焼き菓子
並盛中には、絶対的に君臨する王様が存在している。
風紀委員という私兵を持ち、並盛町という領土を支配する王様は、恐怖政治でもって領内を治めている。物理的暴力と、自己中心的な規則。歴史を見ても成功したためしがない独裁政治が揺るがないのは、王様の庇護下に居ることで救われていることが多くあるからだ。
自己中心的とはいえ、その規則を守ってさえいれば、それなりに身内意識の強いらしい王様の庇護を受けられる。他校の生徒が身に覚えのない因縁を付けてきたとしても、近くに風紀委員がいれば助けてもらえることが多い。普通の学生生活を送ることだけを考え、王様の怒りに触れぬよう気を付けていれば、並盛中での三年間はなんの問題もなく過ぎていくだろう。
ただそれは、勉学を中心とした普通の学生生活を送る気があるならば、の話だ。
「雲雀に?」
早朝から行われる入国審査改め風紀チェックに引っ掛かり、風紀委員から放課後までに反省文を書き提出し、没収品と引き換えるようにと言い渡された。いつものことと反省文など一文字も書かないまま、没収されたアクセサリーの類を奪還するべく向いかけた風紀委員室までの道のりで、声を掛けられて足を止めさせられる。
そこに居たのは、なんとなく見覚えのあるクラスメイトを先頭にした、女子生徒の群れで。
彼女たちの第一声は、風紀委員室に行くのだろう、から始まり。あれよあれよという間に、なぜか小さな紙袋を渡されていた。いわく、並盛の王様こと、暴君風紀委員長に渡してくれ、と。
「てめぇでやりゃいいだろう」
至極もっともと思う意見には、近づけない、という意味の分からない理由を返された。
近づけないのに渡したいもの。それが、たとえば開ければ爆発するような危険物だったり、恨み事を書き綴った手紙だとでもいうのなら喜んで運ぶのだが、白い紙袋の中に入れられた小さな箱達は、どう見ても好意的な意味しか持っていない。
丁寧に掛けられたピンク色のリボンと、それにつけられた小さな花の飾り。隣にあるのは半透明のビニールで、上部の口を似たようなデザインの紐で括ってある。もう一つの箱は、シンプルな包装紙に包まれて銀色のシールが張られていた。プレゼントフォーユー、なんていうあざとい贈り言葉が印刷されていて、なんて分かりやすい。
ばたばたと走り去っていく数人の女子生徒たちが、階段の下に消えてく。
残された獄寺はただ一人、押し付けられた紙袋を持ったまま、まんじりともできずにいた。
呆然としたまま十分ほどを過ごしたころ、遠くの方で扉が開く音が聞こえ、はっとした。手の中には紙袋があり、中身も変わっていない。いっそ立ちつくしたまま白昼夢でも見たというのならば、よほど気が楽だったのに。
「…もう夕方だけどな」
白昼夢というには時間が遅くないだろうか、なんてどうでもいいような突っ込みをして、ため息をついた。
これをこのまま、ありのままの姿で本来の送り先に届ければいいだけの話で、その後、これをどうしようと自分の知ったことではないし、渡したという事実がある以上、そこまでの責は自分にはない。
分かってはいるのだが、分かっていれば出来るというほどに、人間という生き物は単純じゃない。もっと複雑で、不可解だ。自分でもよく分からない感情に支配されることがあるほどに。
どこか遠くの方から歩いてくる足音に、急かれたように歩きだす。女子生徒たちが下りた階段を上がり、ただひたすらに上を目指した。なんとかと煙は上が好きだと聞いたが、今だけはなんとかでもいい気がする。とにかく、室内よりも室外に居たかった。風にあたり、頭を冷やしたい。
屋上への扉は、建てつけが悪いわけでもないのに、少しだけ重たい。体重をかけ、軋む音を立てる扉を開ければ、フェンスの向こうに春の空が広がっていた。
向かい合う校舎から見えない位置を取り、袋を投げ出して座り込む。硬いコンクリートの床は、たとえ陽が照っていてもどこか冷たい。直に座りこむには、あまり適した季節とは思えなかった。
別段、これを本人に渡したところで何があるわけでもない。彼女たちの言う理由はとても正当で、問題はない。いや、そもそも人が人へ何かを贈ることに、正当も不当もないとは思うのだが。
マフィア間でやり取りされる、裏黒い取引というわけでもない。まさか、こんな小さな町で学生をやっている十五にもならない子どもが、何かのたくらみでもって王様に賄賂を渡すとは思えなかった。案外、こういった賄賂の類を躊躇いなく受け取る傾向のある独裁政治だから、全くないということもないのだろうが、彼女たちの理由は、純粋な感謝だった。
部活や習い事の所為で帰宅時間が下がることの多い彼女たちは、明るい時間に帰れることが少なく、帰り道に何度か他校生に絡まれたこともあるらしい。中には性質の悪い奴らもいたらしく、危ない目に遭いかけたこともあって、けれどそういう時に限って巡回中の風紀委員に助けてもらうのだそうだ。
「ああ、そういうこともあるね」
以前にも噂に聞いた美談の真相を、当の委員長はあっさりと肯定した。それも仕事のうちだと、並盛風紀委員は認識しているらしい。
だから、そういった事実に驚くことはない。支配した土地の治安維持だと考えれば、同じような文句を本国でも上役から聞かされた。それを徹底しているのがディーノがボスを務めるキャバッローネで、本来のボンゴレが目指している姿でもあるのだから、見習うべき姿勢だろう。
今横に置かれている紙袋の中身は、その謝礼だ。助かったと思った彼女たちが、せめてもの礼をと用意したものであって、それ以外の意味は何もない。おそらく。
だから、まっすぐに風紀委員室に向かって、預かったからと委員長に渡し、それで終わりだった。こんなところに来さえしなければ。
分かっていても、理性と感情は逆方向を向いている。理解したくない、認めたくない小さな何かが、頭を冷やせと訴え続けてきたから。
立てた膝を抱え、きっと面白くない表情を浮かべているだろう顔を隠して頭を掻いた。鏡を見なくても想像できるのが、腹立たしくて情けない。がりがりと頭を掻くだけでなく、できるのならば床一面を転がりまわりたいくらいだ。
「…余計に情けねぇな…」
想像した姿に、ため息を吐く。もう何がどうなって、何をどうしたいのか、自分でもよく分からなくなっていた。
少しの間、そうして悶々とした時間を過ごした後、肺の奥から息を吐き出してから顔をあげる。何一つ整理はできていないのだが、ここでこうしていても時間が過ぎるだけだということは分かってきた。
預かった以上、このままにしていくわけにも、気に食わないからと焼却炉に放り投げて行くわけにも、中身を改めるわけにもいかない。当初の予定通り当人に預けて、後は受け取った当事者が判断するだろう。
よし、と足に力を入れて立ち上がる。冬に比べて陽の射す時間が長くなってきた春は、屋上で過ごすには最適の季節だが、今は早く帰って布団にでも包まってしまいたい気分だ。
紙袋を手に、出入り口に向かう。ぽこりと床から突き出た形の出入り口は、中途半端に開いたままの扉を一つと、上に乗せられた給水塔を抱えている。
「…相変わらず趣味の悪ぃ」
ぷらりと下げられた足。並盛中学の規制制服ではないその色は、教師か、王国支配の風紀委員関係者しか着ない色だ。それが、給水塔の影、出入り口の天井から落ちている。座り込んだ影は、言いがかりだね、と鼻を鳴らした。
「後で来たのは君だから、責められるいわれはない」
「どうだかな」
扉は開いていた。こっそり入ってきた可能性だって、否定できない。
「たとえばそうだとして、そんなことにも気づけなかったことは認めるんだ?」
高い場所から見下す王様は、そう言って不敵に笑う。機嫌でも悪いのか、絡み方が嫌味くさい。
こういうときの雲雀に絡んでもろくなことはないとわかっているが、だからといって一方的に引くのは性に合わない。なにより、こちらも決して機嫌がいいとは言えなかった。
「てめぇが泥棒みたいに忍び足で歩いてりゃ気付かねぇかもな」
吐き捨てるような言葉に、遠目にも雲雀のこめかみが引きつるのが見えた。肩に掛けられた制服を翻し降りてきた不機嫌な王様は、何も言わずに袖から武器を取り出す。両手に握られた、殴られた時の痛みですら簡単に思い出せるほどに覚えのある武器は、春の日差しの中でもその狂暴性が揺るぎない。
面倒くさいという思いと、好戦的な思いが同時に湧き上がる。雲雀は、いつでも牙をむき出していて隠さない。その鈍い光が、闘争心を刺激して仕方無い。
手にしていた紙袋を、ぽいと投げ落す。預かりものであることも、今はどうでもいい。コンクリートの床に落ちても、何かが割れるような音はしなかったから、中に壊れものはないはずだ。
その仕草をちらりと横目で見た雲雀が、いいの、と歩きながら聞いてくる。
「何がだよ」
「そんなに簡単に放り投げて。どう見ても、君が持つには上品そうなものだけれど」
「ああ? 別にいいだろ。俺のじゃねぇし」
確かに、真っ白な紙袋を持つほどお上品ではないから反抗する気も起きないが。
「中身がどうなっても知ったことじゃねぇな… どうせ、お前のもんだ」
「…僕?」
残り数メートル、ギリギリ射程範囲外で足を止めた雲雀が、不可解そうな顔をする。取り出した煙草は残り少なくて、一緒に仕舞いこんでいたライターの中にもガスが少ない。ボムの数は十分だが、火種はギリギリかもしれないと、足を止めたその間に思考を巡らせた。
「預かっただけだ、テメェに渡せってな」
「誰から」
「廊下で呼び止められただけだから知らねぇな。一人クラスの女がいたけど、そういやなんて名前だったか」
覚えようと思えば簡単に覚えられるが、意味のないことに記憶容量を使う気はない。クラスメイトなんて、沢田と山本と笹川くらいしか覚えていなかった。あと、笹川とよくつるんでいる女子生徒がいた気はするが、顔は覚えていても名前はちっとも思い出せない。
「どうして、君に」
「風紀委員室に行く用事があるって知ってたからだろ、つか、なんだよ。そんな細かいこと」
いつもなら、些細な理由一つで簡単に人を殴打する癖に、今日に限ってしつこいくらいに聞いてくる。それどころか、黒い眼は何かを考えるように逸らされ、しばらくその姿勢で止まった後、雲雀は武器をしまいこんでしまった。
「は!? なんだよそれ!!」
こちらと来たら、もう少しで煙草に火がつくところだったのに。
「また後でね」
「なんだ…」
空振りになった闘争心と威勢を、雲雀はするりと交わしてしまう。武器を向けられてなお引くところを見ると、本気で今はその気がなくなったということだ。いったい、何が。
困惑するこちらをよそに、僅かな射程距離を埋めた雲雀が、隣に放り投げた紙袋に手を伸ばす。持ち上げた紙袋の中身を改める指先は、先ほどまで武器を握っていたとは思えないほど、普通だ。
ぎり、と知らず奥歯を噛みしめる。そんなものに気を取られて武器をしまい込むのが、なんとも雲雀らしくて、どこまでも雲雀らしくない。
「…見事に違反物ばかりだ。よくも、こんなものを僕に持ってこようと思ったものだね」
鼻で笑うような見下す言い方に、どう言っていいのかわからなくなる。
そうだなと肯定するのも、そんな言い方はないだろうと否定するのも、何か違う気がして。
「それで、理由はなに?」
「あ、ああ?」
「こんな違反物を僕に押し付けようとした生徒たちの、理由」
指先に掛けた紙袋の紐を軸に、くるりと袋を回す。不可解というよりは、はっきり不快を現す表情には首をかしげそうになるが、それでも説明だけはと経緯を話した。
「意味が分からない」
「礼ってことだろ」
「こんなことをする暇があるのなら、夜間の外出を極力控えてくれた方が、風紀委員の仕事が減って助かるんだけれどね」
くるくると器用に回していた袋を止めて、これ見よがしのため息を吐く。
本当のところ、彼女たちの言い分にはもう一つ理由があった。そのせいで、なんの蟠りもなく雲雀に預かりものを渡す、ということができなくて、それが余計に面白くない。
大した理由じゃない。彼女たちは、数回風紀委員の世話になっていて、数を重ねてくると中には委員長自ら助けることもあった、と言っていた。雲雀の視点に立てば、単に自らの領地を荒らす他校生に対して制裁を加えただけで、彼女たちのことは並盛の制服を着ている女子生徒、くらいにしか認識していなかった可能性が非常に高いが。
他の委員と同様、口頭での礼だけで済まそうとした彼女たちは、けれどちょっとした事を思いつく。それは、至極女性らしい観点で、どうしたって男には思いつかない、考えもしない礼の仕方だった。
「それでなくても、まだ休み気分で浮かれている生徒が多くて手が足りないのに」
世は大型連休明け。
雲雀は、つい数日前に一つ年を重ねていた。
特に約束をするわけではなくて、その日は連絡をすることもなかった。ただ、朝起きた時にカレンダーを見なくても何の日かわかっていたし、恐らくいつもどおりに学校で過ごしているんだろうと思っていた。だから、別に何を思うこともなく、普通に過ごした。連休が明けて会った時にも、それらしいことは何も言っていない。
今日、あの女子生徒たちに囲まれて、お礼と誕生日のお祝いだから、といわれて、体が固まった。
誕生日を祝うものだという感覚は当然あるし、子供のころは盛大に祝ってもらっていた。それくらいは常識として知っているが、お互いあまり誕生日に関心がなかったこともあって、祝いの言葉をかけたことも、かけられたこともない。当然、何かを渡したことも。
一度気づけば気になるもので、どれだけ思い返しても雲雀に何かを送った覚えがなかった。誕生日にも、クリスマスにも。形として残る残らないを問わず、そういった名目でものを渡したことは、一度もない。
なのに、手の中には雲雀への贈り物がある。それに、特別な意味などないだろう。雲雀はどこまで行っても恐怖政治の元締めで、彼女たちに何か含んだ思いがあったとしても、近づくこともできないと集団で仲介役に頼むのがせいぜいでは、雲雀のそばにあることはできない。
と、いろいろ考えたところで、結論は一つだ。
面白くない。
あの紙袋の中身が、雲雀に対する贈りものだと、そう思うだけで気持ちが落ち着かなくなる。
今も目の前で一つの箱を取り出している姿を見て、腹の奥がくつりと煮えた気がした。包装紙を破り、蓋を開けている手を叩き落としたくなる。中に入れられていたらしい、小さな折りたたみのカードに走る視線を、掌で隠してしまえればいいのに。
「そうか、祝日だったな」
「……誕生日って言えよ」
「学校が休みになって、人手が足りないというくらいのことだよ」
ぽいとカードを袋に投げ入れる。さほどの興味もないのだろう、扱う手はぞんざいだ。
その粗雑さに腹が収まる、言い訳の利かない事実が余計に情けない。本当に、床を転がり回れればいいのに。そうしたらきっと気が晴れて、ばかばかしいと思いこめる。雲雀にだって、普通に接することができたはずだ。
様々な思いが渦巻いて、それらを誤魔化すように取り出したままの煙草をしまい込んだ。雲雀は武器を引いたし、不機嫌そうな気配は消えた。おそらくもう、武器が飛んでくることはないだろう。
「ああ、ほら、君が投げたから」
袋を足元に放り落とし、一つだけ残った箱の中身を見ている黒い眼が細くなる。何かを企んでいるような表情だったが、窺うことまではできなかった。
箱に入れられた指が、何かを持ち上げる。見れば、なんとも不格好な焼き菓子のかけらだった。欠けた断面はがたがたで、中から小さなチョコレートのかけらが零れかけていた。
「割れてる」
「俺とは限らねぇだろ。もともと割れてたのかもしれねぇし、テメェの扱い方も雑…っ」
理不尽な言いがかりに文句を返す口へ、焼き菓子が押し込められて、文句が止められた。反射で閉じた口の中には、チョコレートの甘い味とバターがふんだんに使われた軽い生地の味が広がり、思わず噛み砕いてしまう。
「美味しい?」
嚥下すると同時に、目の前で雲雀が首を傾げる。
美味い、のだろうか。
幼い時分から、家の方針もあって高級嗜好だった。家を出てからは、時には食事すら危うい時代もあって、そのせいか、美味いとも不味いとも感じない事が多い。既製品らしい焼き菓子は、チョコレートとバターの味ばかりが強くて、よく分からなかった。
「…たぶん」
「なにそれ」
「っせぇな、こんなの、どれも一緒だろ。つーか急に人の口に食いもん突っ込むなよ」
「躊躇いなく食べたのも君だけれどね」
どこか呆れたような口調の王様が、再び箱に手を伸ばす。今度は欠けていない、小振りの菓子を取り出した。
はい、と差し出されて、もうなんだかどうでもよくなってしまった。こんなにも無関心な雲雀と、たとえば憶測どおりに下心があったのかもしれない女子生徒たちの間に、何が起こることもないだろうと、そう思うとなんだかばからしくなってしまう。
いつでも、一方的に振り回されて、馬鹿らしくなって、終わりだ。全く成長していない。
差し出された菓子を口にする。チョコレートではなく、今度は砕かれたナッツ系が種類を問わずバラバラに入っていた。次はフルーツ、その次はジャム、と次々に差し出されては、子供のように食べ続ける。口元に運ぶ雲雀はどことなく満足そうで、口の中が甘ったるくなっても、粉っぽくなっても、もういらない、ということができない。
甘いものが好きというわけでもないのに、差し出されるままに食べ続け、最後に雲雀が取り出したのは、幾分大きく端が不格好に欠けた一枚で。
「これで終わりだ」
「もうしばらく食いたくねぇぞ、この類…」
わざと深くため息をついてから、差し出された菓子を口にする。最初に食べたチョコレート入りのそれと同じ味で、そういえばあれは欠けていたと思いだした。こちらが大きく残った方らしく、今までのように一度で口に入れることができない。
仕方なく押し込もうとした手を、ふと止められる。柔らかく掌で押すように下げられて、意味が分からないままに向けた視線が、黒で染まった。
「ぁあ…?」
驚いているひまもなく、口元で軽い音がした。焼き菓子の割れる音と同時に、ほんの少しだけ軽くなる。
触れそうな位置で留まる雲雀が、距離を保ったまま口を動かす。甘い、という感想は、耳に届くよりも唇に届く方が早かったに違いない。
「…食いたいなら普通に食え」
最後の一口分を嚥下して、それでもまだ離れない雲雀を睨めば、まさか、と笑い返された。
「食べたくないよ、別に」
「でも食った」
「君があんまり不味そうに食べるから、どれくらいのものか知りたかっただけだ」
「……その感想が、甘い、か」
「うん、そう。あまり頻繁に食べたいと思うものじゃなかったな」
口の端に付いた粉を舌で舐め取り、ようやく雲雀が距離をとる。一歩引いたくらいで、それでもまだ近いといえば近いけれど、少なくとも話す度に息がかかるような距離ではなくなっていた。
「まだあるみたいだけど、さすがにここで飲食をするのは風紀として認められないな」
足元に投げだした紙袋を、再度拾い上げる。自ら進んで飲食をした委員長は、平然とウソ臭いことを言いながら実に楽しげだ。
「よく言うぜ」
唇の端にかけらが残っている気がして、ぐいと手の甲で拭う。
そうでもしないと、触れそうで触れない、微妙な距離でも伝わっていた熱が残って、言いたくないようなことを口走りそうだった。
「僕は委員室に戻るけど、どうする?」
くるりと振り返った雲雀の目には、すでになにもない。改めて武器を取り出す気配も、不機嫌な影の端も。
「どうって…」
「これをすべて僕だけで食べるのは無理だ。他の委員は郊外に出しているし、違反物を食べて処理していると思われたくないからね」
「これ以上食わす気かよ、テメェ」
袋を片手に、隣を通り過ぎて行く雲雀が、すれ違いざまに笑った。
それは本当に小さくて、なのに含みをもつ笑い方で。
「僕が一人で食べるよりは処分も早いだろう?」
真意をつかみきる前に、黒い制服が通り過ぎて行く。さっさと出入り口に向かう背中は、どこか浮かれているようにも見えた。
さっきまで不機嫌最高潮だったのに、もう平常に戻っている。本当に意味が分からない、複雑なのか単純なのかすら分からない王様だ。
「…茶くらい出るんだろうな」
きゅ、と上履きの音を鳴らして歩きだす。
孤高の王様が、軽く肩を揺らしている。まだ笑っているのかと思うと腹も立つが、不思議と先ほどまでのいらだちとは違う。腹の中には甘ったるい菓子が詰められていて、じわじわと甘さが滲みだし、腹立たしいのを沈めていくような気がした。
彼女たちがそれなりの誠意で持って用意したのであろう品物なのに、当人の腹にはかけら程度しか入っていない。ほとんどが仲介役の腹に入り、これから向かう風紀委員室で、さらに残りがこの腹に収まることになるだろう。
そう思うと、腹の虫が静かになる。雲雀が相手になどするはずがないと分かり切っていたとしても、面白くないと思ってしまう気持ちが、悔しいけれど確かにあった。小さな紙袋に詰められた、バースディプレゼントという名目の礼を受け取る姿さえ、歯痒くて。
こんな気持ちを抱えてしまうくらいなら、来年からは多少の祝いくらいした方がいいだろうか。孤高の王様が、下らない献上物だと鼻で笑わないような、何かを。
そう決意する獄寺の頭上で、黄色い鳥が楽しげに歌っていた。
委員長おめでとうございます。祝え、た? ▲