数日の間、めまぐるしいほどに動いた戦いが、なんらかの終結を見てから、さらに数日。町は一見平和を取り戻したように見えたが、関知しない場所で何事かが動き始めていた。
 最初は、小さな赤ん坊の失踪。それに続き、並中生徒が一人二人と消え、やがてそれは他校の生徒にまで蔓延し、そしてぴたりと止まった。以来、町は数人を失ったままそれでも正常に動こうとし、軋みを上げている。
 正確にいえば、失踪者とつながりのある者数名だけが、まるで体中にまとわりつく何かに足元を押さえつけられるようにして、遅々とした時間を過ごしていた。どれだけ探そうとしても、失踪者たちは足取りさえ残していない。文字通り、煙のように消えていた。つい数分前まで呼吸をしていた名残を、そこかしこに残したままで。
 近くに寄ったから来てみたと言われんばかりの軽さでディーノが現れたのは、悶々とした日々を過ごすしかない残された者たちの間に、次第にいらだちが見られ始めたころだった。
 そして延々と意味不明な話を繰り広げた後に、一つの指輪にオレンジ色の炎をともして見せたのだ。
 遠い地を治めるマフィア、その十代目当主、それに連なる六人の守護者。
 以来、数日経っても延々と続けられているその説明は、一応頭の中には入っている。だが、入っているだけで、理解したわけでも納得したわけでもない。そもそも、十代目当主という沢田のことは知っているが、彼を守る使命があるのだと言われても、その言葉自体が理解しがたい。なぜ沢田を守らなくてはいけないのか、なぜそんなものに選ばれるのか。理由も理屈もはっきりしない中で、ただ一つの指輪を渡されただけだ。
 煩わしいものでしかない。守護者という言葉も、守れという言葉も。
「…何か、勘違いをしているようだけれど」
「うん?」
 指輪に向けていた視線を上げる。言うだけ言ってすっきりしたのか、ディーノの顔は晴れやかだ。
「僕は、その守護者とやらに納得した覚えはない」
「お前、まだそんなこと」
「そもそも、守るなんてことが必要かい? あの小動物に」
「恭弥?」
 晴れやかな顔が、一転して曇る。何を言うのだ、とでも言いだけだ。
「あなたにどう見えているのか知らないけれど、僕には守らなくてはいけない対象には見えない」
 第一印象からして、よく分からない、だった。
 強いのか弱いのかわからないままで、時折強くなるかと思いきや、普段は子供相手の喧嘩ですら負けそうなほどに及び腰だ。おそらく、この学校内でも最低ランクに属するだろう。
 だが、それが全てではないことくらい、知っている。
「彼は面白い。きっとこれから先、もっともっと面白くなるはずだ。僕が指輪を受け取った理由は、この力が必要であることと、彼がこの先面白くなっていくのを見るためでしかない」
「恭弥…」
 不可解、という顔を崩さないディーノに、ちらりと笑う。
 おかしなものだ。目の前に現れるときは常に沢田関係であるのに、この男は何一つとして沢田を理解していないのではないだろうかと思う。あんなにも面白い生き物だというのに。
「そうだね… あなたの言うように、確かに空がなくては天候はないだろう。雲があるべき場所は空で、だからこそ漂うことができる。けれど、裏を返せばいつでも壊せるということだよ」
 沢田は面白い。これからも、きっと面白くなる。
 だが面白くなくなった時。その片鱗全てが失われ、牙もなく生きるすべを失ったただの傀儡と成り下がるのなら、それはもう空ではないし、面白くもないものになる。
「空を覆い見えなくするものは雲だ。光のない暗闇を作り、嵐を呼べる」
「恭…」
「僕は守護者ではないよ。いつでも壊す力があり、選択の権利がある」
 ぐ、と握りこんだ武器に、紫の炎が伝う。慣れれば、この作業は案外簡単だった。
「雲は自由で囚われない、だろう?」
 散々垂れた講釈を口にすれば、苦い顔をしたディーノが、ことさら深いため息を吐いた。
「まぁその通りだな… でも、まず無理だろう。嵐の守護者は、誰より一番ツナが大切な奴だからな。お前がいくら奮闘しても、空を壊すことに納得しないだろうよ」
 空を仰ぐディーノの言葉に、視界の端で炎が揺らめくのが見えた。
 七つの属性に、六人の守護者。八人の失踪者。そのうちの一人でもある、嵐の守護者。
「だからお前も諦めて… え、えぇぇえ??」
 笑いながらこちらに向き直ったディーノが、情けない声を上げた。視界の端で揺らめいていたはずの紫の炎が、今や轟音を立てそうなほどに燃え上がっている。
「いや、いやいやいやいや! なんでだ!?」
「…本当に、僕をいらつかせるな、その口は。少し黙らせようか」
 コンクリートの床を蹴り、一気に距離を詰める。反応はしたものの、鞭が戻ってくるまでには一瞬の時間がかかり、それは手にした武器の間合いへと詰めよるよりもコンマ以下で遅かった。
 勢いをつけて振り切るトンファーが、顎にヒットする。直前、ギリギリで間に差し出された鞭の柄が挟まり、威力は殺されたようだが、炎に関係のない純粋な力が響いたらしく、ディーノの体が宙に浮きあがる。
「なんでだー!?」
 飛び出しながら叫ぶ声に、ボス、と端の方で見ていた髭の男が慌てる声が重なった。

 何もかもに腹が立つ。
 押し付けられた役割にも、沢田の存在にも、間の抜けたディーノの叫びにも。
 ほんのかすかな、けれど確かな存在感を残して消えてしまった、目に焼きつく銀色にも。
「……むかつく」
 いまだ手に帰らない。その事実が、何より一番。

馬は情けない方が好きです。