06. たったそれだけのこと、なのに

 ふわりふわりと指をすり抜けていく感触が、頭にくる。

「小狼君たち、帰ってこないねー」
 わざとらしく遠くを見るように額に手を当てた魔術師は、そう言って今にも雨が振り出しそうな空の下にひらりと体を出した。
 どうにも、この相手だけは気に入らない。
 旅を共にするようになって、四人の性格はどんどん浮き彫りになってくる。
 愚直なまでに正直な小僧と、愛されいつくしまれて育ってきた姫。二人はまったく見た目どおりで、特に姫のほうは、記憶を取り戻し人形が人間へと変わっていくという工程の中で、悩み傷つき、そうして成長している。彼女は元に戻っているわけではなく、新しい時間に過去を継ぎ足しているだけのように見えた。記憶が無いということは不安でたまらないだろうに、最初のころならいざ知らず、いくつもの羽をその体に返しても、不満も不安も一言も言わない。その強さは、彼女本来のものでもあり、旅の中でさらにその力を増しているのだと思う。
 あの二人はいい。読みやすく、わかりやすく、素直だ。
 問題は、今目の前でぼんやりと曇り空を見上げているこいつだ。
 最初からつかみ所はないし、押し隠してはいるが、いつも何かを気にしている。戦うための力など何も無いように見えるのに、その身はおそらく、自分と同じくらい、戦になれている。
 どう判断していいのかわからない、というのが、最初の頃から持っている、ファイへの印象と、警戒心の元だ。
 こちらときたら、隠さなければいけないようなことが何一つも無い上に、この旅自体が不可抗力で始められたものだ。忌々しいあの姫は、この旅であなたは大切なことを学ぶでしょう、なんて言い捨てて飛ばしたが、この集団の中でいったい何を学べというのか。
「…いや」
 学ぶことは、あった、かもしれない。
 それが何なのかはまだ判らないけれど、旅が始まる前の自分と今の自分では、何かが既に違う気がする。
「あ、降ってきた」
 ぼんやりとしていた意識に、ファイの気の抜けた声が飛び込んできて、顔を上げた。どんよりと重く落ちてきていた黒い雲から、ぽたぽたと、雨が降り始めていた。
「やばいなぁ、あの子達、帰ってこれるかな」
「雨宿りくらいすんだろ」
「だといいけどねぇ。モコナは傘なんて持ってないのかなぁ、何でももってそうなのにね」
 何を考えているのかわからない顔で笑いながら、ファイは首をかしげている。
 こういうところが、わからない。どうやったら、そんなことを口に出しながら、そんな顔が出来るのか。
 心配しているのか、面白いのか、楽しいのか、心遣いを見せているのか。
 声の具合からして、心配はしているのだろうと、それはわかるのだけど。
「…お前も雨宿りくらいしろ」
「あ、あははは。そーだね」
 自分の頭が濡れ始めていることに気づいたのか、ひょい、と飛ぶようにして一歩で岩陰に入り込んでくる。空気が動いて、雨に濡れた冷たい風が、ほんの少しだけ頬を撫でた。
「火でも起こしておいてあげたらよかったのかな」
「この湿気じゃ無駄だ」
「うーん、でもやっぱり濡れちゃうと寒いし」
「てめぇがぼけっと立ってるからだろ」
「そーなんだけどさー…」
 えへへー、と笑うファイに、一つため息を落として、腰に挿した手ぬぐいを投げてよこした。
「頭だけでも拭いてろ。こっちが寒い」
「……ありがとう」
 どこか笑いを含んだ礼は、雨にまぎれて聞こえないフリをした。
 雨は勢いを増し、更に降り続く。このままでは二人プラス一匹は、当分帰ってこれないかもしれない。二人の言葉が通じているということは、さほど遠くない場所には居るのだろうけれど。
「くーろさま」
 真横から呼ばれるふざけたあだ名に、顔を上げる。
「はい、これ。ありがとう。濡れたままだけど」
「構わん」
 濡れて多少色の変わった手ぬぐいを受けとる。どうせ濡れることを前提に持っていたものだ、この天気では乾きはしないし、そのうち洗濯する機会もあるだろうと、もとしていたように腰に挿した。
「黒様そんなのいつも持ってたんだ」
「何があるかわからないからな。濡れれば拭えるし、止血も出来る」
「あはは、らしい回答だ」
 笑う魔術師が、肩を揺らす。そのすぐ上で、金髪があちこちに跳ねていた。
 適当に拭いた所為だろう、どうにもこの男は、顔のわりにずぼらなところがある。いや、顔で判断しているわけではないけれど。
「みっともねぇな」
「え…」
 手を伸ばして、あちこちに跳ねている髪を引いた。まだ多少の湿りが残っている髪はやわらかく、普段のふわふわ感が嘘のように、指に通せばするすると元通りになった。そのたびに、残った雨の雫が、通した指の間から流れる。
「髪が冷たい」
「…ぬれたからね」
「もう少し丁寧にやれ」
 ふう、と息を吐いて、手を離した。さすがに二枚も手ぬぐいを持ち合わせては居ない。この手も、まだ水滴の残る金髪も、そのままにしておくしかないだろう。やはり、多少無理をしてでも火を起こせばよかったかもしれない。
「黒ぽんはさぁ」
「あぁ?」
「意外と女の子引っ掛けちゃうタイプだよね」
「…何の話だ」
 突然話の方向性が変わって、意味がわからない。
 笑いながら金髪を撫でるファイの顔が、ほんの少しだけ、いつもと違う気がする。
「天然だって話かな」

 結局また話をはぐらかされどうにも面白くない自分とは逆に、妙に上機嫌の魔術師は、旅の同行者が帰ってくるまで、そうやってずっと髪を撫でていた

黒様は無条件でもてると思う。ファイ側はこちら。