07. 熱が全てを教えてくれるから
酷いやつなんだといつでも思うのに。
なんで、どうして、嫌いになれない。
「だーくっそー!! 腹立つムカツク雲雀のヤツー!!」
がん、と階段を下りてきた勢いのまま、真正面に設置されている靴箱ロッカーを蹴りつける。当然、音と同時に痛みが走った。その場にいた女生徒が数人、慌てたように廊下を走っていくのを横目に確かめ、ため息をついた。
荒れているのには、理由がある。
目を瞑れば、たった今飛び出してきた応接室の出入り口真正面で、荒れていた理由の元が浮かべていた、涼しい顔が瞼の裏に浮かぶ。指輪一つ手に入れたことがどれだけのことなのだと、そう言いたげな表情を。
確かに、手に入れたばかりの指輪に浮かれていたのは認める。認めるけれど、それをどうでもいいことのように扱われたんじゃ、腹を立てるなというほうが無理だ。思い入れの差があるんだと、けれどあいつにはどれだけ説明しても通じない。
なんだか、あいつといるとこんなふうに思うことが多い。
そりゃあ、あんなヤツだから、一緒にいて楽しいだけじゃないことは承知していたし、そう思うことのほうが少ない事だってわかっていた。
それでも一緒にいたいと思わせたのは、ちょっとした拍子に見せる表情だったり、ちょっとした特別扱いだったり、そういうもので。
他よりは、ほんの少しだけ、気持ちを向けられているんだろうと、思ったりすることもあったから。
なのに。
「…一番わかって欲しいことだけは、なんでわかってくんねぇんだろうなぁ」
他の誰よりも、ほんの一歩だけ、踏み込んでも許されているという自覚がある。だからあいつは応接室に入ることを拒否しないし、入り浸っていても何も言わない。あの部屋は風紀委員のための部屋というよりはもう完全なあいつの個室で、だから他の委員が来ることも滅多にない。
その場所にいることを許されている。
野生動物のようなあいつにとってそれは、ものすごく特別なことなんだと、いくら鈍くても判っている。
それなのにあいつは、一番わかって欲しいことは、何一つ判ってくれない。
指輪が大切で、愛しいもうひとつの理由なんて、考えもしないんだろう。
蹴りつけたロッカーに、頭を預けて座り込む。
判っていたことなのに、それでいいと思っていたのに、いざ全く理解されないとなると、腹がたってしょうがない。
だって、それなら、あいつは一体俺の何が良くて特別扱いをするのか。
「…って、考えたってわかるわけねぇけどな…」
ずりずりと座り込んでいた体を起こす。目の前のロッカーはへこんでいて、失敗した、とちらりと思った。
「あー、もーいいや。帰ろう」
一旦応接室を飛び出してきた以上、戻る気はさらさらない。教室には用はないし、そうなればもう帰るだけだ。幸いにもここは昇降口で、いくらか歩けば自分の靴が仕舞われているロッカーに行き当たる。カバンは、もういい。明日手ぶらで登校すればいいだけの話だ。どうせ中学教育なんてとうの昔に終わらせているのだから、本当なら授業なんて受ける必要もないんだ。鍵も財布も持っているし、教室に戻らなければいけない理由は一つもなかった。
そう決め込んで、さっさとそれを実行した。
昇降口を出れば空はもう夕方になっていて、随分な時間を応接室で過ごしていたんだと、改めて思い知ると同時に頭を振ってその考えを追い出す。
今日はもう、あいつのことは考えない。
考えればイライラして、腹が立って、ぐるぐるして、最終的に熱を出してしまいそうになるから。
帰り道の商店街で簡単に買い物をして、家に帰って、栄養補給のための食事をして、毎日恒例のボムの手入れをしたら、風呂に入ってゆっくり寝よう。明日の朝、一番に沢田を迎えにいけるように。
予定を確認して、よし、と足を踏み出す。
と、同時に、頭にぽすんと何かが落ちてきた。
「…は?」
なんだ、と手を上げると、ばさりと音がしてほんのわずかな重みが退く。代わりに指先に移ったそれを、目の前に下ろした。
「お前か… 俺ぁ、今お前に構ってやれるほど心に余裕はないぞ」
それは、今しがた考えないと決めたばかりのやつの、ペットだ。
黄色く丸い体の鳥は、どこなのかわからない首を傾げるような動作をして、ヒバリ、と主人の名を口にした。
「だから聞きたくねぇっつーのに…」
「ハヤト」
思わずしゃがみこみそうになる体を、次の言葉で押しとどめる。
今、何を言った。この鳥は。
「ハヤト? ハヤトー」
「……いや、そりゃ俺だけど、なんでお前」
俺の、名前なんて。
「………い、いや。いやいやいや、いや、まさか。まさかな、そんなことねぇって。そ、そうだよ、お前どこで覚えてきたんだよ、俺の名前なんて、そんなの勝手に」
はは、と口の端から出てくる笑いが、白々しい。
「ハヤト」
「おい、こら、鳥…」
「ハヤト、」
ざわ、と風がたつ。
鳥の細く小さな声は、薄れて耳に届く。
「……くそ、だから嫌なんだ、あいつは」
普段は知らん顔してばかりなのに、こんなときばかり、妙にストレートにくるから。
だから、どうやっても、嫌いになんてなれない。
「つか、絶対そうだって知ってやってるだろ… 性質悪ぃ」
けど、一番たちが悪いのは。
そうだと知っていても、そばにいることをやめられない、自分だ。
「…おい、鳥。先に戻ってろ」
指先に止まったままの小さな体を、揺らして離す。
「すぐに、戻るから」
小さな羽根を羽ばたかせ、2、3度頭上を旋回すると、その体はすいと数階上の開いたままの窓に吸い込まれていった。
今出てきたばかりの、応接室の窓に。
「馬鹿か、本当に…」
あの鳥には、名前を教えた覚えがある。
以前の主人から仕込まれていたらしい名前ばかり口ずさんでいたから、入院中の暇な時間を使って、今の主人であるあいつの名前ばかりを繰り返し聞かせた。飼い主は頭がいいとは言いがたかったが、ペットは随分頭がいいらしい。そのうちにその名前が新しい主人の名前であることも理解し始めたようだった。
あれは頭がいい。主人なんかより、全然。
だからきっと、今この顔が真っ赤になって熱を持っていることも、その所為でここから動けないことも、判っているから、先に戻ったのだ。
主人からの、たった三文字の伝言を伝えて。
「てめぇで言えってんだ」
ぼやいて、息を吸い、吐いた。
そして、今出てきたばかりの昇降口に向き直る。
きっと今なら、少しだけ正直になれると思う。言える、多分だけど、言えると思う。
指輪は、ボンゴレと自分を結ぶ大切な証であると同時に、誰とも群れることをしないお前との、唯一つのつながりでもあるんだということを。
落ちつこうとしても、頭にも顔にも熱は上がったままで。
これも全部お前のせいなんだと叩きつけて教え込んでやる、と一歩を踏み出した。
リング戦直後。「幸せの温度2」設定引いてます。雲雀側はこちら。 ▲