「帰ろうか」3

「おかえりなさい。手頃なものが… あったようですね」
 村の入り口で出迎えたテツが、ちらりと視線を向けて、すぐに戻した。
「金は足りましたか」
「かなり余った」
「そうなんですか? 籠と蜜と、軽く食べるくらいの額だったと思いましたが」
 首を傾げるテツに、余った金を返す。
「蜜はいいのがなかったから」
「おや、そうでしたか。ではまた、今度見繕ってきますよ」
「ああ」
 金をしまい込むテツを余所目に、ヒバリはなにも言わずに住処へ戻っていく。いつものことと気にしていない風のテツが、ふとその顔を曇らせた。
「藍閃で何かありましたか?」
「へ? いや、なにも」
「ですが、長の手が…」
 眉の寄った硬い表情に、納得がいく。確かに、ヒバリの手に巻かれた布は、一見穏やかではない。
「あー… いや、あれ、俺だから」
「はい?」
 申告に、テツの顔が驚きに変わる。
 そして話して聞かせる内容に、それは、と硬い表情が和んだ。
「長も驚いたでしょうね」
「どうだかな。つーわけで、手当しなきゃなんねぇんだよ」
「そうしてあげてください。それでなくても、休みに出かけることを渋ってましたからね」
「面倒くせぇよな」
 たかが街に出かけるくらいで、あそこまで拒否することもないと思うが。
「そうですか?」
「嫌なら待ってりゃいいじゃねぇか」
「ははは、そう仰らないで。長も報われない」
「はあ?」
 何か含むような、テツらしい言い分に、思わず声を上げた。けれど当のテツは、いやいやと笑うだけだ。
「まだ陰の月が出るまでは間がある。明日までゆっくりなさって下さい」
「あのな…」
「ほらほら、私も忙しいですから。長の手当もあるのでしょう?」
 追い立てるように背中を押されて、納得できないままにその場を離れた。後ろからは、まだ何か笑っているような気配がするが、振り返るのも癪に触る。
 すっきりしない気持ちのまま、住処の扉を潜る。先に戻っていた黒猫は、すでにコートも脱ぎ、寝台の上で毛繕いの真っ最中だった。
 薬箱を取りその隣にどかりと座り込み、コートを脱ぐ。適当に放り投げれば、なに、と伺う声がした。
「なんでもねぇよ。それより、手」
 テツとの付き合いも、この村に来てからだ。けれど、未だによく分からない。あの見透かしたような物言いも、ヒバリ曰く昔かららしいが、何でも分かっていますと言わんばかりの態度は、時々無性に腹立たしい。
 意外にも素直に出された手に、薬草を煮詰めて作った薬を塗る。見た目には、あまりいい色ではない薬だが、効き目だけは抜群にいい。
「…お前さ、今日そんなに出かけたくなかったのか?」
「どうして?」
「や、なんとなく」
 新しい布で、くるくると薬の塗られた手を包む。細長い布を巻く間、黙ってそれを見ていたヒバリが、端を結ぶと同時に、テツでしょう、と呟く。
「どうせまたあれが下らないことを言ったんだろうけど、別に出かけるのが嫌だった訳じゃないよ。藍閃は好きじゃないからね、場所が違えばよりよかったけれど」
「そうなのか?」
 小さく頷くヒバリが、その黒髪を揺らす。風が吹くのとは違う、とても静かな動きで。
「藍閃はうるさい。猫の数も多くて煩わしい。簡単に君を見失ったし、君もわからなくなっただろう」
「まあ、たしかに」
「ああいうのが、どうしても気にくわない」
 意地でも、苦手だ、と言う気はないらしい。
「あまり出歩きたくないのは確かだね」
「お前… 猫のくせに妙なこと言うなよ」
 元来、外に出かけていくのが好きな種族だ。日向が好きで、散策を好む。藍閃の猫たちには当てはまらないかもしれないし、ヒバリたち旅猫たちには当たり前すぎて改めて出かけていく気がしないのかもしれないが。
「藍閃だからだよ、うるさいのは嫌いなんだ。だから、今度どこかに行くのなら、もっと静かな場所がいい」
「本当に出かけるのは嫌じゃねぇの?」
「猫だからね」
「そのわりに、昨日から機嫌悪ぃ」
「ああ、それは…」
 少しだけ声を落として続く言葉を、黙ったまま待つ。
「折角の休みに、離れているのが嫌だっただけだから」
「…………は?」
「僕が行かないと言ったら、君だけで藍閃まで行っただろう。それが嫌だったから行くことにしたけれど、おもしろくはなかったから、つい」
 ぱたん、と箱を閉じる音がする。間違いなく自分の手元からする音に、けれど現実味はなく、ただ呆然と黒猫をみた。
 いまだに気になるのか、手の平をひっくり返しながら何度も巻かれた布を見ているつがいは、何食わぬ顔でいる。
 つがいといえど別行動はとる。それが戦いに特化したつがいならば余計だろう。ただ、中には自分たちのように、私生活においてもつがいとなることもある。そうすれば当然、一日中一緒にいることが多いだろう。実際、ヒバリとつがいになって以来、離れていた事がない。
 けれど、ごく少数の群を形成することを好み、多数での行動を好まないリビカの中にあっても、ヒバリは特に群れることを嫌った。たかが二匹で行動することすら厭うのはリビカの中でもあまりいないと、賛牙長やテツ、緑廉の長も言っていたから、出会う以前からだろう。
 そのヒバリが、こんなことを言うのか。
「ハヤト?」
「あ、いや。うん」
 自分でも何に驚いているのか、反応できない間に、ヒバリは手を見ることを止めていた。
「それで、また藍閃まで行くの?」
「今のところ、必要はねぇな…」
「なら、次の休みはどこにも行かないよ」
「次ったって、いつかわかんねぇだろ」
 今は祭りのない時期だから、警備は全てテツが決める配置による。歌えば休むが、最近では体力が付いてきたのか、それとも歌うこつが分かってきたのか、以前ほどの疲れはない。だからこそ、今日のように出かけるということもできたのだが。
「いつでもいいよ、とにかく、次の休みは出かけない。でかけるなら、藍閃じゃない場所にして」
 疲れて仕方ない、と寝台に横になるヒバリが、こちらに背を向ける。
 別にお前が来る必要はないだろう、と。
 言い掛けて、止めた。ヒバリは特別に意識して言っているわけじゃない、ただ本当にそう思うからこんなわがままを言っているだけで、気付いてしまえば、二度と言わなくなるかもしれない。
 それは、なんとなく惜しいように感じた。
 手にしたままの箱を床に置き、履き物を脱ぎ捨てる。ころりと横になったヒバリに近づき、その耳に軽く舌を這わせた。ざり、という音に合わせて、小さく耳の先が跳ねる。
「…今日はやけにしてくれるけど、どうしたの」
「しないわけじゃねぇ」
「滅多にないけどね」
 喉の奥で笑うヒバリが、ふ、と肩から力を抜くのが分かった。耳の縁を舌でなぞれば、乾いた毛の感覚と、小さな固まりが引っかかる。それを、牙の先で軽く解いてから、また舌を這わせた。
 わがままばかりを言うヒバリに注意ができるのは、自分だけだと思っていた。テツを始めとした村の猫たちやディーノは、ヒバリを子猫のように甘やかすから、せめて自分だけは毅然とした態度でいよう、と。
 けれど、そんな彼らでも言われたことがないだろうわがままは、拒絶できない。
 側にいろと、そう無言のうちに訴えるつがいに反論する理由はない。隣にいることを、唯一認められているという自負は、間違っていないと確信できる。
 耳の縁を辿り、付け根に近づく。髪との境目に牙を立て、丁寧に繕った。
 やがて、ヒバリの喉からくるると小さな音が聞こえてくる。見れば、うっとりと目を閉じていかにも気持ちよさそうだ。
 次の休みは、希望通りどこにも行かないでおこう。この部屋でのんびり過ごせばいいし、出かけたくなったら裏庭にでも出ればいい。日の当たる庭で、二匹でするうたたねは、きっと心地良いはずだから。

 そう思いながら、舌を這わす。くるる、と響く音が重なっていることと、合わせるように揺れる黒い尾には、気づかないフリをして。

お初デート。